覚悟のある恋愛 ―「それから」 夏目漱石―

 本や映画を見た感想というものは、ごくごく個人的なもので、それは受け手の経験や状況から生じたフィルターを通じて初めて個人の中に伝達される。だから同じ映画や本を見ても、例えばAという人物とBという人物が全く相違の無い感想を持つということは有り得ない。AとBは別の個を持つ人間だからである。そして経験や状況というものは良かれ悪しかれ時を経て変化する。だからAという人物が同じ本を読んでも、例えば10代の時に呼んだ感想と20代に読んだ感想とが全く相違が無いということは無い。多少なりとも変化しているのが当たり前だ。


 夏目漱石の「それから」という小説を初めて読んだのは高校生の時だ。今までに何度か読み返している。少し前、本の整理をしていて発見し、久々に読み返してみようと思った。「それから」は、激しい小説である。静かで壮絶な物語である。


 主人公代助は、大学を卒業したが何の職業にも就かず実家からの援助にて暮らしている。もう年齢は30に近づこうとしている。代助は、自分を「職業の為に汚されない内容の多い時間を有する上等人種」と考え、芸者遊びもして、園遊会にもでかけ、書物を読み、演芸を見たりして暮らしている。食うために働くのは誠実では無い、神聖ではない、食うに困らない人間が何故劣悪な経験を積まなければならないのかと考え、自らを「高等遊民」と称していた。 


 代助は、久々に親友・平岡に再会する。平岡の妻・美千代は、かって代助が平岡に斡旋した女であった。平岡夫妻は美千代の流産と平岡の経済的破綻などにより夫婦関係も破綻しているように見えた。代助は、かって美千代を愛していたが、「自然の流れ」に従うことが出来なくて、親友に斡旋した。しかし、久々に再会して、心臓の病を抱え、夫ともうまくいかず、経済的に困窮する美千代に対して「自然の流れ」が己の中に蘇ることを自覚する。代助の父は、資産家令嬢と代助を見合いさせ婚姻を結ぼうとする。それを断れば、実家からの援助は絶たれるかも知れない、しかし代助の中に、父の決めた相手と結婚するという選択肢は無かった。
 意を決した代助は、美千代を自分の家に呼ぶ。そして、こう告げる。


「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ」

 告白を受けた美千代は、何故、何故今更と泣く。「あんまりにも残酷だわ」と。


『僕はこれで社会的に罪を犯したことも同じだけど、罪を犯すことが僕には自然なのです。あなたに今更こんなことを言うのは残酷だと承知しています。ただこんな残酷なことを打ち明けなければもう生きていることができない。つまりは僕のわがままです。だから謝るんです、でも、あなたの存在がどうしても僕には必要なんです』 
 と、代助は美千代に言う。
 うつむいて泣いていた美千代はふいに顔をあげ、唇から低く重い言葉が一字づつ出た。


 「しょうがない。覚悟を決めましょう。」


 『その美千代の言葉に、代助は背中から水をかぶったようにふるえた。愛の賜物と愛の刑を同時に受けて、同時に双方を切実に味わった。』  

 その後、もう一度二人は再会する。


代助 「その後、あなたと平岡の関係は変わりはありませんか。」

美千代 「あったって、変わりませんわ。」

代助 「あなたはそれほど僕を信用しているのですか。」

美千代 「信用していなくちゃ、こうしていられないじゃありませんか。」

代助 「僕は本当はそんな信用される男じゃない。平岡君より頼りにならないんです。一人前じゃない。半人前にもなれない。あなたに対して責任がつくせないだろうと心配しているのです。」

美千代 「責任って、どんな責任なの。」

代助 「徳義上の責任じゃない。物質上の責任なんです。」

美千代 「そんなものはほしくないわ。」

代助 「ほしくないと言ったって、是非必要となるのです。僕は職が無い。多分家からの援助も打ち切られる。」

美千代 「あなただって、そんなことはとうに気がついていらっしゃるはずだと思いますわ。」

代助 「この先また変化がありますよ。」

美千代 「あることは承知してます。私はこの間から、もしものことがあれば死ぬつもりで覚悟を決めているんです。」

 代助は、慄然としておののいた。


美千代 「あなたが死ねとおっしゃれば死ぬわ。」

代助 「このままでは。」

美千代 「このままでも構わないわ。けれども私はもう度胸をすえているから大丈夫なのですよ。」



 代助は、美千代の覚悟に押されるように、平岡に「美千代さんを僕にくれ」と話す。平岡は、絶交を申し渡しながらも承諾する。しかし、平岡は代助の父親に、代助が自分の妻と姦通をしたと手紙を出す。代助は実家から勘当を申し渡される。美千代に会いに行こうとしても、具合が悪いということで会わせてもらえない。代助は、書生に「僕はちょっと職業を探してくる」と言い残して街に出る。


