彼の岸へ、送り火の夏


 大原麗子(女優)


 バスガイドになったきっかけは歴史が好きだから。
 小説で好きなジャンルはダントツに歴史。
 歴史・・と言っても世界史には疎いので日本史限定なのだけれど、世の中にこれほど面白いドラマは無い。
 
 どうして日本史に興味を持ったのか。
 それは小学生低学年の頃に祖父と一緒に見ていたNHK大河ドラマの影響が大きい。
 最初に記憶の残るのが、「獅子の時代」。菅原文太大原麗子が出演していた。内容は難しくて記憶に殆ど残っていないのだが、その2人の役者の印象だけは強く残る。

 同じくNHK大河ドラマ大原麗子の「春日局」も印象的だった。思えば、佐久間良子の「おんな太閤記」とか女性が主人公の物の方が印象深い。
 大人になって、実際の春日局があまり美人ではなかったことを知り、ええええっ! と思ったが、それでも強くて毅然とした大原麗子春日局ははまり役だった。江口洋介演じる徳川三代将軍・家光との、親子愛とも恋愛とも言えぬ、どこかエロティックで、だけど性も血も超えた濃密な関係は、大原麗子だからこそ演じられたのだ。

 そして、なんと言っても印象深いのが、「すこ〜し愛して、なが〜く愛して」のサントリーのCM。

 「可愛い女」とは、こういう人なのだと幼心にも感じた。

 可愛くて綺麗で毅然とした名女優が逝った。

 孤独死とか言うけれど、人に迷惑をかけたり、家族に憎まれて死んでいく人間もいる。

 綺麗な花が、ある日消えた。
 それだけの話。

 女はバカな方が可愛いなんてほざくヤツは、一生征服と支配と優越感だけに形成された「男」にしがみついていやがれ。出来たら不幸になっちまえ。

 女は賢くて正直でズルくなくて、可愛い方が、いい。
 
 

 
☆ 山城新伍(俳優)

 毒舌とか言われてはいたが、私は山城新伍が時折口にする、「芸能論」には幾度も膝を打った。けれど皮肉にも山城新伍は古き時代の役者魂の悪しき遺産に滅ぼされた。

 自分の中に、俳優など、芸能に携わる人達は、特別な存在であって欲しいという気持ちがある。
 私達に媚びて人気を乞ようとする存在ではなく、「芸」で人を魅了していく存在であって欲しいと。

 だから、「芸」無き「タレント」達が跋扈するテレビを私はいつのまにか見なくなった。

 今でも印象深い山城新伍の言葉は、女優・倍賞美津子についてこう語ったことだ。


「あの人はね、皺の似合う女優さんなんだよ。だから歳をとっても美しい」


 整形手術で若作りをすることが当たり前になり、誰もが「若く美しい」ことに執着していることが、グロテスクに見えるのは、私だけだろうか。




 海老沢泰久(作家)


 スポーツの美しさと、そこに生きる人々の輝きと闇を描いた作家が、逝った。
 
 「監督」を読み終えた瞬間、質の良い映画を見終わったかのような爽快な気分になり、目が醒めたようだった。
 翻訳調のクールでドライな文体、洒落た表現の、人の心を熱くくゆらせる美文で、プロ野球、F1、酒場の人々、料理の世界を描いた作家だった。

 人を描くには、人を愛さねば描けないと、海老沢泰久の小説を読む度に思った。
 人間を愛しているからこそ、人間の弱さすらも格好良く描いた作家だった。
 
 「監督」は、とことん格好良くて、爽快で、興奮させられる小説だ。まぎれもない傑作。

 何故我々はスポーツを見るのか。感動したいからだ、罵倒したり、非難するためではない。鍛え上げられた選手達の誇り高きプロのプレイを見たいのだ。そして、何よりも勝って欲しい。栄光を手に入れてこそ彼らは英雄となるのだ。


 訃報を聞き、久々に「監督」を手にとった。
 最初に読んだ時と同様に、原稿用紙5百枚の小説を一気に読まずにはいられなかった。

 主人公は「広岡達郎」という人物。舞台は、「エンゼルス」という万年最下位のプロ野球チーム。エンゼルスの選手達以外は、全て、長島、王、土井、川上と、実際に活躍した選手監督の名前で登場する。
 かつて、栄光の巨人軍を不本意な形で追われ、屈辱を味わった広岡達郎が、駄目球団「エンゼルス」の監督となり、ジャイアンツをしのぐ最高の球団を作り上げていく物語。
 「仲間」だから馴れ合い、許しあい、甘やかしあい、そうして駄目になっていった選手達に勝つことの喜びと味を教えていく物語。

 これは広岡のジャイアンツへの復讐の物語でもある。但し、なんて爽快で見事な復讐なのだろう。復讐心の何が悪い。そうして我々は過去に勝ちながら成長していくのだ。
 
 過去に勝利し、屈辱と訣別することが、「復讐」なのだ。
 そうやって、人は倒れても倒れても立ち上がり、歩いてゆく。

 私は、「仲間」「友達」と言う言葉を安易に多用することが好きではない。特に仕事関係では、それらの言葉は幾分に馴れ合いの意味合いを持ち、だらしなさをも仕事に齎す。今までの経験から言うと、共に仕事で戦い、戦い終えた後に、初めて「同士」となり、友達、仲間となれるのだ。
 どうして男は「仲間」と言う言葉があんなにも好きなのだろう。どうして女は「友達」と言う言葉を使いたがるのだろう。もしあなたの「仲間」「友達」が第三者に侮辱されたら、あなたは本気で怒るだろうか。それが出来なければ、そんなものは「仲間」「友達」ではない。ただの「知人」か「同僚」だ。ぬるい関係に時間を費やすのは暇人だけでいい。

 「監督」は、海老沢泰久の「怒り」で描かれた作品ではないのだろうかと、今回再読して感じた。
 自分が本気で愛したプロ野球の世界を駄目にしようとする奴らへの怒りを、ぬるく湿った「仲間」社会への怒りを。自らの怒りを、広岡達郎という人物に投影させ、打ち砕いたのではないかと。その「怒り」に共感する者ほど、この小説は痛快で感動を呼び起こすだろう。

 傑作小説「監督」。
 最後の一行の台詞を読んだ瞬間、鳥肌が立った。
 何度も読んでいるのに。

 是非、読み継がれて欲しい、名作です。



監督 (文春文庫)

監督 (文春文庫)