かっこいいというのは、こういう生き方だ
感動したもの。
井口昇監督のブログ記事→http://blog.livedoor.jp/iguchinoboru/archives/51356009.html
>>歳をとると嗜好が純化していくものなのだよ。画面に写っている事が全てではないんだよ。言葉でいいかえられるメッセージだけ信じてはいけない。理解できるものだけについて語るのはそろそろやめないか。歳をとって感じる事は誰の共感を得られない事でも、自分が引っ掛かるものがあるのであれば、そこには己の真実があるのだ。
感じる側も自分がわかるものだけをわかろうとしてはいけない。スルーしていくものの中にこそ、人生を読み解くヒントが隠されているものだ。俺は尻から物が出る瞬間を映像に捉える事で自分の真実と闘ってみせる。運命と闘ってみせる。パンチラを描く事も俺にとっては、そういう事であり自己確認の大切な作業だ。
パンチラの彼方に宇宙がある。
俺は本気で信じているし それを数十年後証明してやる。
(以上、引用)
かっちょいいなー
かっちょいいなー
かっちょいいなー
私は、自分がものすごく頭が悪いんじゃないかと思うことが、多々ある。
人の言うことを、理解できないのだ。
この人、何を言ってんだろうと思う。
そして、理解できない本や言葉もたくさんある。
そして、どうやら、私の理解できない、更に興味がないものの方が、人が話題にするものであるとか、興味を持つものだという場合が、多いのだ。
無理して、そういうものについて行こうとしたり、合わせようとすると、すんげぇ疲れる。
世の中について行けないと思うことが多々ある。
私は、理解できないものに囲まれている時に、自分はなんてアホウなんだろうと思ってしまうことがある。
でも、今まで、特に若い頃は、自分を殺して周りに合わせよう合わせようとすればするほど、墓穴を掘った。
そして、ついにその穴から出られなくなって、そのうち若くなくなってしまった。
その穴から出るのは、容易ではなかった。
でもねぇ。
その穴から、出る力を与えてくれたのが、平野勝之、カンパニー松尾、井口昇、代々木忠、そういうAVという世界に生きている人達の作品だった。
それは今でも変わらない。
上の井口監督の文を読んで、久々に、恋愛問題以外で、泣きそうになった。
AVを見て、私は、私のままでいいのだと思うことができた。
自分を否定しないものが、そこにあった。