その5 〜Nちゃんへの長い手紙・前編〜


 Nちゃん。
 お姉さんは会社を辞めて実家を出て独り暮らしを始めて環境の変化にバタバタしたり慣れないことだらけで戸惑いながらも、なんとか元気に暮らしています。
 会社を退職する時に皆に花束を贈られて私は泣いてしまって、あなたも泣いていて、お姉さんは何でこんな去りがたい想いをしてまでも自分は実家を出るんだろうと思いました。


 私が何故実家のある田舎を出て親に大反対されながらも京都に戻ろうとしたのか。その理由を今までちゃんと話したことはなかったですよね。毎日会社で会っていたにも関わらず真面目にゆっくりと話をしたことはなかったような気がします。


 その理由を少し長くなりますが、あなたに伝えようと思います。何故そうするのか自分でも実はよくわかりません。別にわざわざこんな話をする必要もないのかも知れない。でも何となく私はあなたにこの話を話さなければならないと思ったのです。もしかしたら、それは私があなたにAVを貸し続けていたこととも繋がるのかもしれない。



 私は昔から自意識過剰で可愛げの無い劣等感の強い卑屈な人間でした。容姿だって良くないし頭も良くないし金持ちの娘というわけでも無い。文学少女で夢見がちで頭でっかちなで傲慢な私は嫌なガキだったと思います。人と上手く付き合うことが出来ず人との距離を測ることが出来ず。そのせいか小学生の時はいじめられっ子でした。
 私は「人と同じことができない」ということでずっと劣等感を持ち続けていました。私の中では「人と同じことができない」ということは「ちゃんとしてない」ということで、どうして人が皆当たり前に出来ることが私には出来ないんだろうと思っていました。
 

 私はとにかくこの電車が一時間半に一本しか無いような山に囲まれた田舎の町を出たかったのです。私が子供の頃はテレビで当たり前にCMをしているマクドナルドやローソンもこの町にはなかった。これを言うといろんな人に驚かれますが、私が生まれて初めてコンビ二に入ったのは高校3年生で大学入試で京都に来た時です。

 「ちゃんとしていない」自分は、とにかくどこへ行っても知り合いだらけで監視されているような気分になる田舎を出たかった。とても真面目で働き者の「ちゃんとしている家族」達と一緒に居ると自分の駄目さがどんどん重くなってきていました。とにかくこの田舎を出なければと思いました。
 幸い、というべきか、田舎過ぎて通える大学というものがありませんでした。すなわち「大学」に行けば必然的に田舎を出られるのです。私は「大学」に行こうと思い高校3年生になってからは勉強するようになりました。数学と理科が全く駄目だったので国公立大学に進学というのは諦めました。数学はいつも赤点で何度も0点を取りました。勉強をしなくていつも赤点ならしょうがないですが、必死に勉強しても赤点しか取れなかったから駄目だと思いました。本当に自分は頭が悪いと思いました。それでも日本史と国語だけは好きだったので、なんとかそこそこのレベルだと言われる大学に合格しました。


 その大学の専門分野は教育関係です。今の私なら考えられないのですが先生になろうと思っていました。人に何かを教えたかったわけではないのです。子供が好きなわけでも無い。ただ、そういう「ちゃんとしている」と人から思われて親からも褒められるような職業に就くべきだと思ったからです。本当は国語や日本史が好きだから国文科や史学科に行きたいなという気持ちもあったのです。でも「学校の先生」という「誰から見てもちゃんとした」職業に就かないといけないと思ったのです。
 私は自分は本当に駄目な「ちゃんとしていない」人間だから、「ちゃんとした」仕事に就くべきだと思っていたのです。


