怪談やら官能やら本屋やら


 3年B組、緊縛先生の授業を受けたい金玉夫人です! 
 告知やら友人関係の本の紹介やら連発します!


☆「死者はバスに乗って」 三輪チサ・著 

 第5回「幽」怪談文学賞長編部門大賞受賞作。長編部門の大賞は第1回以来、数年「該当作無し」で、「怪談の長編は難しい」と言われていた中に久々登場した注目の作品である。
 
 何故、肉体を失っても魂は残り、「霊」として現れるのか。
 あるいは人は「霊」を見たと言うのか、語るのか。
 それは肉体の喪失を超えた憎悪、未練、怒り、悲しみの念の存在を人が信じているからだ。それぐらい、苦しみの念は重く、救いがない。霊を信じるということは、あるいは霊の話を人が語り継ぐのは、その念を「生きている人間」も信じているからだ。

 物語は幼稚園の送迎バスを人々が目撃するところから始まる。しかし、それが「見える」人と「見えない」人がいた。そしてその後に次々とその街に起こる怪異――死んだ人間達が蘇ったという――そして家族を失いその悲しみと罪悪感にとらわれている人々が、まるで次々とそのバスに乗りこむように、引き込まれていく――行き先は――
 ミステリー仕立てで、読み続けていくうちに、ひとつ、ひとつ、絡み合った紐がほどけていくが、同時に救いようのない絶望と憎悪と悲しみの淵に読者も引き込まれ、背後で息を潜めていた恐怖に包み込まれる――

 私が、怪談に惹かれるのは、そこにあるネガティブな情念が、ときおり、すごく懐かしいからだ。肉体が滅んでなおこの世に残らざるを得なかった想い――それがひどく、悲しく、なつかしい。だから怪談は「文学」となりうるのだ。

 第一回「幽」怪談実話コンテスト大賞受賞者の三輪チサが繰り出す、心にヒリヒリと痛みを蘇らせる恐怖譚。

 
 三輪さんとは昨年はじめに、関西の怪談ユニット「怪談社」の怪談会で知り合いました。根っからの怪談好きの三輪さんがその時に、「こんなに怪談好きの人が集まっているなんて」と目を輝かせながら感動されていたのが印象に残っています。その時の彼女は実話怪談コンテストで受賞はされていたけれど、お互いまだ「作家志望」でした。その後、私が9月に団鬼六賞大賞を受賞し、11月に三輪さんが「幽」怪談文学賞長編部門を受賞して、今年の3月に私が処女作を出版し、三輪さんが5月に出版・・・・・・と、何故か併走しているような不思議な御縁です。実は私も「幽」怪談文学賞は短編も長編も応募してたけれど全くかすりもしませんでしたが、三輪さんの受賞作を読んで「そらひっかかりもせんわ」と深く納得いたしました。

 怖い話が好きです。近年は怖い話を読むことが多くなったせいか、ちょっとやそっとの「怪談」には怖がらなくなってしまった。もっともっと怖がらせてください、三輪さん。
 

死者はバスに乗って (幽ブックス)

死者はバスに乗って (幽ブックス)

 


☆「花鳥籠」  深志美由紀・著 

 俺の妻は浮気なんてしない――自信満々に、そしてどこか自慢げにそう断言する男は少なくない。「不倫願望がある」「妻以外と割り切ったセックスをしたい」「結婚してるけれど恋をしたい」男達は、「妻とはやってないよ」と言う、嘘か誠か知らぬけれど。そして、それを聞く度に、「じゃあ奥さんはどうしてるの?」と問いかけると、「したがらない」「子供に夢中だから」――浮気なんてしないと、男は言う。まるで「俺が食わせてやってるし子供もいるしそれだけで生活が満たされているから、そんなこと望むわけないじゃないか」と言わんばかりに。他のものを満たしてやってるんだから性欲なんてどうでもいいだろうよと言わんばかりに。
 どうして、自分は妻以外の女に欲望を抱くくせに、妻は「浮気をしない」と言い切れるのだろうか。
 自信満々に「妻は浮気をしない」という話を聞く度に、その妻が他の男と寝ればいいのに、と思う。そして思い切り欲望を解き放ち「夫より、いい」と思って欲しい。そうして、男に「なかったもの」にされている女の欲望を思い知らせてやればいいと、私はいつも底意地の悪さを愛想笑いの下に押し殺して、男の自慢話を聞いている。