 高校生の時に読んで、どういう感想を自分が持ったのかは思い出せない。20代の時に読んだ時には、「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ」という告白の文句が、強烈に印象に残った。あなたなくしては、僕の存在は有り得ない。これほど激しい求愛の言葉があるだろうか、と。
 そして、その激しい求愛の後、「しょうがない、覚悟を決めましょう。」と答える美千代の深く重い言葉も忘れられなかった。現代社会の不倫とは状況が違う。物語の舞台は、明治時代。姦通罪という罪がある時代だった。実際に、詩人北原白秋が人妻と姦通して刑に服している。


 今、読み返すして思うことは、美千代の覚悟の凄まじさと、代助という男の悲しいぐらいの脆弱さだ。食うための労働は神聖ではないという代助は、言い切っちゃうけど、頭でしかものを考えることが出来無い経験値の低い脆弱なインテリだ。実生活に根を持たない思索家だ。こういう人間は、現代にもわんさかいる。生活の糧を得る為に地を這い蹲って泥水を飲むように底辺を生きる人間より、書物や氾濫する情報に溺れて自分が高い位置にいるかのような錯覚をおこしている根を持たない似非インテリ。語ることは出来るが行動を起こすことができない、行動を起こして自分の無力さと面するのが怖い似非インテリ。そんな人間の教養や知識など、所詮浅薄で足元の弱いものだ。いや、それは教養や知識以前のものかも知れない。本を読んで、ネットで情報を拾って、有名大学や有名企業と言われる看板を背負っただけで、偉い立派な人間になれるなら、簡単なもんだ。


 しかし、代助は、恋と、美千代の凄まじい覚悟を受けて、外の世界へ出ざるを得なくなる。もう、食うために働くことは神聖ではないなどという戯言を言えなくなる。「僕は、ちょっと職業を探してくる」と家を出た代助。


 『代助は外の陽に当たりながら「焦げる焦げる。」と呟く。電車に乗り「ああ動く。世の中が動く。」と傍の人にも聞こえる声で言う。煙草屋の暖簾が赤かった。ポストも赤かった。電柱が赤かった。赤いものが次々と目に飛び込んできた。しまいには世の中が真っ赤になり。代助の頭を中心としてくるりくるりと炎の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼き付けるまで電車に乗って行こうと決心した。』

 美千代と代助が、その後どうなるのかは書かれていない。そういう意味でも、この物語は「それから」なのである。しかし、どこか不安を含んだ描写で終わる。漱石は、この「姦通」をテーマにした小説を何作か書いている。よく知られているのが「こころ」。友人が、その人を好きだということを知りながら、友人が告白するより前に、その女性を妻にする約束をした主人公。そして、その友人は自殺する。「先生」と呼ばれた主人公は、その後も罪の深さに脅えながら生きる。しかし、明治天皇が没した時、「明治の精神に殉じる」と言い残し、妻を残し、自らの命を絶つ。「それから」の続編とも言われる「門」。友人の女を盗った主人公夫婦は、罪におののき社会と隔絶して生きるが、救いを求めて、仏門の門を叩く。いずれも、重い。しかし、激しい。その罪の重さは、それだけ真剣に自分と、己の中に生じたどうしようもない、ごまかしきれない、「あなたの存在がどうしても必要だ」という言葉の通り、不可欠な存在である相手の存在と向き合った故の重さだ。


 しかし、凄まじいのが「明治の女」美千代の覚悟。病弱で無力な女であるはずなのに、胸の内の「死ぬつもりで覚悟を決めている」と言い切る冷たい炎のような覚悟。明らかに代助は、美千代の覚悟に引いている。脅えている。だからこそこれからの荒波のような苦難が、その時初めて目の前で実感として沸き起こり、慄然とおののく。脆弱な「高等遊民」代助は、「覚悟のある女」に脅え、自分も覚悟を据えざるを得なくなり、外の世界に飛び出ていく。


 覚悟のある恋愛。世の中に恋愛というものは数あれど、そのうちどれだけのものが、真に恋愛といえるものであろうか。

「彼氏がぁー浮気したらぁームカつくから別れるぅー。」「やっぱり生活水準落としたくないですから、そりゃあお金のある人じゃないと結婚したくないですよぉー。」「彼氏の、どこが好きって言うと、いろんなもの買ってくれて、セックスが上手で、かっこよくて友達に自慢できるとこかなー。」「私の言うことなんでも聞いてくれてぇー、優しいとこが好きぃー。」「やっぱりイケメンの彼氏って、一緒に居て、自慢じゃないですかぁーっ。」「付き合った人数わぁー20人ぐらいぃー。」「不倫の醍醐味って、責任持たなくていいし、世話焼かなくていいし、割り切って遊べるとこじゃないですかぁー。」「家事自分でするのめんどくさいっすよね。で、いつまでも一人でいると会社とかでいろいろ言われるのも嫌だし、適当に結婚しますよぉ。」「結婚しても、遊びますよぉーいつまでも女としてチヤホヤされたいじゃないですかー恋しないとぉー。」「私ってぇー、自慢じゃないけどぉー、結構モテるんでぇー、いろんな男の人と常に恋してますよぉー。」「やっぱり女は、男に愛されないとねぇーっ。」