 しかしいざ大学に入ると勉強についていけませんでした。大学なんてわりと誰もが単位をとって卒業できるところのはずなのに、それができなかった。そして周りの人とも仲良くなれませんでした。「田舎モノ」で「人としても女としても駄目」で「貧乏」な私は、その華やかな女子大に通うことが出来なくなったのです。同級生が皆美しく幸せに世の中を渡っているように見えていました。合コンに行って彼氏が出来てブランド品を持って海外旅行に行って友達がたくさん居て、それでいて単位もきちんと取れて良い会社に就職を決めて、と。
 「人と同じことができない」「人が当たり前のようにできることがどうしてもできない」私は、自分を「不良品」だと思っていました。女の、人間の不良品だと。


 実際は、皆が皆そんな華やかで幸せではなかったと今ならわかります。でもその当時の私は自分以外の全ての人は「生きることが上手だ」と思っていました。


 そうやって独りよがりな劣等感の塊だった私は、ずっと彼氏もおらず処女でした。好きな人は居ても、その人が私を好きになってくれることはなかった。今ならそれもわかるのです。あんな卑屈で自意識過剰で僻みっぽい情緒不安定な女なんて人に好かれるハズが無いです。


 私は何年か大学を留年して、そのまま中退しました。せっかく「ちゃんとした」大学に入ったのに、卒業できなかったことが私の劣等感をさらに重くさせました。
 私は卒業も就職も人付き合いも恋愛も何も人並みにできなかったのです。私は「恥ずかしい」と思いました。私みたいな不良品は生きているのが恥ずかしい、と。間違って生まれてきたのだと。実家にも滅多に帰省しませんでした。親の顔を見るのが辛かったのです。こんな不良品の娘でごめんなさい、と。私みたいな不良品の娘で、ごめんなさい、と。


 キスもしたことがなかった私が、初めてラブホテルに入ったのは24歳の時です。相手は19歳の頃からの知り合いの22歳上の男でした。親ほど年齢の離れた人ですが彼と喋るのは楽しくて彼は私の理解者だと思っていました。同世代の男とは話が合わないし露骨に傷つくことを言われたりするので苦手でしたが、その22歳上の彼だけは私を面白がりはするけど、私のことを否定しなかった。彼と話をすると時間がどんどん過ぎていきました。それでも年齢の事もあるし、彼には婚約者が居たので恋愛感情というのではなかったのです、多分、最初の頃は。


 性的好奇心は強いのにキスもしたことがない私に彼は驚きました。彼は「好奇心」で私をホテルに誘い自分の性器を見せました。私は言われるがままにそれを口にしてキスより先にフェラチオを覚えました。その時は彼とはセックスしませんでした。私が処女だということ、自分には婚約者がいること、恋愛感情が無いことなどで、それだけはしてはいけないと言っていました。
「俺はお前には幸せになって欲しい。」と、その時に頭を撫でられながら彼に言われたことを未だに覚えています。


 それでも、それから少し後に私は泣いて懇願して彼と初体験をしました。私は初体験は「好きな人」とするものだと思っていました。そしてその私は、いつのまにか自分の初めての理解者であるその人のことを好きだと思い込んでいたのです。私に「俺は他の女と結婚するし、お前に恋愛感情は無い」と言うその人に懇願して、初めてのセックスを「して頂いた」のです。泣いて頭を下げて哀れんで頂いて。


 その人しか居ないと思っていました。私の事を理解してくれる人は、否定しない人は。たとえ私のことを好きではなくても、それでもいいと思いました。「ちゃんとしていない」「不良品」の私の事を否定しない人なんて、その人以外にはこれから先現れないと思いました。だから滑稽なほど少女じみた思い込みで、彼と生涯を供にしようと私は思っていたのです。


 今ならわかります。私は彼を愛してなどいなかった。依存してただけです。彼という人間など見えてはいなかった。私という人間を映す鏡として依存していただけで。だから「彼が死んだら私も死ぬ」などと、ほざいていたのです。


 ある日、彼が仕事が上手くいかない、自分の田舎に戻らないといけない、と、言いました。彼の田舎には彼の大事な婚約者が居ます。お金が必要だという彼に私はお金を貸しました。元々貯金など無かったので彼に頼まれてサラ金でお金を借りて彼に貸しました。


