しあわせなバカタレ

 TOHOシネマズ六本木で、「監督失格」初日初回を観た。

 試写で一度観てるんだけど、この映画が一般に公開される「瞬間」に立ち会いたかった。
 ただ映画を観るというだけではなく、自分の中で儀式というような気がしていた。感覚としては、お葬式。 前へ進むための、いろんな気持ちを葬るための、お葬式。

 けれど葬り去ることなんて本当は出来ないのだ。本気で誰かと関わったり、本気で何かをやってきたり――必死でやってきた全てのことは、自分という人間を形成する血となり肉となっている。だから「訣別」なんて刃物で身体を切り裂くようなことは容易じゃない。時間が解決することもあるけれど、時間と共に育てられてしまうこともある。

 うちの夫は過去の恋愛は鍵をつけて封印してるらしいけど。
 私はそれが出来なくて、チクチクと今でもふとしたところで胸を刺す。
 それをネタにしてたりもするんだけど、ネタだから忘れられないのか、忘れられないからネタにするのかは、わからない。けど「ネタ」に出来る仕事についてよかったと思う。それで昇華出来ることってあるから。そうじゃなければ、もんもんと自分の中でぐるぐると周り続けて狂ってしまいそうだ。

 2度目の鑑賞の「監督失格」は、最初に観た時よりも、スッと感情移入してしまった。最初に観た時はかなり警戒していたからか。
 この物語が平野さんの極めて個人的な物語であるように、観た人間も極めて個人的な感情を引っ張り出される。
 だから、思うことは、ホントに人それぞれなんだろうな。
 きっと何とも思わない人もいるだろうし、冷笑する人もいるだろう。映画じゃないという人もいるだろう。
 ものすごく「批評」しにくい映画だ。

 でも私はこの映画を人にはすすめる。
 それは「二度とこういう映画が作られることはない」からだ。不可能だ。
 それにこの映画を創ることが出来るのは、平野勝之という天才にしかできなかったことだ。


 この一週間はずっと矢野顕子の「しあわせなバカタレ」がアタマの中で鳴ってて、映画観て、やっぱり辛くなったり苦しくなったりしながら泣けてしまい、号泣するのをこらえた。こらえずに号泣したかったけれど。泣いて泣いた、空っぽになりたかった。全部、頭の中から、流れ落としたかった。 号泣出来たらいいのに、全部涙と一緒に流れてしまって生まれ変わることが出来たらいいのに。けれどそんなの無理だ。叫んでも泣いても身体を傷つけても悲しみや寂しさからは逃れられない。

 最初に観た時、創作をすることの怖さとか地獄とか、そういうものがぐるぐるとまわって、平野さんをここへ追い込んだ由美香さんはひどいなぁと思ったし、平野さん=創作する人間が、しあわせかどうか、わからなかった。わたし自身が小説家になったことは、なりたくてなったし他のことできないし、幸せだとは思いつつも、苦しいなと思うこともあるので、なおさら。
 そして由美香さんも由美香ママもしあわせなんだろうかしあわせじゃないんだろうかとかぐるぐる考えた。「結婚して平和な家庭を築きたい」と願い続けそれが叶わず若くで亡くなった自分と同年代の一人の女性のことを考えるととても、つらい。生きてたら、彼女の望むしあわせが手に入ったかもしれないのに。私だってついこのあいだまで自分は一生こうして男の人と上手くいくことはないんだろうなと思ってて、諦められたらいいのに、それも出来ず、寂しくてつらかった。あんな可愛くて魅力的な人が、若くで亡くなってしまったことが、他人事とも思えなかったし、今でも悲しい。そのかつての恋人の「第一発見者」となってしまったのが平野さんだということが、戦慄するほどの「宿命」の凄味を感じて、とても怖い。
 人を好きになり、深くかかわることは、幸せだなんて、とても言えないなと、試写を観た時に思った。

 でも今回観て、最期に矢野さんの歌声を聞いて、それからパンフレットを読んで、平野さんは、しあわせなんだと思った。
 「あなたがそばにいれば しあわせじゃなくてもしあわせ」 
 このフレーズが、この映画の全てじゃないか。


 映画が終わり、平野さんと庵野さんと、あと由美香ママの挨拶があった。
 
 14年前、私が「由美香」という映画を観た時、私の周りの人は誰も「平野勝之」を知らなかった。知りようがなかった。
 それから細い糸をたぐるように、東良さんを知って、AVの世界に触れて、私自身も実家に帰ったり、京都に戻ったり、小説家になったり、いろんなことが、本当にいろんなことがあって年月が流れ。

 14年後に、こうして映画監督「平野勝之」が、大きな舞台にたくさんの取材陣に囲まれて立っている姿を観て、感極まってしまった。消えてもおかしくなかったし、実際に消えてしまうかと感じていたこともあったし、「伝説」で終わってしまうのかと無念に思ったこともあったけれど、こうして、大きな舞台に主役として「映画監督 平野勝之」が現れて、それを目の当たりにして、こみ上げてくるものが溢れそうだった。
 14年前に、初めて「創作者」を羨望した。作り手の味わう至福に心を囚われた。今に至るまでに。それが平野勝之「由美香」だった。

 大阪では自転車三部作の公開もあります。
 
 「監督失格」は、また観ると思う。何度も観たい。
 平野さんが「本当の気持ち」に気付いたように、観る者も、普段辛いから蓋をしている「本当の気持ち」に触れてしまうこともあるかもしれない。

 つらくて、かなしくて、さびしくて、言葉に出すことが出来ない自分の気持ちに。