9月のできごと、その1 〜水物語〜
「水物語ですね」
数ヶ月前、マイミクでAV男優・太賀麻郎さんのファンブログの管理人の1人でもあるハルミさんと京都の居酒屋で飲んでいた時に、彼女がそう言った。
私の初めての男――22歳上の元放送作家――私の性欲と引き換えに金を要求し続けて、サラ金地獄に陥るきっかけになった、「お前のせいだ」と私を罵倒し、言葉を失わせた男の話などをしていた。私の大学の卒業論文(卒業してないけど)を読んだその男は、鼻で笑い、
「君には文章を書く力は無いよ」
と言い放ち、私はそれから10年間、全く何も書けなかった。その10年間で私は多重債務者になり、それが原因で仕事を失い実家に強制送還され、だけどもう一度京都に戻りたくて工場などで休み無く働いていた。
実家に居た頃、初めて手にしたパソコンで、「東良美季」さんがブログを始めたことを知り、思い切ってメールをした。私はふとしたことがきっかけで平野勝之監督の「由美香」というもともとAVとして撮られていた映画、カンパニー松尾監督の「熟れたボイン」という作品を知り、その監督達のインタビューが掲載されている東良美季さんの「アダルトビデオジェネレーション」という本に感銘を受け、彼の文章を読むために毎月AV情報誌を購入し続けていた。東良さんから返事がきて、やりとりが始まり、東良さんがmixiに書いていた私――「藩金蓮」というハンドルネーム――の日記を褒めてブログで紹介してくださり、AV監督の市原克也さんや二村ヒトシさんとも知り合い、他にも面識の無いいろんな人と文章で繋がり始め、怒涛のようにmixiに毎日長文を連ねた。10年間、何も書けなかったのが嘘のように。「君には文章を書く力が無い」と言い放った男によってかけられた鍵が、稀代の美文家であり、多くのライター達に影響を与えた存在である東良さんにより開けられ、私は開放された。
私は親の反対を押し切り実家を出て4年前に京都に戻ってきた。バスガイドをしながら、ある人の紹介で(その人も私のことは東良さんのブログで知ったとのこと)AV情報誌にハンドルネームそのままで「藩金蓮」という名で連載をするようになり、mixiではなく、この「歌餓鬼抄」というブログを始め、たまに仕事を頂いて「ライター」とおそるおそる名乗るようになった。おそらく随分昔から「作家」になりたいという気持ちはあったが、いろんなことにより封印されてきたその願望を、何とか形に出来ないだろうかと思い始めたのが二年前。思い始めてはみたけれど、なかなか客観的なフィクションというものを書くのに難儀して、どこか逃げ場を作りながらダラダラと過ごしていたが、昨年5月に、ある大きな出会いがきっかけで、腹をくくり、作家になろうと決めて、それまでバスガイドだけではやっていけないので兼業していた事務の仕事を辞めたのが昨年9月。
私は、作家になりたい。
それは復讐でもあるんです。
私の動機は復讐で、エネルギーは怨念。
男達と、自分の失われた時間と、最悪の二十代、三十代前半――そこに陥ってしまったクズで、どうしようも無い最低の自分という存在への復讐――それを果たす為にも、私は作家になりたい。
「君には文章を書く力が無い」と、言い放った物書きの男への一番の復讐は、私が作家になることなんです。
私がそう言った時に、ハルミさんが「水物語ですね」とおっしゃって、ああ、本当にそうだと、思った。
「水物語」は、内田春菊さんの傑作漫画。18歳のホステス「アヤ」が、店の客の妻子ある男と不倫関係に陥るが、2人のズレが次第に広がり「アヤ」は男から逃げる。数年後、「アヤ」は作家となり世に出て、男との関係を小説に描く。思わぬ形で描かれる自分の姿に驚愕する男。週刊誌に取材を受けた男に対して作家となった「アヤ」が放つひとこと――あくまで自分の都合の良いようにしか考えない男に一撃を食らわす痛快なひとこと――「相変わらず、セコい男ね」。
私は、自分を支配し共依存関係に陥っていた、10年間私の筆を封じるきっかけになった男の呪縛を完全に逃れる為に、「水物語」の、アヤのようになりたかった。もう随分と会っていないのに、今でも私にとって自分が一番の男だと、私が思い通りになると信じて疑わない、けれどお金を返す気もない男の呪縛から逃れるために。男の存在はもうほとんど思い返すことも無いけれど、絶望と自己卑下は私にべっとりと張り付いているから、私はこれからも生きていくために、そこから逃れたかった。
あたしは、もうあんたのことも、あんたとの過去にも支配されていないんだと。踏みつけて、墓に埋めてしまおう、と。過去は消えない、消せない。忘れてしまうことなど、無かったことになど出来ないけれど、葬ることなら出来るはずだ。葬るためにも、私は作家になりたかった。「不幸自慢」と批判されもした自分語りもそろそろ終わらせたかった。書き尽くしたのと、自分の自分語りにうんざりもしていたから。
私は私という人間の中にある滾りをフィクションの「作品」にして世に出したかった。何故フィクションなのか。フィクションが一番自由だからだ。人も殺せる自殺も出来る何だって出来る。何故小説なのか、私自身が小説が好きだからだ。この世に小説ほど面白いものは無いと思うからだ。