 そしてその後は、笑えるぐらいベタな話で。
 彼は私に金をせびり続けて私は借金を重ねてお金を渡し続けた。彼と離れたくなかった。私を世界で、ただ一人否定しない彼を失うと自分は死ぬと思った。彼は何故か婚約者と結婚することもなく私の部屋に来て金をせびり、私は彼に「して頂く」状態が何年も続きました。本当に、うんざりするぐらい長い間。私も私でその間、他の男の人と関係するといったこともなかったのですよ。そこまでされていても、私は彼と一生添い遂げる気でいたのです。たとえ愛されなくても、好かれていなくても、私を否定しない、私の理解者は、この人以外には居ないと思っていて。
 本当に、今時間がたってあの頃のことを思い出すと、自分の愚かさ加減に笑いがこみ上げてきます。私は、その人と長年一緒にいて、キスなど2回ほどしかしていないのですよ。挿入だって、数えるほどです。お金が欲しい時しか、挿入してくれないんですもの。それがどういうことを意味するか、どういう扱いを受けていたのか、その当時は全くわかっていなかったのです。


 いつのまにか借金は返しきれない額になっていて、そのうちいろんなことがあって、親にもバレて、私は10年以上住んでいた京都を離れ実家に戻ることになりました。その頃には、もう他の男と関係したり、仕事という楽しみが出来たりで、その男から心は離れていたのですが、それでも私は私の弱さのせいでいろんなものを失い生活を破綻させて親にも迷惑をかけてしまいました。


 そういう経過があって私はあれだけ嫌いだった田舎に戻ってきました。もう30歳を過ぎていました。自分は本当に「不良品」で、どうしようもないと思いました。でも誰を責めることもできないのです。全部自分が悪いのだから。


 それでも、私は生き続けなければいけなかった。死ねなかった。死にたい、死にたい、とずっと思ってきたのに。
 生きるには、生きる術を身につけなければいけないと思いました。なりふりかまわずにプライドなんて捨てて余計なことを考える暇があるなら、生きることを考えなければ。
 てめぇみてぇな女の、人間の不良品は、結婚もできねぇし、子孫を残すなんて、とんでもねぇよ。てめぇなんか、生きる価値がないんだよ、間違って生まれてきたんだよ。
 誰か殺してください殺してください殺してください。
 誰も殺してくれず自分で自分を殺す勇気もないなら、生きるしかない。
 生きる術を身につけて。クソみてぇな連中に頭を下げながら、泥水吸って、それでも生きていかねば。誰も私を殺せないのなら。


 
 それからの「私」が、Nちゃんの知ってる「私」です。派遣で入った会社で同じ部署になってAVを貸したりし始めてから、仲良くなりましたよね。なんであなたにAVを貸したかというと、それはただ単に、あなたが赤面して恥ずかしがる姿が可愛かったという理由だけなのですが、あなたはそれを「不思議な縁」だと、この前言ってましたね。
 私も、それはしみじみと思います。これは「縁」だと。


 私は、きっと皆から見たら「すごくよく働くし、仕事も出来て、会社が休みの時とかに別の仕事をしたりもして、それでいて勉強して資格取ったりしてる、優秀な頑張り屋」と思われてるでしょう、「強い人」だと。よく、そう言われます。本当は私ほど弱くて駄目な人間は居ないと、生まれてくるべきじゃなかったと、ずっと思っていたような人間なのに。

 
 だから私はたまに虚しくなります。今の自分が「嘘」のように思える時がある。


 Nちゃん。
 私は、田舎に不本意に戻ってきてから、ずっと昔住んでいた京都に戻りたかった。戻らなければいけないと思った。自分の「弱さ」が引き起こした様々な出来事で、人に迷惑をかけて自分もボロボロになり家族も友達も悲しませて仕事も失った私は、戻らなければ自分の「傷」を克服できない、と思っていたのです。その為に働いてました。実家を出て一人暮らしをする資金と、少しずつですが借金の肩代わりをしてくれた親に返済する為に(これは実はまだ返しきれていません。)遊ばずひたすら働きました。そして何の特技も無く学歴の能力の無く若くも美しくもない女が一人で生きていく為の術を身につけようと思い資格試験を受けたり仕事の幅を広げて「できること」を増やそうとしたのです。


