恐怖は、そこに、ある  〜 「妖奇怪談全集」 山田誠二・著 〜


 闇の中には、何かが居たとしか思えなかった。
 後ろを振り向くことが、絶対に出来なかった。
 ひんやりとした空気、隙の無い静寂、古い土と草の匂い、そこで私は泣き叫んでいた。

 子供の頃、悪いことをすると、父親に家の蔵に入れられた。言っておくが虐待されていたわけでは決してない。父親は我儘な娘が癇癪を起こすと、家の後ろにある暗くて怖い場所に連れていき、閂(かんぬき)をかけた。田舎なので、蔵のある家は珍しくは無かった。
 蔵の中にも豆電球はあったのだが、スイッチがある場所は高くて子供の手には届かない。
 私は蔵の中で恐怖で泣き叫んだ。泣き叫ぶ私を助けてくれるのは祖父の役目だった。
 祖父が閂を開けると、光が蔵の中に差し込んだ。私は祖父に泣きながら抱きついた。

 今思うと、いつも私を閉じ込めるのは父で助けるのは祖父だったが、それで二人が諍いを起こした記憶などないし(絶対的に父より祖父の方が立場が強かった)、あれは彼らが私をしつける為に設定した役割だったのだろう。
 田舎を出て、初めて「蔵」の無い家の方が世の中には多いことを知った。あの、蔵に閉じ込められる恐怖を皆は知らないのだ。

 田舎には闇が多い。
 家の周りは田んぼと畑で、一軒一軒の距離が離れている。夜になると開いている店など皆無だ。遠くの家の明かりと街灯だけが光を発していた。静かだった、ただ、虫の声しか聞こえぬ世界だった。
 だから、なのだろうか。当たり前のように祖父母や近所の老人達は、狐に誰かが化かされた話や、墓場の鬼火の話などを、ごくごく日常的に語っていた。
 当たり前に、そこに「在る」ものの如く。


 都会に出てからも怖い闇に遭遇したことがある。
 それは映画館で働いていた時のこと。同僚達とよく夜遊びをしていて、ある日、3人で職場の映画館に深夜に入ったのだ。事務所は何の変哲も無かった。けれど、スクリーンのある館内の扉を開けた時は、3人ともゾっとした。

 誰かが、そこにいるような気がしたからだ。
 冗談で、1人が「人が座ってたりして」と言った瞬間、本当にそこに人が座りスクリーンを見ているような気がしたのだ。私達は、急に怖くなり、すぐさま映画館を後にした。ずっとそこにいることは出来なかった。
 「見て」しまいそうだったから、そこにいる「人」を。

 京都の一番の繁華街・新京極通りは裏通りに入ると墓だらけだ。秀吉によりこの付近に寺が集められたから。
 映画館の休憩室の窓からも一面の墓が見える。その夜は、さすがに休憩室も窓を開ける気にはならなかった。

 私は霊や怪奇現象に遭遇したことは皆無だ。だけど、それらのモノが「絶対にいない」なんて言えない。見てはいないけれど、「闇」に遭遇した時の、あの恐怖は何だったのだろう。あそこには、自分が見えないだけで、何かが「居た」んじゃないか。そう信じたくはないけれど、蔵の中で後ろを振り向くことが出来なかった脅えの正体は、本当に何かが「居た」からじゃないのだろうか。映画館の館内で、あんなに脅えたのは、そこに「居た」からじゃないだろうか。

 「この世で一番怖いのは、霊より人間だ」

 そう言う人がいる。私もそう言い続けてきた。
 でも、じゃあ、その一番怖い存在である「人間」が、肉体を失い、この世に残した慙愧の「念」こそが、一番怖いものだと言えるのではないだろうか。

 そして、その「念」は、哀しい。
 怒り、憎しみ、あるいは切なる想い、それらが齎した執着が肉体を失いこの世に残ること。
 我々が怖いのは、「念」、つまりは人間の強い想いなのだ。


 私はもしも今自分が死んだら、絶対に霊になり「出る」。この世に執着があり過ぎるからだ。霊になる自信がある。そして好きな人に好きと言いに行ったり、憎い人を呪ったりする、きっと。


 死にきれない。

 死にきれない。

 私は、死にきれない。


 だから、「幽霊なんていない」なんて、言えない。



 前フリがいつもの如く長いですが、今回御紹介しますのは、様々なバリエーションの「怖い話」を集めた山田誠二監督の「妖奇怪談全集」です。心霊スポット、ごくごく当たり前のように存在する「怖い話」、怨念が「祟る」話、怪談映画の紹介など、まさに「全集」です。

 日常の隙間に、スっと手が伸びて、心臓を鷲掴みする。
 どうして、その手が怖いのか。引きこまれそうだから、怖い。自分の意思や先入観などの「自分の世界」が及ばぬ、「わからないもの」だから、怖い。自分がコントロールできぬ、予想もつかぬ「得体の知れぬもの」、それが日常の隙間から、ソッと張り込むのが、怖い。

