あめのしたしる五月かな

 五月某日 帰郷

 午前中仕事を終え、電車にて帰郷。前日、朝まで飲み会だったので意識が朦朧。駅には下の妹、甥、姪が迎えに来てくれる。翌日姪の3歳の誕生日なのでケーキを買いにいく。
 今まで激しく懐かなかった甥&姪が、急に懐きだす。(ケーキを買ったせい? 正月に恐竜のラジコンとか買ったせい?)それは嬉しいが、振り回されぐったり。子供を2人育ててる妹を尊敬。



 五月某日 甥&姪&姪と遊ぶ



 昨夜から下の妹、甥、姪は実家に泊まっている。甥は朝の6時に1人で起きてテレビをつけている。昼前に、上の妹が生後半年の姪を連れてくる。これで弟の嫁さんが居たら、四人姉妹で、「若草物語ごっこ」とか出来るのに(しねぇよ)、弟夫婦は旅行中で今回の連休は帰省せず。
 一日、甥や姪と遊ぶ。ぐったりする。父が戻ってきたので、押し付けようとするご、逆に押し付けられる。甥に頼まれ絵を何十枚も描かされる。姪に頼まれ拙くピアノを弾く。幼稚園に入ったばかりの甥が下品なことを次々に覚え、「カンチョー」「ハナクソ!」などを連呼する。

「カンチョーする人とは、もう遊びません!」

 と言うと、拗ねて静かに1人で泣いている。
 宥めるのに、更に絵を何枚も描くはめになる。

 妹達が帰ったら、オムツの山が出来ている。

 家が急に静かになる。



 五月某日 るーみっくわーるど


 実家でもっとうだうだしたいが、そういうわけにもいかず午前中に家を出て、同郷の友人の家へ。友人は関東在住なのだが、妊娠の為に実家にいる。ファミレスでランチ。駅まで送ってもらう。切符を買いに窓口に行くと、窓口の担当者は、上の妹の夫の妹(ややこしいね)だった。そこで働いていたのは知っていたので、挨拶をする。会ったのは結婚式以来で、JRの制服姿がとてもビシっと決まってて可愛かった。
 京都駅に着くと、荷物をコインロッカーに預けて伊勢丹で開催されている高橋留美子展へ。京都駅はすごい人で、更に疲れる。上の妹から「ケーキありがとう」のメール。上の妹は、結婚、出産して、すんごく変わった。多分、いろんな足枷が外れて楽になったんだろう。下の妹、上の妹の夫、そして弟の妻も、私や両親に優しく働き者で、それはとても幸せなことだと思う。元々は赤の他人と家族になることを私はどうしてもネガティブに捉えてしまっていたけれども、他人が関わることにより良い方向へ行くこともあるのだと、兄弟達の結婚で知った。



 五月某日 これも仕事です


 ひたすらAVを見たり書き物したり。マニアックなモノをたくさん見る。ちょっとしんどくなるのもある。調べ物があり、過去のAV情報誌数十冊に目を通す。結構な量。いろんな女優さんの写真やインタビューを見ながら、この人達は、今どこで何をしているんだろうと、考える。


 五月某日 淫語魔さんと会う



 淫語サイト管理人の淫語魔さんと、会う。メールは何度もやりとりしているのだが、実際にお逢いするのは初めて。四条木屋町東郷青児の絵が飾られている喫茶店・ソワレで顔を合わす。鴨川を渡り八坂神社、円山公園周辺をうろつく。高台寺の夜間拝観に行く。雨のせいか人が少ない。こんな人の少ない高台寺は久々。ライトアップされた八坂法観寺を見る。再び四条まで行き、木屋町歩いたり飲んだりする。初対面ながら、真剣にAVの話などをする。いつも思うんだが、真剣にAVについて話しているのとか、他人が見たらどう思うんやろ。