 私は友達が少ないです。人と付き合うのは時間も金もエネルギーも使うことだからです。でも、その「少ない」友達は、だからこそ、一生つきあっていきたいと思える友達です。だから、Nちゃん、あなたに対しても、そう思っています。


 そうやって、私は念願叶って実家を出ました。両親は大反対で特に母には号泣されました。いったいどこまで自分は親不幸なんだろうと思いました。私は見事なぐらい自分の事しか考えてなくて自分の「欲望」の為に、親を泣かすのです。私の借金を肩代わりしてくれた親を。徐々に老いつつある親の住む田舎を捨てて。人が当たり前に背負うべきしがらみを捨てて。


 私は罪悪感に苛まれました。いえ、罪悪感はずっと重く背中に張り付き続けています。しかし親にどれだけ泣かれても「お前は、目の届かないところに出すと何をしでかすかわからない」と言われても、血尿を出させても、私は、そのまま田舎に居ることができなかったのです。死にかけていた母の母は私の手を握りながら「頼むから二度と親を悲しませるようなことをしないでくれ」と泣きました。もうすぐ死ぬ人間に、泣いて心配されるほど、酷いことをしてしまった人間なのです、私は。
 その祖母は、先日亡くなりました。


 Nちゃん、私は「強い」人間なんかじゃないのです。誰よりも「弱い」。そしてその「弱さ」つまりは、自分を守ろうとしている「過剰な自我」でたくさんの人を悲しませて自分もいろんなものを失ってしまった、そんな人間なのです。


 「自分に自信が無い」という劣等感に、ずっと苛まれていました。そしてそれ故に、自分を否定しない一人の男に執着して依存して、結果、破滅しました。「人が簡単にできることが、どうして自分はできないのだろう」とか「どうして自分は上手く生きられないんだろう」「どうして自分はこんなに駄目なんだろう」そんなことばかりに囚われていました。


 でも、Nちゃん、本当は、そんなことはどうでもいいことだったのです。自分に自信なんて無くていいのですよ。自信が無い方が向上心が芽生えるし、謙虚にもなれる。人が簡単にできることができないなら、できなくていいのですよ。今の世の中生きる道は、いろんな選択肢があるのです。
 いろんな生きる道があるんだから、自分は自分の生きる道をただ進めばいいんですよ。上手く生きられなくていいんですよ、そんな器用じゃなくても、いいんですよ、駄目でも弱くでもいいんですよ。そういう自分のままで、自分の生きる道を見つければいいんですよ。そのままでも生きていける場所は、あるんですよ。駄目で弱いままでも好きになってくれる人もいるんですよ。


 Nちゃんが、言ってましたよね。「やりたいことはないけれど、それならば、嫌じゃないことを、とりあえずやってみよう」と。
 そうしていけば、きっといつかは何が自分の生きる道が見つかると思うんです。



 私は、あなたが時折見せる寂しそうな表情と「私は本当に馬鹿で駄目な人間なんだよ。」という呟きが、ずっと気になっていました。私も含め周りの人間から見たら、あなたは純朴で素直で若くて可愛らしくて、何も恐れるものはないように見えます。けれども、あなたと話していて、あなたが劣等感が強く「自分に自信が無い」「駄目」な人間だと、自分のことを思っていることもわかっていました。


 だから、私は、あなたにAVを貸したのかもしれません。実は自分と似た人間だから、あなたに貸したのかもしれません。最初は、あなたは私と正反対の人間に思っていたけれども。


 私は、あなたぐらいの歳に、地獄のような生活を送っていました。唇すら許さない男に執着してサラ金に手を出して欲しいものは何一つ手に入らない自分を早く殺したいと願い続けていた暗黒の20代でした。


