桔梗の女・後編


 女は東海道を歩く、江戸へ。
 江戸は遠い。女の足で歩くのは容易な距離ではない。それでもその女はひたすら歩く、東へ。

 女の名は、福という。
 父は斉藤利光明智光秀の甥であり、家臣にあたる。利光は天王山の戦いで光秀が秀吉に敗れた後、死に追いやられた。その後、逆臣の娘となった福は諸国を放浪した後に知人のつてで小早川秀秋の家臣・稲葉正成の後妻に入る。

 福は幼少の折に疱瘡を患い、その跡が顔面に残っていた。夫の一鉄は、ことあるごとに忌々しそうに福の顔を「醜い」と罵った。
 お前のような醜く小賢しい、しかも天下の謀反人明智の一族の女を嫁にした事を俺は悔やんでいる。顔に痘痕があるだけならまだいいが、気が強く小賢しいお前に俺は時折蔑まれているような気がしてならないのだ。俺はお前を女だとは思えない、女としての美徳が一つも備わってないではないか。それでもお前のような可愛げの無い醜い女を抱いてやっている俺をありがたく思えと、酔った一鉄は福を荒々しく犯しながら罵倒する事もあった。

 それでも福は行く所が無かった。私は逆臣の娘。ましてや醜く可愛げもなく女としての美徳が一つも備わっていない女。こんな夫でも、私はこの男の側にいるしか生きる道がないのだ。この男の妻として養われることしか術がないのだ。

 福の運命を変えたのは一人の江戸からの使者だった。関が原の戦いの4年後、福のもとに一人の使者が一通の書状を持って現れる。「どうか、隠密に」とその使者の差し出した書状を福は拡げ見た。

 福は驚愕した。
 生きておられたのか、あの方が。
 本能寺の変で主君織田信長公を討った後に豊臣秀吉に破れ、居城である坂本城に向う途中に土民の槍で刺されて殺されたことになってはいたはずなのに。
 その人の首は後に京都三条河原で晒されてはいたらしいが、夏場で腐り果て誰の首か分からない状態であったとは聞いたことがある。
 書状には、明智の家紋の桔梗の紋が記されてあった。


 私が呼ばれている。私が必要とされている。
福の全身が震えて鳥肌がたった。恐怖で震えているのではなく、性的快感にも似た高揚感から来る震えだった。
 私は、行かねばならぬ。江戸へ。

 福は夫と離縁をし、子供を置いて、一人江戸へ向った。


 家康は天海に問うた。
その、福とやらは、どのような女子ぞ。

 天海は答える。
幼い頃しか存じておりませぬが、強いまなこの女でございました。凛として、人の眼を真っ直ぐに見る、何事にも恐れない目をした女でございました。福なら、大役を任せてもよろしいかと思いまする。

 そなたがそういうなら、信じて任せよう。そなたと同じ明智の者であるというのも頼もしい限りである。その福とやらに竹千代の乳母の役を任せよう。なにしろ、この徳川の世が末代まで続くかどうかが、この竹千代にかかっておる。
 天海よ。源氏の鎌倉も、足利の室町も、そしてわしが滅ぼした豊臣も、力で奪い力で作り上げた政権のなんと脆いことよ。わしはその轍を踏みたくはない。この徳川の世を永く続ける為に一番大切なことは、確固たる政権基盤を作り上げること、それを統率できる跡取りを育てることだ。この、わしの孫の竹千代こそを、わし以上の将軍に。

 天海僧正、かって明智十兵衛光秀と呼ばれていた死んだ筈の男が頷いた。
 必ず、徳川の世が末代まで続くように。

 徳川家康の3男で、2代目将軍秀忠と夫人のお江(母は織田信長妹・お市、父は浅井長政豊臣秀吉側室淀君は姉にあたる)の間に生まれた男子は、竹千代と名づけられた。竹千代は徳川家康の幼名である。これより代々将軍家の嫡男にはこの名前をつけるようにと家康が命じた。
 家康の孫の竹千代は次期将軍としての教育を受ける為にと母から離された。竹千代には京より来た乳母がついた。福という女である。

 秀忠夫人お江は福の境遇を聞いて驚愕した。
よりにもよって、明智の血の者が、何故、私の息子を。
お江の叔父の織田信長本能寺の変で自刃させたのは織田家臣の明智光秀である。叔父信長の死によって母と私達3人の娘は権力の道具にされ流転の人生を歩むことになったのだ。お江自身も3度の政略結婚をさせられている。
 大御所様(家康)は、何を考えているのか。よりにもよって逆臣の娘を。叔父の仇の一族の娘を。