 第一回団鬼六賞優秀賞受賞の本作は、「自分はしあわせだ」と唱える主婦・寧子の、夫に内緒のひそやかな「決して現実には介入しない遊び」から始まる。チャットで男とやりとりをしバーチャル・セックスを楽しんでいた寧子は、ある日、一人の「S」という男とそこで知り合い惹かれていく。「S」の命令により屋外で放尿をした寧子は、それを「シュウ」という少年に目撃され――そして安全だったはずの遊びは寧子の「現実」に入り込み、「しあわせ」だったはずの寧子の生活を侵食し、被虐の淵に堕ちていく――性の悦びに犯されながら。
 堕ちていくことは、転落ではない。開放なのだ――女が、女であるために。
 「籠の鳥」は恋をし、身体を、心を開放され、羽ばたいていく――例えそれが世間からすれば後ろ指さされるようなものであっても、「しあわせ」がかりそめのものだったと知ってしまっても――

 ネットを使った「現代」の、今、あなたの傍で起こりうる新たな官能世界。

 私は昔、ツーショットダイヤルのサクラをしていたし、最近でもさしさわりがあるので詳しくは言えないけれど、「出会い系」のライター仕事もしていた。すごくそれは勉強になったというか、世間を知ることのできた経験だった。この世には、現実の男と女の世界以外に、「架空」の男と女の世界があるということ。そして架空だからこそ男と女の「正体」が現れるということ――それならば、現実より架空の方が、真実めいているのではないか。

 恋と、セックスと。その2つともが「幸せ」をもたらせてくれるような相手と出会えたら、こんなに幸せなことはない。
 最高のセックスとは、抱き合って「幸せだ」と心の底から思えるようなセックスだ。だから、寝た異性の数や、「どれだけイかせたか」、自分がどれだけ「上手い」かを競い、自慢するような人は、「幸せなセックス」を知らないんじゃないかと思う。やりまん、やりちん自慢をする人達は。
 そして、好きな人との「幸せなセックス」は、とても、気持ちいい。だから、すごく、いやらしい。

 それを再認識させてくれた物語です。

 著者の深志美由紀さんという方が、現在進行形でツッコミどころ満載の「女の一生」展開中の人なのですが、それは本人により語られるのを待ちましょう・・・・・・なかなかすごいよ・・・・・。


 

花鳥籠 (悦の森文庫)

花鳥籠 (悦の森文庫)

 *深志美由紀さんのHPはこちら
  ちなみに「みゆきみゆき」さんと、読みます。



☆「名前のない女たち ベストセレクション」 中村淳彦・著(6月4日発売)

 昨年映画化もされた企画AV女優達の壮絶なインタビュー集のセレクト集です。既刊の4冊の中から選ばれたもので構成されています。
 とはいえ、私はこちらはまだ中身を読んでないのですが、注目していただきたいのはシリーズ2度登場する元AV女優・桜一菜の手がけた解説です。
 桜さんの解説は事前に読みましたが、痛いけれど「希望」が垣間見られる名文です。「あたまがおかしくなった」何度も自殺未遂を繰り返し精神病院にも入院歴がある彼女が必死に生きていこうとする決意が垣間見られます。

 桜さんのブログを、引用します。


>7年くらい前に語ってた「何か書いて本に載りたい」なんていうアバウト過ぎる10代らしい夢。病み過ぎた私は存在を証明をしたくて残したくてたまらなかった。始めた理由は違うけどAVも同じ。たった一人でもいい、射精の対象としてでいいから私の事を必要として覚えて、何時かふと思い出して欲しかった。もしも誰かの心の片隅に在れるのなら、もう心おきなく死ねる気がした。同時に生きれるかもしれないなんて気もしてた。真っ暗な絶望の中で何時も希望は捨てれない、だからきっと確信犯で手首を切るし死なないように救急車を呼んでいたのだと思うよ。

 ちやほやされたのは冠があったからというだけで、売れもせず企画落ちして精神崩壊したというのがとあるAV嬢の結末だったはず。だけど書店で偶然手にした自分のインタビュー記事が載っている「名前のない女たち」の書籍。何も自分で書いてないけど、其処にあった自分の存在。驚いて嬉しくて嬉しくて救われた心。どうしてもお礼が言いたくて、中村淳彦さんのブログを発見してあわあわしながらコメントを残した。5年くらい前の話かな。

