怒りでわたしは生きている


 今日、朝女性専用車両で女子高生が友達と喋りながらバナナ食ってました。あんまりにもいやらしい光景で精子・・・やなかった正視できませんでした。しかし女性専用車両はええことに遭遇できるねぇ!

 ここんとこ腰痛で苦しんでおりまして、しかも花粉症なのでクシャミすると痛むという状態で、会社と家の往復だけで辛くて心も荒んでおりましたが、原因がわかりました。睡眠不足です。前もこんなことあった。
 あんまり年齢のことを、「私はもう年だ」とか「オバサンだから」とか言うと、自分より年齢が上の人達に失礼なので言わないようにはしてるのですが、(自分より若い人が、もう年だからぁ〜とか悲観的な言い方すると、失礼なやっちゃと思いません?)来月、また年をとって、自分でビックリするような年齢になるので無理せんとこっと。
 身体もですが、心も。

 
 最近、ちょっとある出来事がありましてね。
 書くのは憚れる出来事なので(と、いうか書くと長いからめんどくさい)その内容はともかく、その件と遭遇して思ったことがあります。

 ちゃんと、怒ろう、と。

 怒る時は怒ろうと。
 自分の尊厳を傷つけられたり、不愉快なことを言われたり、悪気はないにしろ、てめぇそれは違うだろというようなことをされたり、失礼なことをされたりしたら、ちゃんと論理的に怒ろうと思いました。
 論理的というのは、相手に、どうして私が怒っているのか、あなたが私に対してどういう失礼なことをしたのかが出来るだけわかってもらえるように怒ろう、と。

 もともと私は、怒る人です。
 仕事でも後輩を怒って泣かせたことも何度もある。だって言わなきゃわからんからさ、仕事では「やっちゃいけないこと」「シャレにならんこと」ってのがたくさんあるからさ。
 仕事の場でこそちゃんと怒らないといけない。泣かせるつもりは無いけれど、ズバズバ逃げ場が無いほど論理的に言うたら泣くしか出来ない人がおる。
 仕事ってのは、信用第一だから「やっちゃいけないこと」をやる人間を甘やかしたら絶対アカン場やし。私やって何度怒られて何度泣いたことか。でも皆、そういうふうに一人前になっていくんだよ。


 あんまりにも時間にルーズな「親友」と、袂を別ったことがある。
 何度も、三十分、一時間と待たされた。それも連絡は彼女の方からして来ない。何度もそれをされて、気がついた。
 彼女にとって私は、「待たせていい人」なのだと。私が彼女を待つことによって自分の時間を犠牲にしていることなど彼女は考えたこともないのだと。
 私は怒って、それを彼女にわかりやすく説明したはずだった。だけど彼女はただ泣くばかりでわかってくれなかった。その時は「ごめんなさい」と泣いて謝るけれど、その後も彼女は、私の都合を全く考えていないとしか思えない行動をとった。
 もう怒るのを止めた。そして彼女との縁は切れた。

 
 とか言いつつ、大抵の怒りは我慢する。
 めんどくさいからだ。論理的に、相手にわからせるように怒るのは、エネルギーを要する。よっぽど大事な人にならともかく、それ以外の人には、そこまでのエネルギーを発するのが面倒だ。そういうワケで、その場で少しイライラしても我慢する。そして相手のことを信用しなくなり距離を置く。それで、終わり。

 怒らない方が人に嫌われずに済む。
 論理的に説明しようがわかんない人にはわかんないから。特にプライドの高い人間は、わかろうとしない。
 上司(女社長)とも話したことがあるんだが、一番仕事がやりにくい人間というのは「プライドが高くて仕事の出来ない人間」だ。で、これ、男が多い。仕事できひんし、わからんくせに、女に教えられたりするのとか、女が自分よりモノ知ってたら不愉快そうになる男というのは、そらぁもう、たくさんおりまっせ。そんなに女に負けたくないのか、だけどあなた、わからないならちゃんと聞きなさいよ、プライドで仕事はできないわよと思うけど、聞く耳を持たない男は多い。
 勿論女でもそんなんおるけど、「女に負けたくない!」と肩肘張る男はホント多くて疲れる。
 そういう人に怒ったら逆上されるので、どうにか腰を低くしてその場をやり過ごすようにしている。ま、お仕事だから。

 仕事の付き合いとかはそれでいいんだけど、そうじゃない付き合いでは、これからはちゃんと怒ろうと思う出来事が最近あった。
 穏便にへいこらその場を過ごして媚を売ってニコニコ笑っていれば嫌われずに怖がられずに済むんだろうけれども、どうもそっちの方が疲れることに気付いた。
 特にどうも私は昔から舐められやすい。人なつっこそうに見えるのか、「温厚」とか形容されてビックリすることも多々ある。私の親しい人達は、私が決して温厚どころか攻撃的な人間だということを知っている。

 でも、嫌われても怖がられても尊厳を傷つけられたら、失礼なことをされたら、ちゃんと論理的に、なるべく相手にわかるように怒った方が、自分のためだ。人のためなんかじゃねぇ、自分の心の健康のため。
 誰にでも好かれる人になんかなりたくねぇし、甘えられたり、ましてや依存されたりするのも嫌れぇだ。自分のことだけで精一杯だから。
 ちゃんと怒らないと、どんどんつけあがっていくしねぇ。
 仕事では、いろいろ我慢をしないことが多いから、せめて仕事以外では、ちゃんと怒ることの出来る人になろう。

 
 私は、最近、ある人との縁が切れた。悪気が無かったのは知っているが、私の大事な友人本人が聞いたら絶対に不愉快になるであろうことを何度も私に告げようとするのだ。それを私が愉快に思っていなことを知って、謝って、また同じことを繰り返す。謝れば、許されて甘えてもいいと思っているのだろうか。悪気は無いけれど、私が不愉快に思うことを知っていたのに、その人はそれを繰り返した。
 私は、その人にわかるように「不愉快」を説明したつもりで、その人も謝罪はするのだが、翌朝になるとまた「不愉快」で、私の友人の尊厳を傷つけるようなメールを繰り返しよこした。何がしたいんだろうか、とにかく思うことを吐き出したかったのだろう、相手の都合や気持ちはおかまいなしに。
 めんどくさいので無視しようとも思ったけれど、無視して同じことが繰り返されるのがうんざりしたので怒った。

 その人は、私の怒りに傷ついているだろうし、私を恨むかもしれないけれど、私は全く後悔していない。

 誰にとってもの「いい人」になんかなりたくねぇし、「いい人」なんかじゃない。怖い人だとうるさい人だと、どうぞなんぼでも言って下さい。その方が気楽だ。
 それぐらいで切れる縁なんで、その程度のもんだしよ。
 だいたい、こっちの話を表面だけ聞いたフリして謝るけれど、実はわかろうとしていない人と必要以上に関わることはない。
 人間関係は、シンプルでいい。
 「たくさんのお友達」と付き合うエネルギーは、もう無い。
 
 「お友達ごっこ」は、嫌れぇだ。