9月のできごと、その2 〜そうだ、京都で縛ろう〜
☆ 9月18日、土曜日。
午後から、現代風俗研究会の例会に出席。この日に小説の賞の発表があると聞いていたので、気もそぞろ。
とはいえ、例会のテーマは「参議院選挙のおけるポスターの顔」で、面白かった。その後、烏丸御池の「和民」にて懇親会。こちらの現代風俗研究会には、歌人でライターの伯爵こと北夙川不可止氏のご紹介により今年から参加させていただいているのだが、例会も懇親会も毎度少しずつメンバーが変わったりするので、久々に自己紹介をという話になる。
その場で、私は、
「えっと、バスガイドと、藩金蓮という名前で、エロライターやってますけど、もしかしたら今日、肩書きが変わるかもしれません。第一回、団鬼六賞の最終候補に残っていて、今日、連絡があります。落ちたら、皆様、残念会お願いします!」
と、言いました。しかしホント、この日は現代風俗研究会(略して現風研)の例会があって、良かった。1人で部屋でじっと電話を待ってなんかいられない。そういったわけで、私は隅っこに座らせていただき、携帯電話をテーブルの端に置いていた。「ちゃんと電波届いているか?」と聞かれながら。地下のお店だが、何とかアンテナは立っていた。私はビールを3杯飲んで、ちょこっとだけ酔いもするが、心臓はドキドキビクビク電話が気になり食べ物の味がわからない。
19時ぐらいに、携帯がブルブル震えて、知らない番号が出て、あわてた私は、電波のいい玄関の方にそそくさと移動して電話に出た。
団鬼六賞主催の無双舎の方より、大賞を受賞しましたという連絡だった。
私が携帯電話で喋ってる時に、京都精華大学の斎藤光教授が、うしろに張り付いてこられてまして、全身で、
「どうやった? どうやった?」という無言のリアクションをされましたので、私も手で「○(受賞したよ)」サインを送りまして。(いい大人2人の無言の動きは、他人から見たら結構、可笑しかったかも・・・)それを確認した斎藤先生は一足先に皆の元へ。現風研が飲んでいた部屋から歓声が挙がったのが、聞こえてきた。
電話を切り、部屋に戻り、「みなさん、ありがとうございます! 受賞しました!」と報告をして、改めて拍手をいただき、乾杯。現風研会長の高橋千鶴子先生から「現風研入って、良かったでしょ」と声をかけていただいたけれど、本当に良かった。懇親会は、思いがけず祝賀会に変わり、本当に、本当に、楽しかった。
ありがとうございます。
そこからSM談義になって、
「そうだ、京都で縛ろう」
というシリーズなんかいいんじゃないかとか、京町屋で縛ろうとか、どこぞの料亭で縛ろうとか、ジャズピアノを弾く学者が主人公の官能小説(その場にいなかった井上章一先生のこと)なんてどうだろうとか、どんなプレイがいいとか・・・・「SMの会」になってしまいました、すいません。
そんな中、親しい知人にメール受賞報告。ツイッター、mixiを通じても報告。その日の朝、代々木監督のドキュメンタリー映画のお誘いをいただいた石岡正人監督には、受賞報告&試写会出席しますと連絡する。
2次会終了後、1人、四条通を歩き、帰路につく。
私に文章を書かせてくれた人、封印されていた鍵を開けてくれた人、東良美季さんに電話。留守電だったので、メッセージを吹き込んだ。
東良さんがブログを始められたのが、5年前の1月。私がメールをしたのが2月。返事が来て、やりとりが始まり、それから半年後にmixiで文章を日記を書き始めた私は、東良さんに「おもしろい」と褒めて貰い、ブログ等で紹介されて、そこから文章を書き、人に読んで貰うことが面白くなった。今まで誰にも話さなかった自分の過去もそこで書くことによって、初めて客観的になることができ、随分と、楽になった。ずっと自分だけの秘密として封印しており、罪悪感に苛まれ、自分を責めていた。