さみしい私だけれど


歩かない日はさみしい、
飲まない日はさみしい、
作らない日はさみしい、
ひとりでゐることはさみしいけれど、
ひとりで歩き、
ひとりで飲み、
ひとりで作ってゐることはさみしくない


                        (種田山頭火の日記より)


 まるで、呪われたかのような人生だ。
 11歳の時に父の放蕩に苦しんだ母親が父と愛人が旅行に行っている時に自宅の井戸に身を投げて自殺。早稲田大学に入学するが神経衰弱の為中退し故郷に帰り家業を継ぐが、父の放蕩と自身の酒癖のために破産。妻子を捨て東京へ行った後、弟と父が自殺。鉄道自殺を図るが助けられ出家し、漂泊の俳人となる。


 防府山頭火の生誕地とその墓を訪ねた。

 吉田松陰種田山頭火西行法師、平野勝之と、私の好きな人は、旅をする人達が多いということに気付いた。

 旅をする人は、さみしい人だ。
 
 私もさみしい人だけど、
 さみしくない人なんて、いるのだろうか。
 さみしさを知らない人なら、いるだろうけれど。