あのころ


 あけましておめでとうごじゃります。

 丑年ですね。ウシと言えば北野天満宮、そして菅原道真としか浮かびませんが、わたくしは元旦は早朝から寺に初詣でに参りました。ちなみに年越しの瞬間は爆睡しておりました。

 元旦の朝から京都の六波羅蜜寺に向かいました。何故、六波羅蜜寺かというのはあとで述べます。

「福徳自在初稲穂」を頂いて、本堂で御参りをして、そして宝物館へ。宝物館は普段は八時半に開かれるのですが、この日は特別に早くより開けて下さってるとのこと。そしてこの度新しくなりました宝物館にて、地蔵菩薩様、閻魔大王様、空也聖人像、そしてわたくしが惹かれてやまない「邪眼入道」平清盛像に御参りしました。何で六波羅蜜寺に来るかと言えば、この平清盛像が好きだからなんですね。写真を持ち歩いて眺めるぐらい好きなんです。あの妖しげな瞳にたまに無性に会いたくなる。お寺の方によりますと、なんと私が新年初の宝物館への入場者らしくて、思わず「嬉しいっ!」と声をあげてしまいました。いや、ホンマに嬉しいわ。愛しの清盛様と最初に体面したのが自分やなんて。
 そして皇福茶という梅と昆布の入ったお茶も頂きました。この元旦に頂ける皇福茶を飲むのも今回で三度目になります。

 京都の正月をゆっくりしたいところですが、急ぎ京都駅へ。京都駅から電車で実家に帰省いたしました。なんで朝早くから初詣に行ったかというと、昼までに実家に帰省せなあかんかったからなんですね。元旦の昼には、ファミリー達が集結して食事会をすると言われてましたので、それに間に合うようにと帰ったのですが・・・

 電車に乗って一時間ほどすると窓の外は雪・・・吹雪・・・うわぁ・・・・寒そう・・・・

 最寄の駅に降りると、思いっきり雪は積もってるし吹雪いてるし、かなわんなぁと思いつつ、迎えに来てくれた妹夫婦の車で実家へ。駅から7キロあるのよ。
 ほんで両親、祖母、叔父夫婦、妹弟それぞれの配偶者と子供(私だけ配偶者おらんけど)総勢15人で顔を突き合わせ飯を食いました。こうして書くと、仲良し家族みたいですけど、こんな集まって食事とかするのは初めてです。多分、去年から今年にかけて弟と妹が結婚したり子供生んだりして一気に増殖したからでしょう。うちは決して親子、兄弟が仲良い方じゃない。妹同士も何年も口をきかないこともあったし、私も5年ほど実家に近寄らなかった時もあった。去年結婚した妹も嫁に行くまでは親と険悪だった。


 顔を突き合わせても、私は親や親戚の前で報告出来るような話は何も無いし(話せないことならたくさんあるけどね!)早々に逃げて、いつまでたっても懐いてくれない甥(恐竜のラジコンあげたのにっ! お年玉もっ!)や姪と戯れたり、11月に生まれたばかりの新顔の姪を眺めたり、本気で可愛い弟嫁と緊張しながら会話したりしておりました。
 えーっと、嬉しかったことは、弟嫁と私の手帖がお揃いだったことです。京都が好きな弟嫁は友人から「京都手帖」を貰ったそうで、「私もそれ使ってるよー」と喜んでしまいました。あんまり書くと気持ち悪いのですが、弟嫁は、マジにいいのです。外見云々より(そら可愛いけど)なんというか、明るくてハキハキしてサバサバしてて魅力的。30歳過ぎてて仕事のキャリアもあるせいか、どこに行ってもこの人はちゃんとやれるだろうなぁと思わせる人です。ある意味、私の理想の人かもしれない。あんまり褒めると本気で気持ち悪いからこの変で止めますけど、弟の嫁じゃなかったら、友達になりたいなぁ。義理の姉妹って立場がちょっと複雑。
 
