また夢の途中だから
☆3月某日
大津市歴史博物館にて「元三大師良源展」を観にいく。
元三大師とは何者か? 北近江出身の平安時代の天台宗の僧で、比叡山中興の祖、おみくじの元祖と呼ばれる方です。良源、慈恵大師とも呼ばれます。正月(元旦)の3日に亡くなったので「元三」ね。
様々な逸話の多い方なんですが、私が元三を好きなのは元三は、鬼に変身するからなんです! その名も「角大師」! 鬼に変身する坊さんって、めちゃめちゃカッコよくないですか???
特撮ですよ! 変身するヒーローですよ!
疫病が流行った際に、疫病を流行らす魔物を退散させる為に、元三大師は弟子に全身大の鏡を持ってくるように命じ、鏡の前で静かに観念三昧に入られたそうです。すると不思議なことに、鏡に写るのは、はじめ元三大師であったのですが、だんだんと姿が変わり、最後には骨ばかりの恐ろしい鬼の姿になったそうです。そしてその姿を写し取らせ、魔除けの護符としたそうです。このことから、元三大師は「降魔大師」とも呼ばれますの。変身後の元三の姿はコチラ
元三大師の話だけではなく、平安京の鬼門、比叡山には、「なすびばあさん」とか一つ目小僧の話とか、興味深い話が多いです。ちなみに一つ目小僧は、元三大師の弟子の慈忍和尚が死後、修行を怠る僧侶達をこの恐ろしい姿で戒めたと伝えられており、比叡山の東塔にこの絵が掲げてあるそうです。
鬼に変身したり、一つ目小僧になったり、比叡山って場所はさすがに魔所です。そら、親鸞、日蓮、法然、栄西、道元、一遍、天海・・・早々たる仏教界のヒーロー達が修行をしていた場所ですからね。
元三大師良源展開催中の大津市歴史博物館からは、琵琶湖が眺めることが出来ます。側には天台宗の名刹・三井寺も。
やはりこの国は、「滋賀」と呼ぶより、「近江」と呼んだ方がふさわしい、水と歴史のある静かな国。
私は近江の国が好きです。ここには水と自然と信仰が根強くある。交通の要所であるが故に、古くから数々の戦乱の舞台となってきた。戦でたくさんの血が流され、権力者達の欲望が湖に蜃気楼の如くゆらゆらと立ち上るこの国が、未だ尚、美しさを失わぬのは、権力者達に呑まれずに生き残り続けていた信仰が垣間見えるからか。
近江の国は、湖西、湖北と呼ばれる地方も、山深い甲賀のあたりも、どこも趣があり、好ましい。
近江と言えば、先日、辻井喬「父の肖像」を読みました。今更ですが、「辻井喬」はセゾングループの元代表・堤青二のペンネーム。彼が西武王国を築き上げた滋賀県の秦荘町(現・愛荘町)出身で、政治家でもあった堤康次郎を描いた物語。康次郎は同居した女性は4人、認知した子供は12人。認知していない子供の数は、50人以上、あるいは100人近いとも言われているらしいです・・・
そういう「壊れた」父を静かに見つめた、息子にしか書けない、近江が生み出した傑物の物語でした。
☆3月某日
大津市歴史博物館から京阪電車、地下鉄にて京都市内へ移動。烏丸御池にある旧・龍池小学校の校舎を改築して作られた「京都国際マンガミュージアム」へ。こちらは京都市と京都精華大学により作られています。
今回のお目当ては、現在開催されております「西原理恵子博覧会 バラハク」です。
漫画家・西原理恵子さんの漫画家生活25周年を記念した特別展示。
一度来よう来ようと思いつつ、行きやすい場所だからこそ今まで足を踏み入れたことがなかった国際マンガミュージアム。小学校の校舎の雰囲気を残し、壁にズラっと並ぶ漫画と共に、懐かしさを覚える。京都は、このように廃校になった小学校を、様々に利用しているのですが、京都の小学校がどうしてこんなに立派な建物なのか・・・それには明治時代のある「プロジェクトX」的な面白い話があるのですが、長くなるので略。
年度別に並べてある古い漫画の単行本、漫画雑誌もある。ここに踏み込んで読み出したらとまらなくなるのは間違いないので、なるべく漫画本の方を見ないように前に進まねば・・・すごいです。古い漫画の品揃えが・・・漫画マニアにはたまらんわね・・・
実はわたくしは、幼少期〜青年期は漫画家志望でございましてね!(なんだか恥ずかしい)
家がお店やってて、そこに少年・少女マンガがあって読めたことと、親戚で漫画オタクで、当時の売れてる漫画を殆ど揃えていたお姉さん(後の東京に行きアニメーターとなる)の存在などもあり、小学校、中学校などの文集の「将来の夢」の欄には、いつも「漫画家」と書いていたよ。
大学の時は、漫画の投稿などもしたことがあるのですが、わたくしは「女の人の絵しか書けない」もので、それじゃ漫画にならんし、ま、要するにそこまで絵に情熱が無かったんでしょうね。諦めるわけです。
今でも、友人関係から依頼があれば、イラストや似顔絵などを描いたりすることもありますが、普段はすっかり絵を書かなくなりました。昔は描いて描いて描きまくってたのに。