 竹千代に初めて乳をやった時、福は決意した。
私は、この方の為に生きよう。命をかけて、この方の為に。醜く小賢しいと罵倒された私は、人の妻として、男に愛されて守られる女として生きることは、きっと出来ない。女ではないと言われ、それでも男に縋ることしか生きる道はないと思って耐えてきた私を、大叔父様が導いて仕事を与えて下さった。こんな幸運があるだろうか。女として、妻としては生きることはできないけれども、私にはこの私の乳を吸うこの方を立派な将軍として育て上げるという仕事が与えられたのだ。私は、命をかけて、この仕事をまっとうしよう。それしか、私の生きる道はないのだろうから。私は天から与えられた私の仕事に生涯を捧げよう。

 福は竹千代を溺愛した。将軍として、人の上に立つ人物になれるようにと愛し、抱きしめ、時には叱りもしながら。
 お江は、それも面白くなかった。私が母なのに、私が産んだのに。竹千代は、たまに会っても母親のお江に懐かなかった。福、福と、福から離れず、どう見ても福が母親のようだ。そのうちにお江自身も竹千代が自分の生んだ子供ではないような気がしてきた。お江は、次に生まれた次男の国千代は常に側において自分自身の手で育てた。

 竹千代は成長するにつれ、自分が実の母から疎まれている事を感じとっていた。母上は弟の国千代にだけ微笑む、国千代にだけ菓子を与える。竹千代は身体も小さく脆弱で吃音で気も弱かった。それに比べて弟の国千代は猛々しく男らしく体も剛健で、諸大名達が次期将軍に相応しいのは長男の竹千代ではなく次男の国千代だと噂する声も耳に入り、それがまた竹千代を弱らせた。竹千代は、福に訴えた。福、わたしは、死にたい。母上には疎まれて、人々には将軍に相応しくないと噂され、辛い、生きているのが、辛い、と。

 福は、江戸を出て家康が隠居している駿府へ早駕籠で向った。福は家康に泣きながら訴えた。竹千代様こそが次期将軍であると、大御所様自ら宣言してください。兄弟で将軍の跡目争いをすることこそが、幕府倒壊の根源となることは火をみるより明らかです。どうか、どうか、福の命を差し上げてでも願いを聞いていただけないでしょうか。竹千代様こそが次期将軍であると、大御所様の口から。

 家康は江戸へ登った。老中達や将軍秀忠夫婦の聳える大広間で「竹千代、菓子をやろうぞ。」と竹千代に呼びかけた。竹千代が家康のもとに来て菓子を受け取った。それを見て自分も、と国千代が駆け寄ろうとしたのを、家康はきつく遮った。

「竹千代は、次期将軍になる。国千代はその臣下に仕えることに相成るのだ。臣下のものが、上座に来てはならぬ。」

 家康は、竹千代を膝の上に乗せた。涙ぐむ国千代を抱きしめ、お江は福を睨みつけた。福は、ひるむことなく、毅然としてそこに座していた。

 竹千代が天然痘を患った。元々身体の丈夫ではない竹千代は生死の境を彷徨い始めた。福は水篭りを始めた。この真冬に、外で水を浴びるなど身体に差し障りがあると周りの者達は福を止めようとした。福はそれでも水を被り天に祈り続けた。

 天よ、私の命を差し上げます。どうか、どうか、この私の命と引き換えに、竹千代様の命をお助けください。どうか、どうか、竹千代様を。
 竹千代は弱り、薬を口にすることもできなくなっていた。福は薬を自分の口に含み、竹千代の口に流し込んだ。何度も、何度も、竹千代と唇を合わせて薬を流し込んだ。眠らずに竹千代に寄り添っていた。周りの者も医師も、少しでも眠らないとあなたがまで患うと止めようとしたが、福は聞かなかった。
 私の命は、天に捧げたのだから。

 福の願いが届いたのか、奇跡的に竹千代は回復した。

 元服を済ませ、竹千代は「家光」となった。こうなると世継ぎの事を考えねばいかぬ。しかし福はそのことを思うと頭が痛かった。何故か家光は男にしか性的欲求が向かなかったのだ。どんなに美しい女を近づけても興味を抱かない。男の小姓達とばかり睦みあっている。衆道(男色)がいけないわけではない、ただ、次期将軍がそれでは困るのだ。子供を作らねば、できるだけたくさんの子供をつくり、世継ぎを作り、またその子供を使って幕府の磐石な体制を作らねばならぬのに。