 一昨年のクリスマス付近に結婚した上の妹がもう母親になってるっちゅうのも違和感ありーのだったんですが、その妹の夫がうちに居るのが当たり前になってるのも不思議なもんです。
 夕方にはそれぞれが家庭に帰っていきましたが(弟嫁も地元の人なので実家に帰った)とにかく雪は降るし激寒で、私は見事にその夜に風邪をひいてしまいましてね・・・・その後も寝正月ですよ・・・部屋にはPCもDVDも無いし、鼻水出続けるし、テレビは興味無いし、寝るか本読むかしてたので身体痛くなるしよ。実は今でも風邪は治らずエンドレス鼻水。やべぇ。


 そんな引き篭もりで実は未だに新年入ってから家族親戚以外と口をきいていない正月なのですが、実家の部屋に引き篭もって押入れを探っていると、数冊のノートと参考書、問題集を見つけて驚いたのです。

 実家は、強烈に田舎で、雪が多くて、田んぼと山ばっかで、鹿が出たとか熊が出たとか猿が出たとかそんな話も聞くし、私が子供の頃はコンビニもファーストフードも無かった。初めてコンビニ入ったのは18歳の大学入試に京都に来た時です。
 あと、大阪の叔父が今日も「お前はハンバーガーとか好きだったよなぁ」みたいなことを言ってたのですが、今はほとんどハンバーガーとか食べないんですね。ただ、子供の頃はマクドナルドとかはテレビでしか見ることの出来ない食べ物だったから、大阪の親戚の家に行くと、いつも連れていってもらってたので、未だにその印象があるらしい。ちなみに今は実家付近にはコンビニもファーストフードもあります。種類は限られてるけど。
 
 とにかくそんな田舎を出たくて出たくて、田舎を出たいがために大学へ行って、そこから何とか京都で踏ん張ってたけど借金背負って30歳過ぎてから実家に戻らざるを得なくなって、帰ったら学歴もない(大学は中退したから)PCも触れない、若くもない、何の技術もない女には職が無い。職安通いして面接して落ちることを繰り返して、やっと添乗員経験をかわれて小さな旅行社に勤め始めたけど、そこがもう最悪な会社で不愉快な思い散々して(この会社はもう潰れました)でも、私には出来ることが無いから、どうしたらいいか。せめて資格でも取ろうかと勉強して、旅行の国家資格とったんですね。とにかく、今居る場所から脱出したいって、それだけをエネルギーに。資格とったら、なんだ、私にも何かやれるんじゃないか、若くもなく、学歴も技術も無く、女としても駄目な私でも、何かやれるんじゃないかって、多分、生まれて初めて思えて、そして、その旅行会社を辞めた。

 辞めて、バスガイドの派遣に登録をしたけれど、田舎では仕事も少ないからあるメーカーの派遣社員にもなった。とにかく、この田舎を出て京都に戻りたい戻りたいとそればかり思ってて、そのためには「能力」と「金」がいるから、1人で稼いで食える人間になりたいと願い続けてた。休まず文句言わず真面目に人よりこなせば、いい仕事を派遣会社もまわしてくれた。それが「信用」ってもんだ。「信用」を得れば、仕事はまわる。足掛けのつもりの派遣だけど、金を貰っているんだから責任はある。そして、今回私が実家の押入れで見つけたのは、他の国家資格もとろうと、勉強していた時のノートと問題集と参考書だった。

 私には仕事もあるし、お金も無いから、専門学校や通信教育を受けることも出来ず、市販のテキストで独学でやるしかなかった。時間もお金もある人達を羨みながら、負けたくないと思って独学でノートを作って勉強していた。で、そのノートの存在をすっかり忘れていたのですね。だから、今回見つけて、ビックリしたのです。こんなに勉強してたんかーっ! って。

