私たちの望むものは


 たまに、自分の罪悪感の重さに呆然とする時がある。


 私がパスポートを持っていないのは、自分は一生海外旅行になど行けないと思っているからだ。
 私がどんなに親に勧められても見合いをしないのは自分のような人間を結婚相手を探す場になど出すべきでないと考えているからだ。
 私がファッション雑誌などを読まないのは自分とは一生縁が無い違う世界のことだと思っているからだ。
 私が他人と交わりたがらないのは「自分の恥である過去」を知られると軽蔑されると思っているからだ。
 私が大人のおもちゃが嫌いなのは、あれは女が自ら喜ぶ為に使用する道具ではなく、男が女を苛む為の道具だと思っているからだ。
 私が酒を飲まないのは、酔って男に縋る言葉を録音されて脅迫されたことがあるからだ。

 
 私が未だに非通知の電話に怯えるのはサラ金の取立てを思い出すからだ。
 私が未だに親からの電話に怯えるのもサラ金屋が何も悪くない筈の親に凄まじい言葉を並べて取り立てをしたことを思い出すからだ。
 私が未だに踏み切りを見てゾっとするのは、何度もそこに飛び込もうとしたことを思い出すからだ。
 私が未だに高い場所から下を見下ろすと吸い込まれてしまいそうになるのは、飛び降りようとして飛び降りることができなかった記憶がよみがえるからだ。

 
 私が「セックスすることができない」女達が好きなのは、彼女達は私の心の隙に入り込んで私を愛するフリをして痛めつけることがないからだ。
 私が出産する気がないのは、自分のような人間のクズの遺伝子を残すなんて考えるだけでもゾっとするからだ。
 私が自分は結婚などするべきじゃないと思うのは、自分のような女の、人間の不良品の人生など、他人に負わすべきじゃない、ましてや好きな男に負わせるべきじゃないと思っているからだ。

 私が簡単にセックスできないのは、「セックスが好きな女」だから、セックスさえ与えておけばいいとか、セックスを与えてやるからと代償行為を求められるのが嫌だからだ。そんなにセックスが好きなら娼婦にでもなって、その金を貢げと言われるのが嫌だからだ。そんなにセックスが好きならいろんな男と楽しめばいいと言われるのが嫌だからだ。


 私が人の多い場所が嫌いなのは、身体を絶望と孤独が蝕むからだ。


 私がアブノーマルな行為が苦手なのは、本命の恋人には出来ないけれども、こいつなら何をしても許すだろうと何度も試されたからだ。
 私が「社会的に、きちんとしている女」を演じているのは、そうしないと生きることを許されないと思っているからだ。
 私が性的なモノに過剰に潔癖症ぶって嫌悪を示す人間を憎むのは「性欲に振り回されて破滅した人間」である自分が蔑まれているように思うからだ。

 私が人と接したがらないのは、人間の不良品である自分がバレて、お前などここに存在するべきじゃないと面と向かって言われるのがが怖いからだ。

 私が恋人に対して、いつも卑屈なのは、こんな不良品を好きになってくれるなんて申し訳がないと思っているからだ。他の女のところに行かれて当然だと思っているからだ。私と一緒にいるとあなたは不幸になるからと思っているからだ。人を好きになる度に、断ち切らねばいけないと、終わらせることばかりを考えている。だからいつもうまくいかない。



 いつまでこんな罪悪感を背負って生きていかねばならないのか。20代のほとんどを一緒に過ごした男と一緒に居る為にサラ金に手を出していろんなことを失ったこと、次に出会った男には、その男の言うとおりに排泄物を浴び歩道橋で咥え精液のついたティッシュを送られて、それを全て受け入れた私はうんざりされて捨てられて、他にも、痛いことばかりをする男やら、嘘ばかりをつく男やら、男と関わる度に「見る目の無い」私、そして「男にそうさせてしまう」私、そういう愚か過ぎる自分という女に絶望する。お前なんか生まれてくるべきじゃなかったんだよと耳元で囁く死神の声が聞こえる。


 一生、誰も好きにならず、誰ともセックスせず、人と関わることなく生きていくべきだろうと、本当は思っている。何も望まない人生を送りなさいと。お前の欲望は自分自身をも周りの人間をも破滅させるから、と。


 何か「欲しい」と思うものに巡りあえても、「お前は何も望む資格などない」と、その度に誰かの声が聞こえる。


 自分の絶望の深さに、時折ゾッとする。いや、時折じゃない、しょっちゅうだ。お前の望みなど、叶うはずがない、お前は何かを望む資格などない、何故なら、お前は生まれてくるべき人間じゃなかったんだよ、と誰かの声が聞こえる。

 誰の声か。それは、あの男の声だとずっと思っていた。私の性欲と恋愛感情を利用した、あの、私の最初の男の声だと。

 本当は、あの男の声などではないと、私自身の声だと気付いているのに。


 早く、私は私を許したい。人が許さなくても、自分だけは自分を許してあげたい。そうしないと、いつまでたっても絶望で雁字搦めで前に進めないままだ。
 絶望など抱いて生きていて何になる。絶望の先に見えるものは墓場だけしかないというのに。

 本当に生まれてくるべきじゃない人間なら、とっくに、どこかで死んでいるはずだ。こうして生き延びることが出来ているのは、生きる資格が、きっとあるのだろう。

 私が私を許すには、何かを諦めてしまわずに、自分の中の欲望の声に従い望み続けることしかないような気がする。

 余計なことに惑わされずに、自分の中にいる「自分の神様」の声に従って。


 私は、許されたい。
 許されないと、生きていけない。


 許してください。そうしないと、生きていけないし、生きるのが、辛すぎるのです。



 私たちの望むものは、絶望などでは無いのだから。


 だから、お願いだから、許してください。どうか。
 だから、私は。