9月のできごと、その3 〜ENDLESS SEX WORLD〜
長々と書いておりますが、これで「9月のできごと」ラストです。
前回の続き。
代々木忠監督がにこやかな笑みを浮かべ、入ってこられた。
代々木監督が、ヨヨチュウが。
石岡監督が、代々木監督に「代々木監督、藩金蓮さんです」と、私を紹介してくださった。
はじめましてと、ご挨拶して、何か喋ったはずなのだが、よく覚えていないのだ。舞い上がってしまって。
ただ、持参した「悦」の団鬼六賞の応募要項のページを開いて、
「この賞を、受賞しました。主人公の名前は、代々木監督の『淫女隊シリーズ』の、渡辺美乃さんのお名前をお借りして、『美乃』にしました」
と、言いました。
代々木監督は、「悦」を手にして、その応募要項のページをご覧になり、
「これ、受賞したんだ」
私「はい」
「すごいね」
と、おっしゃって、笑みを浮かべられた。
あと、「藩さんは、書く力があるよ」と、言ってくださった。私が代々木監督の作品について、ブログで書いたものを、読んでくださっていたのだ。
今、こう思い出して書いていても、感動で涙が出てくる。
文章を、書いていて、よかった。
本当に、良かった。
そして、代々木監督の奥様が、とっても素敵な方でした。
「団先生には昔、とてもお世話になりました。谷ナオミさんとかね・・・。もし、団先生にお会いになったら、真湖道代がよろしく言っていたとお伝えください」
と、おっしゃってました。
そうです、奥様は女優をされていたので、団先生ともお知り合いなのです。
そして映画が始まりました。
三年間に渡り、石岡正人監督とプロデューサーの朱京順さんのもとで制作された「YOYOCHU SEX と代々木忠の世界」が。
笑福亭鶴瓶さん、精神科医の和田秀樹さん、漫画家の槇村さとるさん、愛染恭子さん、村西とおる監督、南智子さん、市原克也さん、太賀麻郎さん、加藤鷹さん、栗原早記さん、高橋がなりさん、本橋信宏さん、沢木毅彦さん、そして代々木監督の奥様と娘さん、その他、たくさんの方が出演されている豪華絢爛な映画です。
ナレーションは、田口トモロヲ、題字はリリー・フランキー。
上映終了後、代々木監督からご挨拶がありました。
「全部、映っちゃってるんで、何も言うことないんだよね」
と笑顔でおっしゃっていました。
映画の感想ですが、また改めて書くと思いますが、感じたことを、石岡監督に後日メールしました。そのメールから、抜粋したものが、以下です。
「愛染さん、南さん、渡辺美乃さん、男優さん達、笠原さん・・・「性」を背負い、囚われて、おそらく普通の世界では生きがたいであろう――つまりは己の過剰な性への渇望故に孤独を背負わざるを得なかった人達が、代々木監督という人の周りに集まり、絡み合い、縺れ、そして「作品」が生み出されていく。
それは本来はオナニーのためにつくられたアダルトビデオという枠組みに収まらない、過剰な渇望と孤独を炙り出しているかのような壮絶な作品――つまりは、「彼ら」そのもの――が生まれていく。
その「核」となる代々木忠という人物は何なんだろうか。
神でもなく仏でもなく悪魔でもなく鬼でもなく、ただの「人間」。
自らの孤独故に、人を求めるがためにその世界で生きざるを得なかった「人間」。
桐野夏生さんが「IN」という小説の中で、作家は欲望を描く仕事だ。欲望というのは弱さだ。人の欲望、つまり弱さを見る人種だと書いておられます。
欲望=弱さ=人間。
「作家」である代々木忠という人物は、そういう意味で誰よりも人間臭いのだと思いました。
中盤で、「セックス」に対する渇望が描かれ、笠原さんの登場あたりから、今度は親子関係に広がってくる。性から、生へ。
人は、誰も親から生まれた子供である。子供のままであると。親への愛を渇望している子供。
何故、人肌が恋しいのか。人を求めるのか、恋愛という形で、あるいはセックスという形で。
それは、人が誰も「母」から生まれてきた存在であるから。
そんなことを思いました。
個人的には、見ていて、途中、「わたしはセックスのことなんて、何にもわかっちゃいないんだな」と、つくづく思いました。
たまたま官能作家としてデビューが決まって、これからもセックスを描き続けていくことになるだろうし、過去に、いろんな男と、いろんなことをしたけれど、でも、セックスのことなんて、何にもわかっちゃいないんだ、と。
ブラックホールだ、セックスは。
そう思いました」
そう、映画を観ながら、ぐるぐると頭の中でまわっていたことは、「私は、セックスのことなんて、何にもわかっちゃいないんだ」ということ。多分、一生わからない。自分の人生を破壊し、地獄に落とした「性」――得体の知れない化け物のことを――でも、代々木さんも、そのわからなさ故に、わからなさを追いかけていて、72歳の今でもカメラを持ち、セックスを撮り続けられていて――だから、私は今までも、これからも、この人のことを追い続けていきたいのだ。
今回、代々木監督は、実際にお会いして、本当にカッコいいと思ったし、市原さんも片山さんも佐川さんも太賀さんも、心底カッコいいと見惚れてしまいました。
あと、画面の中の南さんや栗原さんや渡辺美乃さんも素敵で、代々木監督の奥様も素敵な方で・・・。
私は、この人達のことが、すごく好きで、惚れているのだと思いました。
そして、皆さんが、代々木監督のことを大好きなのだということもひしひしと感じました。
