ひとはだ
わたしは、このところ、やっぱり平気でいられなくて。
個人的ないろいろなことを気にやんでいたのもあるけれど、そういうことを気にやむ自分の身勝手さや冷たさに罪悪感を感じてしまったりもして。
不安も押し寄せて。けれど安全なところにいて不安を感じる自分も、人を励ましたりすることのできない自分も、前向きなことが言えない自分も、嫌になって。
泣きそうで、だけど泣くことにも罪悪感を感じて、いつもどおりにしようと思っても、そんな気分になれず。
そして、ひとはだが、恋しくなった。
ひとはだに触れると、楽になれる。
優しくされると、嬉しい。
けれど、誰でも、そんなにうまいこと触れられるひとはだが無いことは、経験上よく知っている。
私も、拒まれないひとはだを、誰かのものではない禁じられていないひとはだがあるのは、生まれて初めてのことだ。
体力的にしんどいときに、幼い甥や姪にむしょうに会いたくなる。抱きしめて頬や手や足に触れて、顔をくっつけて匂いを嗅ぎたくなる。しんどいときは、いつも。
ひとはだが恋しいというのは、セックスしたいという気分のことをいってるんじゃない。幼く柔らかい者のひとはだや匂いも、優しさを齎してくれる。
ひとはだは、人間だけじゃない。
動物を撫でて、膝の上の重みを確かめて安心する人もいるだろう。人じゃないけれど、生き物の暖かさということでは同じだ。
血が通う、あたたかい、自分とは違う生き物に触れると、優しくされたような安らぎが身体中にめぐる。
恋人がいる人は、恋人の手を握って抱きしめてあげて欲しい。優しくしてあげて欲しい。
親は子供を抱きしめて、子供は親に縋り付いて。
ペットがいる人は、ペットと共に眠って。
1人でいる人は、外に出て、気が合う友達と話をして。
そうやって自分の心を救いながら生きていくしかない。
そして、やっぱり人は、ひとりじゃ生きていけないことはないけれど、ひとりじゃないほうがいい。結婚したほうがいいとか家族がいたほうがいいとかそういう意味じゃなくて、つながることができるひとがいないと、しんどい。
ラジオから、ふいに中島みゆきの「時代」が流れてきた。
時代はまわる――今居る場所で起こりうること全てを受け止め、そうして時の流れに抱かれることができたなら。