師走に来る鬼


 愛することと、信じることは同義語だと思うけれど、どちらも、私には難しくハードルが高いことのように思えてならない。それは自分自身に対しても同じことが言える。

 許してやりなさいよと、もっと信じてやりなさいよ、と賽の河原の石を積むように、葛藤を繰り返す。
 石を積む子供を助けにくる地蔵菩薩が現れないかと三途の川の河原を眺め、手を差し伸べる人を求めながらも、その手を信じることですら、どうしてこんなに容易くできないんだろう。

 地獄の三途の川の河原で、逆縁の罪を背負うた子供達は石を積む。積んだ石を地獄の鬼が崩しに来る。そして泣きながら子供達はまた石を積む。鬼が来て崩す。石を積む石を積む。鬼が来る鬼が来る。そんな地獄の輪廻の舞台に現れ子供達を救うのが、地蔵菩薩


 性に関わる人達の中には、性により人を救う人や、救われる人がいる。彼ら彼女は時には地蔵菩薩であり、特には愛染明王であり、時には色を貪る餓鬼であり、時には観音菩薩であったり。


 二十歳の頃出会い、一時期貪るように見ていたのは、代々木忠監督という人の作品群だった。あれから十数年の時が経ち、私は幾つかの恋愛のようなものと、セックスを経験したけれど、未だに性を描く世界に惹かれアダルトビデオを見ている。そしてその、果ての見えない巡礼の先達は、代々木忠という人であることは間違いない。

 そんな代々木忠監督のブログがアテナ映像のHP内で始まりましたっ!

 きゃーっ! ちゅー(代々木忠監督のこと、勝手にそう呼んでます)すてきーっ!!

 代々木忠の「現在」の言葉を読めることが、嬉しいです。
 


 ところで、仕事バタバタシーズンを終えて(って、実はまだ落ち着いてなかったりするけど)ふと気付けば時は師走ですね。恒例のクリトリス・・・じゃなかった、クリスマスソングが流れて街のあちこちにツリーのイルミネーションが目に付き、「電気代かかるやろなぁ・・・」とそれを眺める今日この頃ですが、来年の手帳をやっと買いました。

 わたくしの近年の手帳はこれです。京都手帖です。京都の地図、各施設の電話番号と住所、そして京都の様々なイベントやら、おススメのあれやこれやなど、京都好きにとっては大変便利な手帖です。



 さっき田舎に電話したら、オカンが雪降ってるって言っておりました。
 京都も寒い。
 明日も寒いかな、仕事で屋外うろつくというのに。背中にカイロを貼っていこう。おそらく今年の「制服納め」になりそう。


 寒いと、寂しいは似ている。
 寒いなぁ。
 寂しいなぁ。

 いやになるぐらい、似ている。
 ついうっかり、「寂しい」と、縋るように口に出してしまいそうなほど。
 必死で心を閉じているのに。



 あたたかいものが、欲しい。
 いやになるぐらい欲しくなる時がある。
 だから冬は、ちょっと困る。