その想いが集約されたのが、この映画なのだと。
石岡監督は、初めてお会いした時から、いつも、代々木監督のことを話すとき、本当に嬉しそうで、ヒーローを語る少年のような顔をされます。自分のヒーローを、多くの人に知ってもらいたい、そして記録として残しておきたいという想いで、この映画を製作されました。
そう、この映画を監督された石岡さん、この映画に協力されている方々、皆、代々木監督のことを、ただ好きなだけではなく、追い続けているのです。
「AV界の父」代々木監督のことを。
誰も、実はセックスのことなんて、何にもわかっちゃいない。だから、代々木監督を追っている。カメラを担ぎ、セックスを撮り続け、「猥雑」の世界を探り、そこに生き続ける男――ヨヨチュウこと、代々木忠を。
☆ 9月28日 昼間。
原宿にて、バスガイドの後輩と待ち合わせ。25歳の彼女は、数ヶ月前に関東に引っ越して行った。
原宿駅で待ち合わせして、お昼を食べた後、「バスガイド的にここだろう」と、明治神宮へ。橿原神宮がどうだ、伊勢神宮がどうだと話をしながら。
半分はネタですが、思わず誘導経路や大型駐車場やトイレの確認。駐車場からはとバスが出てきて、バスガイドさんが左確認をしているのを見て、二人で「左オーライや!」と、つい反応したり。彼女と一緒に、あちこち仕事で行った日々が、懐かしい。彼女と私は煙草を吸わないので、休憩や部屋などで一緒に居ることが多かったのだ。久々に再会して、楽しい時間を過ごす。
夕方、彼女と別れ、無双舎さまに。
今回の第一回団鬼六賞を主催されている出版社です。
今後の打ち合わせ等。
実際に行くまで、受賞のことは「うっそぴょーん!」「ドッキリでした!」と言われるんじゃないかとか、夢オチだったとか、いろいろ本気で心配しておりましたが、どうも夢でも嘘でも無さそうです。
打ち合わせを終わらせ、新宿に行き、淫語魔と飯を食らう。また「和民」で。淫語魔に見送られながら新宿駅より夜行バスで京都に戻りました。
そうして、激動の9月が終わりました。
最終候補に残ったとの連絡を頂いてからは、比叡山の藤波源信阿闍梨にお加持を頂く機会に恵まれたり、候補に残った後に、私が一番好きな観音様である滋賀県高月町の渡岸寺観音堂の十一面観音様にお参りしたり、その足で、団先生の出身地の彦根に行き、彦根城天守閣で琵琶湖を眺めて祈願したり、やたらに友人達と会ったり、そんな一ヶ月でした。
1人1人名前を挙げていくとキリが無いのですが、友人達と、会ったことは無くてもmixiやブログで私の文章を読んでくださった皆様方に感謝いたします。
ホント、1人1人の名前を挙げていくとキリが無いのですが、代々木監督の映画に関わらせてくださった石岡正人監督、「名前のない女たち 最終章」の解説を書かせてくださった中村淳彦さん、「いい物を書いてさえいれば、必ずデビューできるから」と応援し続けてくださった山田誠二監督、この時期やたらと会って私の泣き言を聞いてくれた「チャーミング堂」店主・亥戸碧に田中課長、永く助けてくれた淫語魔、市原克也さん、二村ヒトシさん――マイミクの方達や、ブログを通じてメッセージ下さった方々や、友人達にこの場を借りて、ありがとうと言わせてください。
そして、誰よりも、私が文章を書く扉の鍵を開けてくれた、東良美季さん、ありがとうございます。あなたがいなければ、あなたの文章と出会えなければ、私はこの世界をこんなに知ることも無かっただろうし、こうして文章を書くことも無かったと思っています。
私の呪縛の鍵を開いてくださったのは、あなたの文章です。あなたが永く書き続けていた、アダルトビデオへの想いがこめられた文章です。
そして、代々木忠監督。
代々木監督という存在と出会えたことに、私は心より、感謝しています。代々木監督の生き方、姿勢、全て敬愛しています。
「YOYOCHU SEX と代々木忠の世界」
来年のお正月第二弾として公開予定のこの映画が、「藩金蓮」最後の仕事になります。
新しい名前は、明後日20日に発売の「悦」で、第一回団鬼六賞受賞者として、誌面に掲載されます。その際に、ブログ等でも、名前を変えるつもりです。
とは言え、実は浮かれてなんかいられなくて、現実問題として、新人賞を受賞しただけで食えるなんて思っていないし、私も今までにこの世界にちょいと足の指ほど突っ込んでいた程度でも、周りを見て、この世界がいろんな意味で厳しいのは知っているつもりです。当たり前のことながら、書き続けたいし、書かないで「作家」と名乗りたくも無いし、書くならば、いい物を書きたい。肩書きを「作家」とするならば、書いて書いて書き続けて堂々と名乗っていきたい。これからが大変なのは、間違い無い。賞金を頂いても、自慢じゃ無いが男に貢いでサラ金に手を出しまくった借金王なので、まだまだマイナスは埋められなくて、何とか今までの分を穴埋めしてプラスにするまでは、時間もかかるだろうし、浮かれて安住してちゃいけないだろう。これからいろいろめんどうなこともうんざりするほど起こるだろうしね。
そんな感じで、ここはゴールでは無く、やっとスタート地点なのは、間違いない。けれど、スタート地点に立てたことで、すごく、私は、ホッとしてる。やっと、だ。やっと書ける場所が与えられたのだと。
第一回、団鬼六賞の発表と、選考委員(団鬼六先生、重松清先生、高橋源一郎先生、睦月影郎先生)達による講評などが掲載される「悦」、よろしければ手にとってください。