愛してると言ってくれ

 昨日はアタマを下げまくった。
 久々にさげまくった。謝りたおした。
 わたしはなんもミスはしてないのだが、仲間がチョイと大ミスをしでかしたので、責任者としてアタマをさげまくった。
 ミスした娘のことを私は好きで信用してるので、アタマを下げるのも罵倒されるのも実は苦にならない。
 そして、こうしてちゃんと謝罪が出来る自分を、「俺っ! オトナ!」と、心の底で褒めていた。
 責任者ってのは、「責任をとる立場」なので、幾らでもアタマを下げられるのだ。
 えらいなぁ、オトナになったよなぁ、わたし。
と、自分で自分を褒めた。
 自分の仕事は、ここんとこキメてるしよ。
 エライよなぁ、わたし。

 私はアタマをきちんと下げられるようになった大人の自分が結構好きである。

 オトナになると、人前でだんだんと泣けなくなる。
 なぜかというと、ぶさいくだからだ。
 泣いて許されたり甘やかされたりする年齢でも立場でもない。
 
 そしてこれから段々と、人前で泣けなくなる。
 だから、わたしは1人で、夜泣く。
 しょっちゅう泣いている。
 口惜しくて、哀しくて、寂しくて、嫌なことや辛いことを思い出して。

 だけど、誰かに話を聞いて貰いたいときや、慰めてもらいたいときもあるから。
 だから人間には、「家族」が必要なんじゃないかなぁと、思った。
 その人の前でなら、泣くことが恥ずかしくない。不細工で弱い自分も見せられる人が家にいて、一緒にご飯を食べて、一緒に寝ること。

 仕事してると、いろんなことがあって。
 お金もらうってのは、我慢料だからしんどいことや辛いことがあるのなんてあたりまえで。
 だけど人前では、もう泣いちゃいけない立場と年齢だから。
 でも誰かの前で泣きたいから。
 だから家族が必要なのだ、きっと。


 私は甘えたい。
 アタマを撫でられて、頑張ったねと言われたい。
 褒められたい。
 褒められないと、何にもできない。
 褒められるためならば、頑張れる。


 えらいなぁ、わたしと自分を褒めるだけじゃ足りなくて。
 よしよし、頑張ってるねと、誰かにアタマを撫でてもらいたい。
 
 愛してると言われたい。

 誰かにそうされないと、絶望してしまいそうになる。
 


 しかし私はしんどいとか愚痴りながらも仕事が好きなのですよ。
 褒められるから。
 頑張れば。

 恋愛では頑張れば頑張るほど駄目になることが多い。
 そして私は絶望の楔を心の底から信じていた人に打ち込まれたり、いろんな、「お前は呪われてる」としか思えない出来事にも遭遇して、もう諦めねば、と思う。
 恋愛で幸せになるということ。

 私が今までの恋愛で学んだことは、「人は、自分の身を守る為なら、どんな酷いことでも出来るんだ」ということと、「人の痛みは他人にはわからない」ということと、「人間は自分のことを好きだという人間を利用し、貶めても、それでも平気で生きていけるんだ」ということとか、ともかく、ロクなことじゃない。


 誰も必要とせずに生きていられたら。


 だけどやっぱり誰かに褒めて欲しい。
 お前は頑張ってるよと。
 お前に生きていて欲しいと。
 お前が必要だよ、と。
 だからお前は自分を許してやりなさい、と。



 今日、ある仕事関係者の訃報を聞いた。
 十日前まで、声を聞いていたのに。
 まだ四十代半ばだった。
 急なこと過ぎて、信じられなかった。

 死ぬことが怖い。
 そして、この絶望と孤独と憎悪を抱えたまま自分は死ぬのかと思うと、ゾっとする。