 女の、何が駄目なのか。女の匂いが駄目なのか。福は不思議だった。私はかって夫だった男に、お前は女ではない、醜く、女らしいしとやかさも、愛想も色気もないと罵られた。それでも夫は私を抱いて子供を作ったのだ。女ではないと罵倒しながらも。
 男とは、皆そのような「女らしさ」を求めるものだと思っていた。そしてそれでもこみ上げる欲望のままに「女らしくない」女を抱くこともできる動物なのだと。しかし、家光様はどんなに美しく、しとやかで匂うような女を近づけても興味を示さない。

 それならばと、福は考えた。「女らしくない」「女の匂いのしない」女なら、どうかと。
 福は、男装の女、髪を下した尼僧など、「女の匂いのしない」女を家光に近づけた。福の作戦は功を奏した。家光は「女の匂いのしない」「男のような」女には興味を示し、性行為が出きるようになった。そして家光は次第に女そのものを受け入れるようになり、数多くの側室を持った。

 福は江戸城に「大奥」を作った。将軍以外の男は足を踏みいれることを禁じた「大奥」を。将軍に仕え、将軍に抱かれ、将軍の子供を生む女達の住処を。将軍は、別格なのだ。だから将軍に仕える女は、生涯将軍以外の男に仕えるべきではない、私のように。大奥に使える女達は、福の分身だった。自分の分身達を、家光に抱かせる為に大奥を作った。

 家光は父秀忠の跡を継ぎ、江戸幕府三代将軍・徳川家光となった。諸大名を前にして家光は、

「余は、生まれながらの将軍である」

 と、宣言した。世は生まれた時から将軍になることが運命づけられた人間である。祖父のように戦に勝ってこの地位を入れたものではない。であるからこそ、幼少の頃より将軍となる心積もりをして励んできたのだと。
 迷いの無い目で毅然と諸大名達を見渡す家光には、かって「死にたい、生きているのが辛い」と福にこぼした脆弱で気の弱い少年の面影は全く無かった。揺るぎない自信が家光に威圧感を与え、そこにはまさに「将軍」が居た。諸大名達が家光にひれ伏した。

 それを見つめる福は感無量であった。私は、私の仕事を成し遂げた。生涯をかけた、私の仕事を。大叔父様、どんなに感謝しても感謝し足りませぬ。醜く、お前は女ではないと蔑まれ、人の妻として生きることのできぬ私に、このような仕事を与えてくれたことを。女として幸せになることはできない私は、人の妻として、男に尽くす女として生きる以上のものを手に入れることができました。

 天海は、福の顔をじっと見つめた。
 福よ、お前は、本気で自分は醜いとか女ではないと思っていたのか。わしはお前ほどの美しい女は滅多におらぬと思っておるのに。お前の瞳は澄んでいて清らかで真っ直ぐに人を見る、微笑みを湛えたお前の唇はいかにも意思が強そうで人を惹きつける、お前の背筋はいつも毅然と伸びていて凛々しく見惚れてしまう、お前の迷いの無い声は人に道を指し示す。お前は歳をとればとるほど、凛とした美しい女になっていく。
 お前ほどの美しい女は、滅多におらぬと大御所様もよく言っておられたのに。

 美しい?私が?
 天海が何を言っているのかわからなかった。そしてそのことについてはそれ以上考えることもしたくないような気がした。美しいとか、女がどうのとか、もうそんなことは、いい。私は私が天から与えられた私の仕事を成し遂げることができた。それだけで、私は、もう、十分だ。

 竹千代のライバルであった弟の国千代は元服して忠長と名乗る。後に、身に覚えのない謀反の罪を着せられて自刃に追い込まれた。

 福は無位無官の身でありながら家光の妹和子が後水尾天皇に入内する際の使者を勤める。この時に朝廷より「春日局」の名と従二位の位を承る。家光の娘・和子の生んだ娘は即位し明正天皇となり徳川幕府と皇室の結びつきを強めた。

 春日局は女の身でありながら「世に揺るぎなき権勢」を手に入れた。

 「生まれながらの将軍」家光は、武家諸法度、参勤交代、鎖国などの政策により国の内外をまとめ、江戸幕府の体制を磐石なものにした。その家光の影にはいつも天海僧正春日局がまるで家光を本尊とした脇持の如く存在していた。