 淫語魔さんに、「藩さんて、仏像に似てますね」と言われる。


 五月某日 風邪をひく


 実は田舎に帰った時から喉がおかしかった。声が出なくなる。しかし幸いなことに、声が出ないせいで、日曜日(明日)休みになってラッキー。喉以外は全然健康だが、会社の電話でやりとりするいろんなバス会社の人や、先輩ガイドさんに心配される。その反応が、人それぞれで、いちいち面白い。
 そういえば正月に田舎に帰った時も風邪をひいた。
 声の綺麗な某先輩に、「ハスキーでステキな声よ」と言われ、照れる。その先輩、ホンマに声が綺麗やねん。バスガイドは喉が商売道具なので、煙草は吸わない方がいいと思う。(私は吸いません)でも喫煙者はとても多い。歳をとると、声に現れる。ずっと煙草を吸わない先輩の声は、還暦過ぎても透き通って透明感があり、いつもうっとりする。



 五月某日 遂に、鑑真和上に会う


 本当は仕事で奈良公園に行った際の待機中にでも行こうと思っていたのだが、それもどうも時間的に難しそうなので、午前中の仕事を終えた後に、奈良国立博物館に行く。鹿がたくさん。鹿だらけ。五月の鹿は毛並みが綺麗。
 あちこちに「せんとくんグッズ」。可愛くないというより、怖い。

 奈良国立博物館で開催されている国宝・鑑真和上展を見る。唐招提寺には何度も訪れているが、鑑真和上像を観るのは実は初めて。
 鑑真という人は、すごい人なのです。
 どれだけすごいか、この人が日本に来なければ、この国の歴史は明らかに変わっていたのです。それぐらい、影響力を持つ人。遠い唐(中国)から、5度失敗をし、視力を失い、最初の渡航から12年を経て、6度目でようやく異国の地に辿り着いた高僧が亡くなる前に、その姿を残そうと作られたのが、この鑑真和上像。

 視力を失った目を閉じ静かに佇むその像は、まさに生けるが如くの像でした。魂が宿る像というのは、こういうものかと感嘆。
 苦難を乗り越えてこの国へ仏教の戒壇を伝えに海を渡ってやってきた情熱と信念、そしてその高僧を慕う数多くの人々の魂が確かに宿る像でした。
 その静かな眼差しの先は、遥かなる国か。人々が昔も今も求めて止まない国へ、まっすぐに向けられている。

 唐招提寺は永く金堂修理をしていたのですが、今年秋に修理が終わり落慶法要が行われるそうです。9年ぶりにお目見えする、唐招提寺金堂、是非行かねば。
 あと、東山魁夷の襖絵の青の色が、壮絶でした。その深い青が、鑑真の渡った海の厳しさと暖かさ、自然の持つ力の全てを現しているようでした。

 帰りに京都で、井上靖天平の甍」を購入。鑑真をこの国に呼ぼうと唐の国に渡った僧達の物語。実は未読でした。

 仏像と言えば、現在発売中の「一個人」の特集・仏像入門も面白かったです。仏像に詳しくない人が読んでも充分わかりやすいのと、あと円空の彫った「円空仏」にもスポットが当てられていたのが良かったです。円空仏と言われる木彫りの仏はいろんなところに残っているのですが、従来の仏像のイメージより、どちらかというと造形的には土着の「神様」に近いような気がします。

 まだまだ五月は続きますね。
 ちなみにタイトルですが、「時は今、あめのしたしる五月かな」というのは、明智光秀が6月2日の本能寺の変の一ヶ月前に愛宕山で開かれた連歌の会で読んだくだと言われています。
 「時」というのは、「土岐」(光秀は美濃の土岐一族だと言われています)と、かかっており、「あめ」は、「雨」ではなく、「天」だと。
 土岐は今、天の下しる、五月かな。
 こう解釈すると、光秀は本能寺の変の一ヶ月前には、既に信長を殺すことを心中に決していたのではないかと言われております。
 
 本能寺の変、大好き。
 大好きっていうの、なんかおかしいですが、語りながら熱くなってしまうのです。
 信長の死は、あまりにも劇的過ぎる。
 炎の中の壮絶死が信長という男の生き様に、あまりにも当てはまりすぎて小説的なのです。

天平の甍 (新潮文庫)

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一個人 (いっこじん) 2009年 06月号 [雑誌]

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