 私は服を脱がないと必要とされない!と思って生きてきたし、だからセックスしてみる感じだったりする。オxxールとしての需要は少しくらいあるだろうと真剣に思ってた。相手がヤリ目的だろうがなかろうが「とりあえずセックルしようぜ他にやる事ないっしょ?ハメるなら優しくしてくれよ」とパンツを脱ぐ事しかできなかった。(今も多少はその考えが抜けてない部分もあるのだけどね。只今浄化中っス)

 「名前のない女たち」、中村淳彦さん、おかげで出会えた人達が、服を脱いでない私の存在を証明してくれたり、他にも需要はあるよと思わせてくれている。

 

名前のない女たち ベストセレクション (宝島SUGOI文庫)

名前のない女たち ベストセレクション (宝島SUGOI文庫)



 *元・桜一菜さんのブログ「とあるメンヘラの行く末

 *いつのまにか私のつぶやきが転載されていた中村淳彦さんのブログ「どうでもいいこと」



☆「悦」vol.5 (6月3日発売) 

 無双舎の官能文芸誌「悦」がリニューアルしました。表紙も紙質も前号までと変わっているのですが、本屋で思わず手に取りたくなるすばらしい装丁です。
 そしてこの号には、「悦」創刊時に寄せられた団鬼六先生からのメッセージの再録と、無双舎社長松村さんの追悼文、私の追悼文が掲載されています。

 当初は今回の号は私の執筆予定はありませんでした。団鬼六先生が亡くなって、その想いをブログに綴ったのですが、それを読んだ松村さんから「悦」に載せたいとの連絡があり、こちらとしては大変光栄なことなので承諾して、幾分か加筆して掲載に至ったのです。
 一度ブログで発表したものがベースではありますが、重要なところを加筆してあり、また団先生自身の言葉、松村さんの追悼文、そして私の文章と一冊の雑誌の中で展開される「団鬼六」からの、そして「団鬼六」へのメッセージを受け取っていただけたら嬉しいです。

 団先生が亡くなったことをきっかけに団先生を知った人も多いようで、本屋には追悼コーナーなどが設けられているところもあります。官能というジャンルが苦手な方ならば「真剣師 小池重明」「外道の群れ」「不貞の季節」などの壮絶な人間の業を描く小説や、「牡丹」「アナコンダ」などの人の世の悲しみと喜びを描いたエッセイ集などもありますので、この機会に是非、手にとってください。この作家と同時代に生きていたことに震えるほどの悦びを覚えることができるかも。

 

悦 vol.05 (季刊悦)

悦 vol.05 (季刊悦)


☆ 「私は男運の悪い女」 

 高収入求人誌モモコで連載が始まりましたコラム「私は男運の悪い女」の第一回がWEBにUPされております。この連載は12回予定で、様々な「私を踏んづけていった男達」を書こうと思ったのですが、なんか最初の男だけのネタで10回軽く超えそうな予感・・・・・・。

 こちらから読めます→http://momoco.ch/colum/kannon/



☆ 本屋の逆襲 

 現在発売中の関西の情報誌「Meets Regional 」7月号「本屋の逆襲」特集にて、アバンティブックセンター京都店の中村さんによって拙著「花祀り」が紹介されております。ありがとうございます。
 最近、本屋さんに立ち寄る度に自分の本が置いているかどうか、どういうふうに置かれているのかを必ずチェックしています。現在、売り切れ状態の書店さんも多いようですが、重版かかりましたので近く店頭に並びますのでお待ちください!
 私自身も本はネットで購入することが近年は多くなりましたが、やはりこうして自分の本が人の手を経て、多くの人が目にする場所に置いてもらっていることの喜びは著者としては何物にも変えがたいと思います。
 あまり書店に置いてなさそうな本を求める時や、特に忙しい時以外は、私は「本当に欲しい本」「待ちに待った本」は本屋さんで手にとって購入します。そこに「並んでいる」ということが著者にとって重要だから。ふらっと立ち寄った書店で表紙や帯を見て、思いがけず惹かれて購入する――そういう本を書いていきたいと思う。
 自分が初めて本を出版して、つくづく本というのは、出版社、装丁、イラスト、印刷、問屋、書店と、多くの人が関わって作り出していくものだということがわかりました。書くことは決して楽しいことばかりではないし、出す過程ではほんまにしんどいこともあるけれど、それでも私は本を出せる職業につけて良かったと、心の底から思う。