花もよう

 地下鉄の駅から地上に出ると元は運河として作られた川が右手にある。春になると川のほとりには、我先にと競うように空に花弁を放つ桜が咲き乱れる。
 
 この川沿いに音楽の女神の名前を持つクラッシック喫茶があったのだが、去年閉店した。その店の二階の窓から見る桜が好きだったのに。窓際の席に座り、一人で紅茶を飲み、外を見るのが好きだった。風に舞う桜の花弁が密やかな流れの川に、ゆらゆらと落ち水に眠るように身をゆだねながら流され見えなくなっていく。

 かって、その喫茶店のあった場所から、少し北へ歩いた路地には、風俗のネオンと客引きのタキシード姿の男達が並ぶ。その辺りに私が、一番大好きな店がある。

 隣と向かいには風俗店がある。そんな場所に、美味しい珈琲が飲める店がある。



 私が店に入ると、待ち合わせした友人は先に来て、マダムと何かお喋りをしていた。彼の他には客は居なかった。おそらく、80歳は超えているであろうマダムが、タンゴのレコードに針を落とした。

 私達は珈琲を注文した。きっと珈琲が飲めるのは一時間半後だ。この店は、そういう店なのだ。独特の時間が流れている。この世ではないような空間で、だから注文をして、珈琲が出てくるまで一時間、あるいは、それ以上かかろうとも、この店の客は誰も文句は言わない。むしろ、その時の止まった空間と、妖精のような愛すべきマダムの存在を永く楽しめる幸福を享受するだろう。


 私と友人は、お互いが喋りたくなれば喋り、黙りたければ黙り、ほとんどコミュニケーションらしきものをせず、その空間に身を委ねていた。友人は携帯で自分の写真を撮り、私は桜の文様を集めた文庫本を開いていた。

 桜の文様を集めた本には、好きな女の人から貰った竹久夢二のデザインしたブックカバーをかけていた。彼女と二年坂竹久夢二寓居跡にある店に行った時に買って貰ったものだ。竹久夢二が恋人の彦乃と東京から逃げてきて住んでいたのが、その場所だった。妻子ある夢二と、病弱な彦乃は、交際を彦乃の父に反対され京都に駆け落ちした。やがて彦乃は連れ戻され、そのまま夢二とは二度と会えぬまま若くして亡くなった。

 桜が好き。一番、好きな花。

 私は、レコード独特の震えるような響きのタンゴを聴きながら、桜の文様を眺めていた。色とりどりの桜の文様を眺めながら、その空間にいると、頭が弛緩して余計なものが溶かされて魂が浄化されていくような気がする。


「私ね。セックスのことと、歴史のことしか考えてないんですよ。他のことは、結構どうでもいいんですよね。」


 と、私が目の前の彼に言うと、彼は笑って、こう言った。


「私は、音楽のことと、セックスのことしか考えてないですね。幸せですよね。」

 彼は、歌い手だ。プロではないけれども、私にとっては一流の歌い手だ。

 
 桜が見たい。早く見たい。満開の夜桜の下に佇みたい。なんだか、それさえあれば、他のことは本当に、どうでもいい気がする。


「桜って、エロティックですよね。だから、好きなんです。」

 と、私が言うと、彼は、また笑った。


 私達が古い映画の話をしていると、マダムが、「今、マリリン・モンローの話、されてませんでしたか?」と、席にやってきた。お若いのに、古い女優さんご存知なんですね、と、マダムに言われて、モンローも、ディートリッヒも、ガルボも、エヴァ・ガードナーも、バーグマンも、いいですよねと私達が言うと、マダムが頷いた。

 
 私達が席を立ち、二人合わせて七百円の珈琲代を払おうと、千円札を出すと、マダムが「ごめんなさい、お釣りがないんです。」と言った。
 たった三百円のお釣りも用意してないマダムの浮世離れ加減が、何とも言えず愛おしくて微笑を誘う。私達は財布からなんとか小銭を探し七百円きっちりを差し出した。


 マダムが一時間以上かけて入れてくれた珈琲は、身体の芯まで酔わせるような香りの、本当に美味しい珈琲だった。今度来る時は、マダムに花を持ってこよう。あの腰の曲がった愛らしいマダムには、どんな花束が似合うだろうか。小さな色とりどりの薔薇の花束がいいかも知れない。薔薇も私の好きな花。


 この喫茶店は、京都出身の、ある作家の書いた哀しい恋の短編の舞台にもなっている。今度、その短編集持ってきますよと、私は友人に言った。
 私は、この店に恋人と来たことはないけれど、もし恋人と、この時の止まった緩やかな空間に来ることがあれば、生きて出会えて時間を共有できる幸福に感謝しながら珈琲を味わうだろう。


 梅の花が咲いている。
 春は、そんなに遠くない。


 
 桜が見たい、桜が。今年は時間の許す限り、桜を見に行こう。

 いろんな桜があるけれども、京都東山の円山公園の桜は、特別な妖気を発している。初めて見たとき、息を飲んだ。桜の中には、可憐な少女のような桜もいれば(仁和寺の桜とか)、ここの桜のように、業の深い、どうしようもない女のような桜もいる。まさに、樹の下に屍体が埋まっているような桜。ずっと見ていると、飲み込まれそうになる。その、魔性を孕んだ業の深さに。


 その女は、全て知っている。この街で起こった、数々の争いも、悲しい話も、全て見ている。そしてその悲しい話の合間に繰り広げられる、人間の再生の物語と希望の存在も知っている。それが永遠に繰り広げられることも知っていて、眺めている。短い季節だけ咲き誇る自分の下で、馬鹿騒ぎする人間の喜びも悲しみも、全て。


 そんな人間達の生を肥やしにして、毎年すさまじいばかりの花を一瞬だけ咲かせる。あの桜が、見たい。あの夜桜が。

 
 妖気を孕む、どうしようもない女に、会いに行きたい。近づくと、自分も飲み込まれてしまいそうになることはわかっているけど、あの妖気に抗えない。これが、虜になるということなのか。その気持ちは、恋のようだ。堕ちていく快感。抗うことの出来ないもの凄い力にひきずられて、あの女のもとに、会いにいく。その先に待っているものが、たとえ破滅だとしても。あの樹の下に眠り、全てを吸い取られていく屍体になるために。屍体になって、もう一度、再生するために。何度も戦火に燃えたこの街が、その度に再生したように。私は再生するために、あの女に会いに行く。


 あの女の下に眠り、いろいろなものを吸い取られ、腐り果てる屍体となる。皮が、骨が、肉が、朽ちる。
 そして意識が遠のく中で、私は、夜空さえ霞むほどの花を散らせる、あの女の枝に咲く花になろう。人々が、酔い、集う、あの女の下へ行くまでは、何があっても、生きていよう。あの女の下で、屍となり、花になって再生する為に、生きよう。散る為に咲く花。一瞬しか咲かない花。それでもいい。あの女に咲く花になれるなら。私は、屍になるまで、死ねない。


 





「桜の文様」 谷本一郎http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31418374

「カフェ小品集」 嶽本野ばらhttp://www.bk1.co.jp/product/2295884