 だから、恐怖は、恋愛にも似ている。自分では制御できない予想つかぬ感情に捕われてしまう。どこに自分が行くかわからない、先が見えない、大きなうねりに巻き込まれ、流れ流れていく。行き着く先がわからぬからこそ、怖いのだ。
 だから、私はいつも恋をする度に、その恋に踏み込む度に、恐怖を感じる。

 けれど、恐怖は甘美だ。
 思いもよらぬ不可解で理屈のつけようがない感情に遭遇し、それらに身を委ねるしか術が無い恐怖は、甘美な快感だ。随分と、マゾヒスティックな快感であるけれど。そういう点でも恐怖は恋愛に似ている。

 つまりは、「怖いもの」に惹かれる人間というのは、マゾヒストなのだ。

 そして、「怖がる者達」を見たがる人間はサディストだ。

 「怖がる女達」を見たいのなら、この本の付録のDVDを、1人で、部屋にいる時に見るといい。
 6人の女達が、それぞれの日常の隙間に、手を伸ばしてきた「何か」に触れられている映像集だ。(監督・脚本・撮影・照明は山田誠二監督、編集・音効・語りは京極夏彦氏)

 これは、覚えのある恐怖だ。
 いつもの日常、当たり前の生活、そこに、思いもよらずに、まるで事故のように、そっと「何かわからないもの」が隙間から手を伸ばし、女達を捕らえようとする。事故のよう、つまりは逃れられないのだ、「何かわからないもの」から。
 普通に生活をしていて、何も悪いことをしていないのに、偶然というのには余りにも残酷に、それらは私達の生活に入り込み、日常を壊し、挙句の果てには恐怖で全身を犯す。

 トイレに入ると、何かいるような気がする。
 お風呂に何かいるような気がする。
 押入れを開けたら、何かいるような気がする。
 布団に入り眠れば、隣に何かいるような気がする。
 部屋の片隅に、いつも通う道の途中に、どこに行けども逃れようがない。
 この世に残された慙愧の念達は、様々な姿で、「わたしはここにいるよ」と、語りかけようとする。
 こちらの意向など、構わずに。
 振りほどいても、振りほどいても、纏わりつく。
 そして、離れない。

 こちらのDVDには、友達の亥戸碧さんが出演されているのですが、映像での彼女を見て気付いたのは、眼の力が強いということでした。脅え、強がり、怖がる彼女の目が非常に印象的です。

 そして他の女優さんの各々の映像を観て、思ったこと。

 私はAVを見ることが好きなのですが、(今更ですが)AVの基本は主役は女優で、女優を綺麗に撮ることだと思うんですね。それはあくまで基本であって、そうじゃなくてもヌケる面白いAVはあるけれど、女優の名前を冠する場合は、やはり「女優を撮る」ことが基本でしょう。

 女優を撮るということは、何だろう。
 ただカメラで追うだけではなく、どこをどう見せるのか。
「魅力」と言いきってしまうのはあまりにも安易だが、視聴者に欲情させる、つまりは感情移入させるように、女を撮らないといけない。
 エロい映像というのは、カメラが欲情しながら女優を撮る。私は製作者ではないので、その具体的な手法はわからないのだが、それが演出者の「腕」だ。
 それは写真でも同じだ。撮影者の、そして被写体の「欲情」が写っている写真に惹かれる。
 以前、何かの媒体で読んだ。
 ある人気AV監督は「誰よりも自分が綺麗に撮ってやる」と思っていつも撮影してる、と。

 それはでも、AVに限らずの話だ。

 どうして「女」が映像には必要なのか。
 美しいからだ。
 そして、女の美しさ、魅力を撮りたいというのは映像製作者なら当たり前に持つ欲望であると思うし、そうではないといけないのではないか。

 私はカメラを持ったことは無いけれども、もし持つことがあれば、やっぱり自分の好きな娘を撮りたい。その娘の魅力を、こんなにも素敵なんだということを、一番わかっているのは自分だと、人に知らせてやろうと、そういう意識で撮ると思う。

 付録映像を観て、亥戸碧さんの「目の力」に気付かされた時、女を撮るというのは、こういうことなのだと、改めて思った。

 見る、のではない。魅せられるのだ、我々は。


 女が、怖がる姿は美しい。脅える女に魅力を感じるのは、サディスティックで官能的な欲望ゆえである。
 当たり前に、我々の中に存在する、欲望。
 白い肌に、無防備な身体に襲い掛かる恐怖は、エロティックだ。

 
「何かわからないもの」は、存在する。
 確かに、そこに居る。
 ある日、いきなり気付いてしまうかもしれない。
 それらは、日常の隙間に入り込み、手を伸ばして、あなたの肩を、何気なく叩くかもしれない。


 恐怖はあなたの後ろにいる。
 音も無く、気配を消して、佇んでいる。
 そっと、あなたを見ている。

 だから、ほら、振り向いちゃ駄目。

 そこに、いるから。




妖奇怪談全集ーひとりで夜、読むな!-(DVD付)

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☆ こちらは、本の予告編映像。

 

☆ 亥戸碧さんのお店「チャーミング堂」