それを書くことにより、全て自分が悪いのだ、自分のような人間は死ぬべきだ、人間のクズだから、結婚も出産も望んではいけない許されない、社会に出てはいけないと思っていた。文章にして、客観的になり、初めて「私だけが悪いわけではない」と思えた。文章を褒めて貰えて、初めて「生きていていいのだ」と思うことが出来た。mixi、ブログを通じて、いろんな人と知り合った。文章を書き、人と知り合うことにより、私は生きていていいのだと、自分を肯定できた。だけどブログで幾ら自分語りをしても、書けないことがある。自分語りであるが故に「本当のこと」は書けない。だから、フィクションを書こうと思った。小説を。小説が、フィクションこそが、一番自由で、そして、何よりも私は小説が好きだ。山田風太郎、司馬遼太郎、坂口安吾、そして――団鬼六先生。
団鬼六賞の存在を知った時、どうしてもこれは応募したかった。美しい文章で、この世で最も甘美なる幻想世界を描く作家であり、「うまく生きられない人間」を愛し、それを描き続けてきた大作家の名が冠された賞だから。
美しく、淫猥で、切なく、哀しく、どうしようもない――つまりは人間という存在の全てを描く大作家の名前を冠する賞に応募したくて、生まれて初めて官能小説を書いた。
小説に関しては、「藩金蓮」でも「蓮月詠子」でも本名でもなく、全く今まで使っていない新しい名前で書いています。友人にも恋人にも知らせていません。無双舎の方と、選考委員の先生のみしか、ご存知ない名前です。
「蓮月詠子」は、殆ど使っておらず愛着も無いし「藩金蓮」も、mixiを始めるときにとっさにつけたハンドルネームで、いつか変えたかった。それに過去の男運の悪さをブログ等で語り続けた「藩金蓮」というライター名は、いつか捨てるべきだと思っていた。捨てるきっかけを探していた。捨てる――勿論、この名前にも愛着はある。皆は「藩さん」と呼んでくれるし――だから、この名前にも、優秀の美を飾らせて、そして幕を降ろさせてやらないと、いけない。
受賞の報を聞いた時、思ったことは、
「これで、代々木忠監督に、会える」
と、いうことだ。
石岡正人監督の「YOYOCHU SEX と代々木忠の世界」、師である代々木忠監督を撮ったドキュメンタリー映画。私はこの映画のお手伝いを少しさせていただいていて、しばらく前に、映画のエンドロールにスタッフとしてクレジットされる際の名前は何にする? と石岡監督に聞かれた時に、「藩金蓮で」と答えた。来年、お正月第二弾として公開される予定の、この映画を、「藩金蓮」最後の仕事にしよう。
代々木忠監督に会える。
やっと。
☆ 9月27日、月曜日。
新幹線にて東下り。ホテルにチェックインして荷物を置き、東京某所にある試写会場へ向かう。 映画の詳細⇒http://www.athenaeizou.com/topics/post_4686.html(こちらの募集は既に締め切っております)
東京は、雨。
その前、2月に訪れた時も、雨だった。
早目に訪れた試写会の会場には石岡正人監督と、プロデューサーの朱京順さんがいらっしゃっていた。朱さんとは初対面。とても知的で溌剌とした女性でした。そして、一緒に「ザ・面接」ブログをやっている、面接隊長・市原克也さん、東良美季さんと共著で「AV黄金時代」を出版した伝説のAV男優・太賀麻郎さん登場。
まだ時間があるので、市原さんは一旦外へ。私は、太賀さんと共に、入り口で様子伺い。「ザ・面接」でお馴染みの男優・片山邦生さん、佐川銀次さん登場。片山さんと佐川さんとは初対面。お2人ともさすが役者、色気があり、見惚れてしまう。
写真は、左から、太賀さん、佐川さん、片山さん。
花束を持った一人の上品なご夫人がいらっしゃった。「代々木監督の奥さんだよ」と石岡監督に教えていただいた。代々木監督の奥様は、元女優の真湖道代さん。
そして、この映画の主役――代々木忠監督が、私の目の前に、現れた。
続く