女の人の絵しか描けないのは相変わらずですが、全て女が巨乳で露出度の高い服になってしまうのは、「うる星やつら」の影響だと思います。あの漫画の模写で絵を描きまくったから。なんなんだろう・・・ホントに巨乳女の絵しか描けない・・・微乳さん達には非常に失礼なんですが、AV観ててもそうやけど、なんか強いねん、巨乳って。勝負したら絶対に勝ちますねん、巨乳が。浜崎りおも麻実ゆまも、「戦わずして勝ち!」って感じしません? だけど最近、AV情報誌は微乳特集が多いんです。何か変化しているんだろうか。
それはともかくですね。
京都国際マンガミュージアムは、わたくしの年代、あるいはそれ以上の方達にとって、とっても危険な場所であります。ここに入ってマンガを手にとったら、抜けられるのは不可能やと思われる。
お目当てのバラハクでしたが、記念の西原さんステッカーを貰いました。よく「絵が下手」とか御本人書かれてますけれど、んなことは決してないですよね。
原画展示、そして大きなパネルにて、空と草のある景色が描かれたものなど。あの、遠い遠い空を眺めているような絵は、「下手」なわけない。
写真もたくさん見ることが出来ます。
亡き夫「カモちゃん」こと鴨志田穣さんと一緒の写真は、とても、とても、幸せそうな写真でした。幸せそうで、楽しそうで、あの写真を見ていると、西原さんは、本当に心の底から鴨志田さんが好きだったんだな、と。勿論、鴨志田さんのアルコール依存症などで壮絶な日々を過ごし、結果離婚してしまうわけで、その間には憎悪の日々もあったでしょう。
傍から見たら、幸せとは思えないかもしれない。
それでも、その2人の写真と、鴨志田さんが癌とわかり家族の元に帰ってきた頃の絵は、幸せそうで、本当に幸せそうで。
人の幸せって、何なんだろうと考えてしまうのです。
私は幸せになりたいとは思っているけれど、多分幸せなんだろうけれど、そう思えなくて。人の幸せが妬ましくて、自分自身と、自分と関わり関係が破綻した人達のこととかを憎悪して。本当の幸せは何なんだろうか、わからない。けれど、私が、ある時から、欲しがっている幸せというのは、1人じゃ得られないもので、だけどどうしても上手くいかずに、ぐるぐるまわって、結局のところ1人だ。去年、よく近い人に言っていたのが「このまま、男運の悪いままに死ぬと考えると、ゾっとする」ということです。それでよく泣いていた。
だけど、西原さんと鴨志田さんの幸せそうな写真を見ると、彼女だって明らかに男運がいいとは思えない人生だと思うんだけど、それでも幸せそうで、大変だっただろうけれど、幸せそうで。私が自分のことを男運が悪すぎて幸せと思えないことの違いの答えは明らかなのです。
西原さんは、鴨志田さんをすごく愛しているということ。
私は、結局のところ、相手を愛していないから、「幸せ」ではないのです。
愛することができたなら。
上記の写真は、西原理恵子さんのイメージ部屋。可愛かった。
西原さんの漫画は、実はすごく暗いテーマを扱っている。
貧困、差別、絶望、別離。
けれど、それが暗鬱なイメージを与えないのは、ひとえにユーモアが欠かされないということと、そしていつまでも、上から下を見る人にならないということ。捨てた方が楽になれるいろんなものを、捨て続けないから、西原さんの漫画は、おそらくこれから先、何十年経っても消費されないと思うんですね。
ユーモアがある悲惨だから、エンターティメントになる。悲惨なだけじゃ、一部の人にしか支持されない。ユーモアだけでも、消費されてそこで終わってしまう。
1つ1つの作品について書くとキリがないけれど、近年の作品は特に、絶望と別離をベースにした深い愛情が描かれています。
愛情。
どうしようもなく欲しいもの。けれど、自分と一番遠いところにあるもの。今はそんな気がする。
国際漫画ミュージアムの受付では、サイバラグッズ他、様々な漫画に関するものなどが販売されております。
梅図かずお先生の蛇女や猫目小僧の手拭!
デビルマンの手拭!
天才バカボンや、あしたのジョーのクリアファイル!
手塚治虫「火の鳥」のペン!
なんとか自制しましたが、ここはやはり危険な場所です・・・
愛情。
そんなこと考えちゃいけないよ、あなたには未来があるよと言われるのだが。
自分でも愚かで子供のようだというのは、わかっているのだが。
けれど、このままで、死んでしまうのではないかとか考えると、本当にゾっとする。
西原さんの漫画と出会って、知ったこと。
人は、1人で生きていけないのではなくて、1人で生きちゃいけないのだということ。
私は、欠落したものが多く、そのくせ過剰で、いつも何かを間違えている、ムチャクチャな人間だ。社会性のあるフリをすることは上手になったけれども、それでも内面の暴力的で過剰な破壊衝動を抑え込むのに、必死だ。
そういう欠陥人間だからこそ、結婚も出産もしちゃいけないと、長い間思ってきた。自分のような人間が人の人生に関わること、自分の遺伝子を残すこと、それはやってはいけないことだと。
本当に長いこと、自分はそうして人と関わってはいけないと信じてきた。
だけど、数年前から、欠陥人間だからこそ、1人で生きてはいけないんじゃないかと思うようになった。
1人じゃどうにもならないことを、人と共存することで、補えるのではないかと。
1人で生きていこうなんて、思わない方がいいかもしれない。
そこまで強くも鈍くもないのだから。