鞄に安吾を忍ばせて、旅に


 時は師走にて候。
 あちこちでクリスマスツリー&イルミネーションを見かけますが、私は相変わらず多忙継続中で、未だに紅葉ツアーとか行ってます。
 紅葉無いのに!
 春にインフルエンザでキャンセルになった分もあり、京都市内は未だに修学旅行も溢れかえっております。

 多忙継続中で、明らかに今年は去年よりたくさん働いているのに一度も風邪をひかず、喉も潰さず、倒れず、そんな自分を褒めてやりたい。

 接客業故の嫌なこともあり、いいこともあり、それは相変わらず。けれど、それが「社会で生きる」ということだから。
 思うが、責任ある仕事をして自活をした経験の無い人間とは、対等に付き合えない。人生における、喜びや痛みや辛いことなどを共有出来ないからだ。
 
 昨日は、早く仕事が終わったので、仕事仲間3人と、午前中からビールを飲んだ。
 宴会で飲む酒よりも、仕事が終わった後の同僚と飲む酒が、この世で一番美味いことを、あなたは知っているだろうか。

 そして、そうして生きている人間は、強いよ。
 仕事して、自活している人間は。
 そうせざるを得ない人間は。
 耐性があるから、強い。嫌なことや辛い出来事に遭遇しても逃げ場がないから、責任ある仕事をしているならば。
 すぐに逃げようとする人間とかを見ると、弱くて呆れもするし、ましてや逃げることは決して幸福な選択ではない。

 私の会社には、若い娘は23歳、上は還暦過ぎたお姉さま方までもいて、いろんな人がいるけれど、皆、「戦友」で、仕事終わりのビールの美味さを知っている人間だ。
 若いガイドさんも数人いて、彼女達を観ていると、彼女達と同じ世代で「責任持って働く」ということを疎かにしたり、そこから逃げている人間を見ると、人としての脆弱さが目につく。

 今の世の中は、弱い人間を甘やかすように出来ている。
 制度も、そして文化も。
 今の文化は、弱い者が自分を正当化する文化だ。
 だけど、そうやって甘やかされた人間に未来はあると思いますか?


 さて、と。
 
 多忙はまだ少し続きそうですが、ブログは軽く、でもいいから、落ち着いたら更新していこうと思います。
 書きたいことがたくさんあるから。

 
 忙しくて、しんどくて、ボロボロになって。
 そんなことをこの時期は毎年繰り返しています。
 キツくあたられることも多い時だからこそ、優しくして欲しい。
 怒りはいらない、優しさが欲しい。
 けれど、人と会う間もなく、優しさをくれる人も側にいないから、私は時折、坂口安吾の小説やエッセイを鞄に忍ばせて、忙しい合間に開く。

 安吾の言葉は、恋愛の地獄の苦しみと天国を味わった人間しか紡ぎだすことの出来ない言葉だ。

 天国も地獄も知らない人間、つまりは本気で生きていない人間に、逃げ続け人も自分をも騙し続けている人間、人と向き合ったことのない人間に、人の人生を揺り動かすほどの感動を与える小説や映画や音楽が描けるものかと、私は思うのだ。



 お前らに、わかるものか。
 人を謀り、綺麗事を並べ、そのくせいい思いをして、人に良く思われようと、目の前を覆う暗闇と己の欲望の芥を見ずに生きるお前らに、わかるものか。
 私は、お前らを、憎み、侮蔑する。私は例え敵を作っても、お前らには騙されない。


 ああ、私は青鬼の褌を洗う女になりたい。
 にっこりと微笑み男に手を伸ばす女に。
 桜の森の満開の下にて、鬼になり、男に殺される女に。
 好きな物は呪うか殺すか争うかしか出来ない、サヨナラの挨拶をされぬまま殺される夜長姫に。


 安吾は、地獄を描く。
 孤独地獄を。
 人が血を流しながら生きていく上に陥らざるを得ない孤独地獄を。
 そして、それこそが、人間のふるさとだと、謡う。

 安吾の言葉は、心に優しい。
 
 だから、明日も人生という旅に出る。
 鞄に安吾を忍ばせて。


堕落論 (新潮文庫)

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白痴 (新潮文庫)

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桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

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