 世の中に跋扈する上記のようなセリフの中に、ただ一つでも美千代ほどの覚悟が存在するだろうか。また、代助の「僕の存在にはあなたが必要だ、どうしても必要だ」と言う言葉ほど切実に相手を求めているだろうか。


 本屋の「女性コーナー」には、恋愛本、モテ本が山積みされている。女性誌の特集は、いつも恋愛。「モテ女になる!」「クリスマスまでに彼氏をGETしちゃおうっ!」「男を魅了する魔性の女になろう!」「セックスでキレイになる!」「小悪魔こそがイイ女!」「磨いて愛される女になろう!」「いい男をモノにするテクニック」


 だから、なんだというんだろう。それが、果たして恋愛なんだろうか。代助の言葉、美千代の覚悟を読んだ後にそれらの字面を眺めると、悲しいぐらい空虚なものに見える。
 「それから」には、セックス描写などないし、二人の間に性的な関係は無い。漱石は「肉の匂いのしない」恋愛を書こうとしたらしい。だが、二人の間には濃密な空気が流れる。美千代が代助に呼ばれて彼の家に来た時、一本の白百合の花を持っている。美千代は、その花に顔を近づけ目を閉じて香りを嗅ぐ。それを見て、代助は「そんなことをしちゃいけない」と言う。そのしぐさを、正視できなかったのだ。私は、この場面は、ひどく官能的な場面だと思う。それまでにも、代助は、美千代と二人で向き合う度に、この時間は、危険だ、危険だ、と何度も自分の中で繰り返している。


 セックスするのは簡単で、セックスすれば相手のことを本気で愛してしまったような錯覚に陥ることもある。寂しい時にセックス。求められたくてセックス。必要とされたくてセックス。何も考えたくないからセックス。セックスは便利だ。見てしまうのが怖い何かから目を逸らすのにセックスは便利だ。セックスが無いと、愛されていないような気分になる時がある。セックスしていると「愛してる」という嘘も簡単につける。


 覚悟のある恋愛の果てには、まさに恋の賜物、恋の刑、つまりは天国と地獄が待っている。美味しいとこどりでは済まされない。人を傷つけ、自分も傷つき、それに直面しなくてはいけない。生き別れか、死に別れか、いつか我が身が引き裂かれるような瞬間がくることも約束されて、それでも自分の存在はあなた無しでは有り得ないと思えるほどの激しい恋愛。


 


 「愛の讃歌」を歌ったフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフ。彼女は恋人の妻子あるマルセル・セルダンを想い、こう歌った。


「この人にためなら、世界を敵にまわしても平気。この人をかばいとおしてみせる」

 この歌について、美輪明宏は以下のように書いている。

 『恋というのは自分本位なのよね。自分の欲望を満たす為に相手が欲しい。自分のためだけに相手を求めるの。でも愛というのは違う。自分という存在が消えてしまって、この世の中に相手だけしか存在しなくなるの。ピアフとセルダンの間には愛するのに必要なものだけで、それ以外のものは一切ない。そういう凝縮した愛を知らないで、一生を終える人のどれだけ多いことか。みんなそこそこの恋愛をして、そこそこで終わるのよ』

 セルダンは、ピアフに会いに行く途中で事故死する。ピアフは自殺未遂のように4度も交通事故を起こし、麻薬とアルコールに溺れて死んでいく。不幸な結末かも知れないが、一生のうち、そこまで、ただ一人の人を必要することが出来たことを羨望せずにはいられない。



「僕の存在には、あなたが必要だ。どうしても必要だ。」



 そこまで必要とされたことがあるだろうか。そしてそこまで必要としたことがあるだろうか。あなたでなくては駄目なのだ、他の人では代替はきかないのだ、あなたという人間が自分の存在の為には必要不可欠なのだと。

 そして、世界中を敵にまわしても平気、かばいとおしてみせる、私だけはあなたの味方でいるというほどの覚悟を、口先だけでなく、熱に浮かされた瞬間の状態でなく、自己の言葉に陶酔しながらではなく、性衝動に流されてではなく、その決意に慄然とするほど真剣に、自分の世界が粉々になり恐怖と歓喜で震えるほどに強く切実に想ったことがあるだろうか。そのことを自分の胸に突きつけると、苦しい。それほどまで真摯になったことがあるだろうか。いつも傷つくことを怖がってばかりで何かから目を逸らして逃げ場を作ってきたような気がする。


 口では、なんとでも言える。しかし、誠の想いの籠もる言葉には言霊が宿る。言霊宿らぬ愛の言葉は、言うのも聞くのも虚しい笑止の蛍。言霊宿る言葉は、想いが伝わる。だから言葉は美しい。そして、怖い。


 誰でも、残された時間は限られている。「そこそこの恋愛をして、そこそこで終わる」それも一つの人生には違いない。しかし、それは花の咲かない桜の樹のようだ。



 世の中に蔓延するほとんどの恋愛論及びそれに付随するセックス論が、空虚で消費されるだけのものに過ぎないのは、一番核になるべき部分が抜け落ちているからだ。



 僕の存在には、あなたが必要だ。どうしても必要だ。
 どうしても。