 福が病の床についた。
家光は時間の許す限り福の側にいた。福の手を握りしめていた。福は、医者や周りの者が何度言っても薬を飲もうとしなかった。
私の命はあの時、家光様が天然痘にかかった時に、天にお願いして家光様に差し上げたのです。そして天は私の願いを聞き入れて下さった。だから、私の命は天にあるのです。天に従い、天に感謝して、天命に逆らう気はございませぬ。だから、薬を飲んで生きながらえようとは思わないのです。こうして私が死の床についているのは、役目を終えた私の命が尽きるからでしょう。私はそれに従います、天に。

 福、福よ。
 家光は周りの者を下がらせて、福と二人きりになった。
 俺を置いて、どこへも行かないでくれ、お前が居なくなれば俺はどうしたらいいのか。お前を失ったら俺は悲しみのあまり死んでしまいそうだ。

 殿、そうして泣き顔を見ていると、昔のままでございますね。福、福、と私にまとわり付いて、私が少しでも姿を消すと泣いていたあの幼い頃と変わらない。殿、私は、殿に出会えて本当に良かった。あの時、夫と自分の子供を置いて、何もかも捨てて無になって、江戸に出てきてよかった。先の見えない旅だったけれども、私はあの時はなんとしてでも江戸に行かねばと思ったのです。自分の意思を越えたすさまじい流れに巻き込まれたかのように、江戸に来たのです。
 そして、あなたに出会えて、本当によかった。何も悔いはございません。

 福よ。俺は、本当は、お前と結ばれたかった。お前の存在は、母とか乳母とか妻とか、そういうものを越えた、それ以上のものだった。俺の体も心もお前無しでは存在しない。幼い頃より当たり前のようにお前がいつも側にいてくれて気付かなかったけれども、こうしてお前を失おうとして俺は口に出さずにいられない。
 お前は、俺の全てだ。俺の存在はお前無しではありえない。お前以上に大切な女は、いない。俺にとって、お前以上に美しく焦がれた女は存在しない。そのお前を失うことが俺にとってどれほどの恐怖か、誰にもわからないだろう。俺はその孤独に押しつぶされそうだ。
 俺は、どうしたらいいのか、お前を失ったら、俺という存在も消えてしまう。福よ、どこにも行かないでくれ。お願いだ、福。

 私は、どこへも行きません。あなたが私を忘れないでいてくれる限り、私は、あなたの中に、生き続ける。
 だから、私を忘れないで。

 家光は福の手を握り、福の唇に自分の唇を合わせる。かつて家光が天然痘にかかり生死の境を彷徨った時に、福が口から薬を飲ませてくれた時のように。
 家光の涙が福の顔に滴り落ちる。福の唇と合わせた自分の口の中に、涙の味が流れ込んできた。
 

 奇遇なことに、春日局が亡くなる20日ほど前に「江戸幕府の黒幕」と称された天海僧正も入滅している。天海は116歳まで生きたとされている。


 桔梗は、眠りについた。


 家康が、天海が、福が、家光が築いた徳川幕府は、日本史上類が無い安定政権として250年の長い時を刻む。
 
 
 時代が動く。


 この国が変わる時が来た。変わらねばならぬ時が来た。
 天はこの国の眠りを覚ます為に、一人の男を遣わした。


 江戸より遠く離れた四国の土佐藩(現在の高知県)の郷士の家に、背中にたてがみのような毛を生やした一人の男児が誕生した。 
 この家の祖先は明智光秀の従兄弟であり娘婿の明智左馬之助光春だと伝えられている。この家の名字は、明智光秀の居城であった近江坂本城が由来である。

 この男児は幼い頃は泣き虫の寝小便垂れと呼ばれていたが、母代わりに彼を厳しく育て溺愛した姉の元で鍛えられ、後に土佐藩を脱藩し、薩長同盟を結ばさせ、「船中八策」という将軍が政権を天皇に返すなどの所謂大政奉還案を考え出し、32歳で京都の近江屋で暗殺されるまで、まさに天馬の如く幕末回天の日本を走り抜けた。


 幕末に桔梗の紋が、駆けた。


 海を愛し、人を信じ、何よりも己を信じ、自由を求めて幕末日本を駆け抜けて、そしてまた天に帰って行った、桔梗の紋の男。


 その男の名を、坂本龍馬という。