 そして、仕事の盆休みを利用して大阪のビジネスホテルに泊まって短期講習も受けた。その講習に行く時に、何故か気分的に電車より飛行機で行こうっ! って思い立ったのですよ。地元の小さな空港から、大阪へ。実は町民は補助金が出るからそんな料金が高くもないのですよ。

 その、半年ほど前から、中古のPCでインターネットを始めておりました。ネットをし始めて、東良美季さんという方ののブログを見つけたんですね。私はその随分前から、この人のAVについて書かれた文章を読みたいがためにAV情報誌を買い続けてました(AV自体はほとんど見てませんでした。購入する手段がないから)ので、メールをして、お返事を頂いて、やりとりを続けておりました。そのメールの中に、私は飛行機で大阪へ行く時のことを、こう書いてました。




>たかが大阪行くのに、今回は飛行機で行きました。
 プチ旅行気分を味わう為に。
30人しか乗れない、もの凄く揺れる飛行機なのですが、離陸して町が小さくなり、上昇していくと、自分はまだまだ何かやれるんじゃないかと力が少しわいてきました。




 その後、mixiがきっかけて、東良さんに褒められたことから、怒涛の如くmixiに、そしてこの外部ブログに文章を吐き出すようになったわけです。もともと学生時代は劇の脚本とか書いたり演出もしてたんですけれど、ある時から、私は全く文章が書けなくなった。

 私が金を貢ぎ続けた男は、元々放送作家だったんですが、私と知り合った頃にはもうそっちの仕事はほとんどしていなかったんですね。趣味の延長で物を書いたりはしてたけど。
 その人に大学の卒論を見せて、ひとこと「君に物を書く力は無いよ」と言われて、それから私は十年、何も書かなかった。書かなかったのか、書けなかったのか、わからないけれど。

 てめーに言われたくねーよって今は思うけど、その時は影響どっぷり受けてて、そいつが「神」だったんでね。今、私が多少なりとも物を書いてわずかながらの収入を得てることを知ったら、どう言うだろう。鼻で笑って小馬鹿にして、同じこと言うだろうね。

 「君に物を書く力は無いよ」

 って。間違いなく言うだろう。


 ほんで、結局そうやって勉強して取得に励んだ資格ですが、結果的には落ちました。また来年受けようと思っていたのですが、その頃からかな、mixiに物書き始めたりもあるけど、旅行業への興味も薄れて「資格狂い」は治まった。だけど、着々と親に内緒で実家脱出計画は進んで、両親に話す前に今の会社の女社長と面接して、住むところも決めてしまうのであった。家を出ると親に言った後は戦争やったけど、それから二年半ほど過ぎて、なんとかこうして穏やかに正月に顔を合わすようになったのである。って、人がおらんとこでは未だに説教されるけど・・・

 家を出る年の大晦日、私は京都のビジネスホテルに泊まって1人で年を越した。なんとしても今年、家を出るんだと、私に力を貸してくださいと願う為に、六波羅蜜寺と、長岡天満宮と、城南宮を元旦にまわった。
 そして翌年、京都で迎えた最初の正月に、お礼を言うために再び六波羅蜜寺を訪れた。私の好きな、平清盛に会うために。

 そしてまたその翌年、つまりは去年は楠木正成ゆかりの神戸の湊川神社に初詣したのです。だけど、今年は、もう再び六波羅蜜寺平清盛に会わねばと思ったのでした。
 
 一生のうちで、あの「家を出たい」と願ってた時期ほど、何かを一心不乱に思いつめていた時期は無いし、そしてそれは叶えられたし、その頃の「熱」を、もう一度思い出してみたいと、思ったから、今年は六波羅蜜寺に行ったのです。

 そして、実家に戻ってあの頃、悔し涙を流しながら勉強したノートを発見して、結局試験には落ちたんだけど、それも無駄じゃなかったんだと、思った。

 今までしでかしてきた、いいことも、悪いことも、醜いことも、恥ずかしいことも、決して無駄ではないと、思いたい。

 そう思わないと、これから生きていけないから。