わたしは、ちゃんと、「作家」になりたかった。
☆ 9月7日。
中村淳彦さんの「名前のない女たち 最終章 〜セックスと自殺のあいだで〜」が発売された。映画化もされているこの本の解説のお話をいただいた時、全く無名の私の肩書きに苦慮し、「まだ作家じゃないしね(中村さんには以前お会いした時に、作家になりたいという話をしていた)、AVのレビューとか書いてたし、評論家にしようか」と中村さんの苦肉の策で「藩金蓮(評論家)」になった。
このシリーズは、文庫版の1〜3巻で累計25万部売れているベストセラーで、映画化も話題になっていた。
全く無名の自分の文章がこうしてベストセラーの恩恵を受け書籍の片隅に掲載され、本屋で何冊も置かれていることに感激した。
8月、中村さんからその肩書き云々の電話を貰った数日後、家に居る時に、知らない東京03の番号から電話があった。ある、小説の新人賞の最終候補に残ったという連絡だった。正式発表は、9月18日の土曜日だと。
嬉しいよりも、私は、すごく怖くなった。いつものことながら、良い未来よりも悪い未来を想定してしまう。私は人より運が悪いから、そんないいことなんてある筈がないのだと、自分に言い聞かせていた。期待しちゃいけない夢を見ちゃいけない。
1人で考えていると落ち込むから、それから一ヶ月は、やたらと人と会って遊ぶ予定を入れていた。
何かをしてないと落ち着かないのもあり、AV雑誌に連載していたコラムをまとめたミニコミ誌「エロで学ぶ日本の歴史」の制作をしたり。
☆ 9月17日、金曜日。
発表の前日。それこそ中村さんのブログに私のブログがリンクされたのをきっかけにツイッターでやりとりするようになった放送作家でライターの吉村智樹さんと、京都で初対面。この日の夜まで、私は「自分はもう一生、まともな恋愛は出来ない」と思っていた。近年、男関係では絶望する出来事ばかりが続いていた。
ホントに、この日の夜までは、そう思っていたのに。思いがけず、初めて会った人と、恋に落ちた。京都東山の八坂法観寺の五重の塔の下で。
「放送作家にトラウマ無い?」と聞かれた。そうだ、私の初めての男も放送作家だった、因果は廻るのか、ぐるぐると。それともこれも、過去の呪縛が解かれる鍵なのか。
☆ 9月18日 土曜日の朝。
メールチェックすると、石岡正人監督よりメールが。試写会のお知らせだった。
3年以上に渡り制作されていた「AV界の父」代々木忠監督を撮ったドキュメンタリー映画「YOYOCHU SEX と代々木忠の世界」が完成され、その関係者向け試写会への招待。代々木監督も初回27日の試写会にはいらっしゃるとのこと。
そう、私が昨年、「作家になろう、好きな道に進もう、そのために腹をくくろう」と思ったきっかけになった大事な出会いは、この石岡正人監督との出会いだった。
アテナ映像に7年おられた石岡監督が、師である代々木監督のドキュメンタリー映画を撮影されていることは太賀麻郎さんのmixi日記で知っていた。
石岡監督は、ネット検索で、私が代々木監督の「いんらんパフォーマンス 恋人」について書かれた記事をご覧になってメールを下さった。偶然にも、石岡監督は京都精華大学の客員教授で、その数日後に京都に来られるとのことだった。偶然にも、普段なら私もバスガイド仕事がものすごく忙しい時期の筈なのに、新型インフルエンザ流行で軒並み仕事がキャンセルになり、暇があった。偶然が重なり――偶然なんてものは存在しなくて、全てものごとは必然性を帯びているのだと誰かが言っていたけれど――私は、京都で石岡正人監督と会った。
代々木監督と、そのドキュメンタリー映画について語る石岡監督と話をして、「ああ、私も、好きなことやんなくちゃ駄目だ。逃げ場作っていつまでもダラダラしていちゃ駄目だ、腹くくんなきゃな」と思った。
食うためにやっていて、時間を支配していた事務の仕事を辞めることを決意した。
そして、その時初めて、「代々木忠監督に会いたい」と思ったのだ。
それまでは、雲の上の人だから、一生会うことなんて無い、怖くて会えないと思っていた。
代々木忠という存在は、自分にとってあまりにも偉大で、大き過ぎて、だから、会うことは出来ない、会うことは怖いと。
ずっとそう思っていたけれど、去年の5月に石岡監督と話をして、初めて、代々木監督に会いたいと思った。
けれど、会うならば、今の状態――ただのファン――では会いたくないと思った。
私が、何者かに、自分が納得できる何者かにならないと、堂々と会えないと。
作家になりたい――作家になろうと思った。
代々木忠監督と、引け目無く、堂々と、会うために。
ただのファンではなく、作家として、代々木忠監督に会いたい。
そうじゃないと、きちんと眼を見て話を出来ないと思った。
私の人生に、最も大きなゆさぶりをかけた人。
私という人間にとって、あまりにも大きな存在である人に。
私に「性」を描かせた存在に。
続く