勃起年のあいさつ


 あけましておめでとうございます。
 今年は勃起年(たつどし)、本年もよろしくお願いします。

 勃起年には、「立ち上がって、まず行動せよ。勃起しなければ射精はできない(動かなければ結果はでない)」という意味もあるのです。こじつけだけど!

 大晦日は夫と南禅寺行ったり、元旦は京都でお詣りをした後に私の実家に帰省しました。夫は私の地元の商店街でウキウキしながら変な看板の写真とか撮っておりましたよ。家族にはさりげなく私の仕事はスルーされています。どうやら「無かったこと」「ふれてはいけないこと」にされている模様……でもいいの! あたし負けない!

 一昨日の夜から仕事開始したのですが、まだ身体が休みモードでだらりんこ。新年一発目の読書は「親鸞」(五木寛之・著)だったけど、読みやすくておもしろかった。
 いつまでもだらだらしたいところなんですが、引越しが決まったのでそうはイカの金玉夫人。

 今年は張り切って年賀状を発注し過ぎて余った。めんどくさーとはいつも思ってはいたんだが、年賀状でしかやりとりしない人などもいるから、必要なことだとも思ったりする。団鬼六先生のエッセイに、団先生のお父様が、昔の恋人と年賀状だけでつながり続けた話があった。すごく切ないエッセイだった。年をとると年賀状は「まだ、生きてますよ」というサインでもある。

 昔の男(2番目の妻子持ち鬱病変態男)に、「あけましておめでとう」と言うと、「何がめでたいんだ、死に近づくだけなのに」と言われて正月からどよーんとしたことがある。死に近づくからこそ、それまで生きていられたことを感謝するべきだと今なら反論したい。死にたい死にたいと言っていた、その男は今はどうしているかわからないけれど。そういえば最初の男もよく「俺は鬱病だ、死にたい」とよく言ってたな。人から借りた金を踏み倒してピンピンしてるみたいですけど。

 昨年、初めての本が出て、様々な方に取り上げてもらって、やっと「作家」と名乗ることが出来るようになった。けれど、まだまだ「新人作家」に過ぎなくて、ホントは堂々と出来ないんだ。
 新年の抱負というほどのもんじゃありませんが、人の心を揺るがす良い物語が書きたいです。それしか思うことはないです。
 今年もよろしくお願いします。