 あなたには私のようになって欲しくないと切に思います。私のような人生を送って欲しくない、と。自分を信じられず人も信じられず自分を責め続けて何もかも自分の欲しいものが手に入らない人を愛さず愛されず自分も愛せず世の中を憎んで自分も憎む、ただ全てが破滅することだけを願うような人生を。


 私は長い間「弱い自分」「ちゃんとしていない自分」「あたりまえのことができない自分」「駄目な自分」を許せずに劣等感で生きてきたあまり、「自分を否定しない」男に依存して周りの忠告も聞かず破滅することも厭わず自分を愛さない男の為に生きてきたのです。
 そして生活も、その男との関係も破綻して、今度は罪悪感に苛まれながら生きています。いえ、でも、だいぶ軽くはなりました。それは自分の力で実家を出ることができたのと、Nちゃんを始め、「駄目で弱いままの私」を否定せずに友達で居てくれる人は、実は、あの男以外にもいることを知ったからです。


 私は自分の過去の話を一部の親しい古い付き合いの友人以外の人にはずっと言えませんでした。恥ずかしいことだからです。あまりにも「弱く」「愚か」な自分を人に見せることができなかったのです。そうして「弱く」「愚かな」「恥ずかしい」自分を曝け出してしまうと、誰もが私から離れていくと思っていました。最低だ、人間のクズだ、お前なんか死んだ方がいいんだ、と言われるんじゃないかと。
 弱く愚かな自分を人に曝け出すことができなかった。人に否定されるのが何よりも怖い私が、こんな駄目な不良品で誰からも愛されない死んだ方がマシな私の、一番「弱い」部分を人に曝け出したら、最期だと思っていました。


 だから恋愛でも私はずっと卑屈でした。私みたいな人間に好かれたら相手は迷惑するだろうと思って自分から好きだと言えなかったし、相手から好きだと言われても、この人は一時の感情の高ぶりでそんなことを言ってるだけで、相手は私じゃなくて他の誰でもいいんだろう、と思うようにしていました。相手を信じられず自分の気持ちを伝えることもできないから、いつも不安定で信頼関係が無くて、相手が必死に私に近づいてくれようとしても、それを信じることができなかった。そのくせ私は本当は愛されたかったのです。愛したかったのです。人を愛するということは、「許す」ということです。相手も許して自分自身も許すということだと思います。



 人は、「許されたい」。



 自分を肯定されたい、許されたい、そうしないと生きていけないのです。だから人を好きになるのだと思うし、人に好かれたいのだと思うのです。「愛されたい」と強く思っている人ほど、許しを請うているのだと思います。皆、大なり小なり「許されたい」のだと思うのです。 


 生きていくことは地獄だと思います。不条理でどうしようもない嫌なことばかりでいろんなことが思うようにいかずに最悪な出来事が次々に我が身を襲ったり。どんなに一生懸命生きていても、真面目に生きていても、どうしたって地獄なんです。苦しむ為に生まれてきたようなものだと思います。


 だから、人は「許されたい」。この世は地獄だから許されたい。肯定されたい。だから愛されたいのだと思います。そして愛したい、誰かを許したい。それが「救い」なのだと思います。


 友達を作ることも本を読むことも映画を見ることも全て自己肯定できるものを探すという行為だと思います。何か共感できるものにめぐり合いたい、そうやって自分を受け入れてくれる何かに出会いたい。だから本を読んだり映画を見たりネットで自分の興味あるものを探したりするのだと思います。そして、その自己肯定の最たるものが「愛されること」であり、「愛すること」なのだと思います。だから「愛されて、愛する」つまりは「愛し合う」ということが至福の喜びで、人はそうやって形の無い愛などというものを求めているのではないでしょうか。


 許されたい。生きていいと言われたい。あなたが必要だと言われたい。そうされないと、人は、多分、死にます。


 Nちゃん、長い手紙になりました。
 もう少しだけ、お付き合いください。