殺す会


 高校のクラブの後輩にK君という男の子がいて、彼は合唱部に相応しくないリーゼントと、なんともいえない当時のヤンキースタイルの子だった。
 彼の父は学年主任のダンディな先生で、家はお寺。
 兄貴は有名私大生。
 田舎の進学校で、K君のバリバリのヤンキー姿は目立っていた。
 しかも学年主任の息子だし。寺の息子だし。

 ピアノも上手で、空手は黒帯で、少林寺拳法もやってて、そして何故か合唱部という、不思議なキャラだったが、可愛い性格の子だった。
 なんというか、猪突猛進。
 女の子を好きになったら、その日のうちに「好きだ!」と告白するような子。

 何故か私と彼は仲が良かったの。

 そんな彼が、ある日こう言って来た、


「俺、○○(男性タレント名)を『殺す会』作ったんすよ!」

 と。
 当時、○○は若い娘達に大人気のトップアイドル。
 笑顔を振り撒くそのチャラチャラしたナンパさが気にいらないらしい。

 で、「殺す!」とはよく言うけど、どうして「殺す会」なのか。
 
 彼はその後も、誰かにムカツクと、「殺す会」をよく作っていた。
 会って、会員は1人か2人で、特に何を活動するわけでもなく、「殺す会!」と言ってるだけやけど。

 その「殺す会」という言葉、私と今でも付き合いのある親友Oとの間では、「なんで1人で殺さへんねん、殺す会やねん」と言いつつ、よく使う。

 例えば、お互いが社会人になって、嫌いな上司などや客の愚痴を言い合う時とかに、

「○○課長を殺す会作ったわ!」

 とか、

「今日、殺す会作りたくなるような客おったわ!」

 とか。


 死ねとか、殺すとか、憎いとか、そういう言葉を私は使わないわ! と、おっしゃる方々も多いでしょうし、「人の悪口は絶対言わない」方もいらっしゃるんでしょうし、私もよくないことやとは思いますが。


 私は毎日のように「死ね」とか「殺す」とか「不幸になれ」と唱えているし、悪口もバンバン言いますよ。
 

 だけど、「殺す」とか口に出すよりは、「殺す会を作った」という方が、面白くなるから、私と親友Oは、お互いが愚痴を言い合う時に連呼する。
 お互いの話を聞いて、「それは当然、殺す会ちゃうかな?」とか。
 「あいつ、めっちゃ殺す会やんなぁ」とか。

 
 ハーベイ・カイテルが米プレイボーイ誌のインタビューでこう言っていた。

「人を殺したいと思ったことのない人間を、俺は信用しない」 と。

 わたしもそうだ。

 キレイ事ばっか並べるヤツを見ると、その面の下にある「鈍感さ」「脆弱さ」を引っぺがして笑いたくなるね。

 そういう自分は、性格が悪いし残酷だ。
 だけど、鈍感な偽善者よりはマシだと、思う。
 
 だけど、鈍感な偽善者の方が生き易い。
 ねぇ、ヤツらは、とっても世渡りが上手だもの。

 世の中は本当に悪い人なんていないとか。
 愛で地球を救えるだとか。
 努力は報われるとか。
 世の中は平等だとか。

 そういうことを抜かすヤツらは、足許の歪みを見て見ぬフリをしている鈍感なヤツらなのか、「いい人」と思われたくてしょうがないヤツらか、どちらにせよ、わたしの嫌いな人種だ。

 
 昔、すごく憎くて、そいつの顔を見る度に「死ね」と唱えてた人がいた。
 その人が、急死した。
 けれど、全く胸は痛まなかった。
 もしその人が私の呪いで死んだのであれば、結構なことだ。
 
 私は昔の男達を呪い続けていて、彼らは多分、今、結構よくない状況にいる。それでいいと思う。
 私を痛めつけるヤツら、傷つけるヤツらは、不幸になって欲しい。 それが本音です。


 この前も、某所でちょっと言ったんですけれど、私の書くエネルギーは怨念、憎悪です。あと、「男に貢いだ銭を取り戻す」です。

 決して、「いい文章を書いて、人を幸せにしたい!」じゃない。
 「愛や夢や希望を人々に信じさせてあげたい!」じゃない。
 「世界はこんなに愛に満ちてて素晴らしいところだと、生きる喜びを文章で伝えたい!」
 んなわけないから。

 世の中が、そんなに素晴らしいものならば、どうしてこれだけたくさんの人間が病んだり死んだり苦しんだりしてんのか。脳みそ発酵させたことヌかすんじゃないよ。

 人のことなんてどーでもいい。
 ましてや会ったことのない人間のことなんて。
 んなこと知るかよ。
 私は自分が幸せになりたいだけ。
 人を踏みつけてもね。
 怨念、憎悪を力にして幸せになることやて出来るだろう。
 わたは、幸せになりたいのだ。
 だけど、不幸じゃないと書けないとか、幸せな恋愛すると書けないとか、そういうことを言う人達も言うけど、そんなことで書けなくなる人は、その程度の人じゃないか? 物を書くためには「不幸でいろ」って言ってんのか。
 書く人間は、どんな状況でも書くよ。
 
 ただ書けない時はあった。
 それは首を絞められて殺されそうになったとき。
 本当にそれをされたんじゃなくて、言葉でそうして追い詰められた時。
 最初の男には、それを数年やられたから、全く書けなかった。
 あいつはそんなこと忘れているだろうけれど、私は一生忘れないし、「お願いだから死んでくれ」と思っている。
 嘘、死なないで。
 生きたまま苦しみ続けて欲しい。
 一生、許さない。
 長生きして、ずっと苦しんで。
 そして惨めに死んで。

 愛情もないくせに、支配したがる、理解した気になる男はね、自分の傲慢さを思い知るがいいよ。私の傷や痛みは、私にしかわからない。
 傷をやさしく癒すことには関心なくて、傷を抉り楔を打ち込みたがる奴らを、地獄に落としたい。
 鈍感で偽善者で、のうのうと生きている幸福な女達も、地獄に落としたい。
 そういう奴らが憎いから。

 そんなに私を殺したいのか。
 お前らが私を殺そうとするならば、私はその千倍の力でお前らに死ぬより辛い苦しみを味あわせてやろう。

 弱い女が大好物な男達がいる。卑怯な男達が。自分が支配できるからね。そういう男は女の傷口を治すフリして塩を塗りこむ。傷が治ってしまえば自分が必要とされないからだ、支配できないからだ。そんなのが愛情のワケがないけれど、弱くて依存したがる女の匂いを嗅ぎつけて卑怯な男が忍び寄る。

 お前らはそんなに私を殺したいのか。
 それならば殺されてやろう、そのかわり怨霊となり一生離れず苦しめてやろうか。
 私に刃を抜かせるな。

 私を傷つける鈍感な偽善者。
 私を痛めつけた男達。
 そんな人間達に贈る、「復讐」のような作品を書けたらな、と思う。


 
 ところで、「殺す会」K君ですが、後に喫煙等で停学を繰り返し高校を退学になった。(父親が気の毒だった・・・ストレスで血を吐いて学校で倒れられた・・)

 その後、Y組系の暴力団にちょっとだけ入った後に、祇園でホストをしていた。

 「俺、今、舞妓さんと付き合ってるんすよー」

 と、元気いい声で電話があった。

 その後は、ホストをやめ、調理師の修行をしていると聞いたけど、それ以降は連絡も途絶えた。いまごろなにをしているのだろうか。

 未だに私と親友Oは、「殺す会」を何かあると作り続けていて、その時だけ、K君のことを思い出す。