酔死

 酒がらみの事故のニュースだけは、本当にやりきれない。
 殺してやりたい。


 そして、ますます酒が嫌いになる。酒に罪はないけれども。
 酒を飲むと気持ちがいい。酒に逃げたい時もある。飲んで酔ってハイになって、最高に味わえる高揚感。普段言えないことも言えるし、出来ないこともできる。嫌な事も酔ってる間は忘れられる。


 20代の初めは狂ったように毎日飲んでいた。飲んで騒いで体に痣を作って吐いて叫んで怒られながらも。人と飲まずとも一人でも毎日飲んでいた。酒の味が美味いわけじゃない。ただ酔いたいから飲むだけ。だから少量ですぐ酔える酒がいい。ウォッカやジンをストレートで飲んでいた。喉に流し込むと焼け付くように熱い。そして気分が高揚し味わえる万能感。酔って笑って泣いて、その時だけ自分を曝け出せる。


 そして、飲んだあげく、よりを戻してはいけない人に電話をかけた。飲んで泣いてあなたが必要だと泣き縋ったテープを親に渡すぞと何年も盾にされ脅され金を要求された。

 あれから心底酒が怖くなった。もともと味が好きで飲んでいたわけではないし、その男の為にサラ金に手を出して酒代どころではなくなった。
 その後は、仕事絡みで飲むぐらいだった。

 飲むのが怖いのではなく、酔うのが怖い。弱い、自分の大嫌いな自分が出てくるのが怖い。


 酔っ払いは、心底嫌いだ。
 酔っているから人を傷つけるような事を言っても許されると、酔っているから暴力をふるっても許されると、酔っているから人を不愉快にするふるまいをしても許されると、酔っているから上下関係のある異性を触っても許されると、酔っているから踏み込んではいけない領域に踏み込んでも許されると、どうしてそんなふうに思えるのだろう。そういいつ自分も同じことをしてしまいそうになるから尚更嫌なのだ。

 不愉快な事をされて、翌日に「酔ってたから許してあげて」と第三者に頼まれたこともある。どうして赤の他人の甘えをそこまで享受しなきゃいけないのか。許せない私は心の狭い大人げの無いヤツなのか。
 サービス業という仕事の場では仕方がない。そういうことも含めて糧を得ているのだから。仕事の場ではある程度は我慢する。でもそれ以外の場所でそんな甘えを許す寛容さは持ち合わせてはいない。

 楽しい酒もある。その場が明るく楽しくなる酒も。でも飲まないのは場の雰囲気が悪くなると無理やり飲ませようとする輩には唾を吐きかけたくなるほど嫌悪感が走る。

 酒は楽しい。飲むのは楽しい。皆が仲良くなれる。楽しい楽しい楽しい楽しい。もしかしたらそれを見て内心不愉快に思っている人間が居ても気づかないほどにその場は楽しい。誰か飲まないヤツがいる。飲まずに帰るヤツがいる。付き合いの悪いやつだ雰囲気を壊すヤツだ飲むことはこんなにも楽しいのに。飲ませてやれ飲ませてやれ仲良くしよう仲良くしよう無礼講だ無礼講だ何をしても許される何を言っても許される。

 そうして酒は、人の脳を犯す。楽しい楽しい楽しい許される許される酔っているから許される。だから嫌がる女を犯してもよい、車で暴走してもよい、人を殴ってもよい、吐いて暴れてもよい、許される許される許される飲んでるから甘えられる。

 仕事の場で、飲んで度を越して触ってきたり無神経な発言をするヤツに向かっていつもこう言いたい衝動にかられる。

「アンタの娘や妻や恋人が、同じことされたらアンタはどう思う?」

 って。触る相手は酔ってるから許してやれとでも自分の娘や妻に言うのだろうか。


 酒の勢いをかりていろんな男と寝ている女も居る。そりゃあ何人も。悪いことじゃないんだろう。自分の評判を落とすぐらいの話で。したけりゃすればいい。私だって、そうしたいと思うこともあるもの。そうしたら何かから逃れることが出来るのじゃないかと思うこともある。あれこれ余計な事を考える隙も無いほどに飲んで寝て飲んで寝て飲んで寝てみたい。酒にセックスに自分の中の見たくない物に目を背ける為に快楽に酔い続けるのは何て素敵なのだろう。酔い続けて酔い続けて、この世は天国ああ私は無敵だ。


 酔っ払いは嫌いだけれども、自分が酔う事は、もっと嫌い。酔って人に甘えたり、酔って言ってはいけないことを言ってしまったり、あの時のように、酔って人に縋るのが怖い。


 10年以上前に、私が酔って泣いて縋ったテープは、多分今もまだ存在するのだろう。


 あれから度を越して酔うこともないが、ふとした弾みに普段は蓋をしている意識の底に沈めたパンドラの箱が私の嫌いな「酒の勢い」とやらでガタガタと音を立てて噴出しようとする事が何よりも怖い。必死で作り上げた虚構の強い自分が一瞬にして砕けるぐらいの破壊力を持った嫌なモノがドロドロと地を這うようにパンドラの箱から出てくるのが、怖い。

 
 かって私もそうだったけれども。
 酒を飲んで自分を曝け出せる人間が羨ましい。飲んで無防備な自分を曝け出せる人間が羨ましい。嫉妬する。弱さを出す事が怖い、虚構の鎧を纏うしか生きていけない、鎧を脱ぐと何も残らない、存在しない自分、誰からも愛されない自分、生きていけない自分を閉じ込めたパンドラの箱の蓋がギギギと耳障りな音を出す。


 酒には罪はないけれども。

 酒との距離が、測れない。

 美味い酒もあることは、知っているけれども。

 酒は悪魔だ。


 セックスも、人の優しさも、また然り。そうして弱さと向き合わず強いフリをして逃げて逃げて逃げて逃げて逃げ続けて。
 逃げきれたらいいのだろうけれども逃げられるわけがない。逃げ出した気になってふと酔いが覚めた一瞬に目の前をじっと見ると、闇。




 ひたすら、闇。




 闇