黒光りしている人生

hankinren2008-07-21





私「私、爽やかな文章を書きたいんですよねー」


T「無理ですよ。自分の中に存在しない物は書けませんよ。だってあなたの人生って、黒光りしている人生じゃないですかー」


私「く、黒光りしている人生・・・・」


 
 これはある日のラーメン屋のカウンター席での会話です。Tというのは、かつて私と偽装結婚話もあった10年以上の付き合いになる親友T君(バリバリのゲイ)のことです。彼のライブチラシを作って(写真がチラシの一部分)受け渡した夜の会話です。
 爽やかさが存在しないって・・・黒光りしている人生って・・・淫水焼けした肉棒じゃないんやから・・・・

 そんな黒光りする人生を送ってきたわたくしですが、ここのところバタバタとしておりながら祇園祭にもちょいと行ってきたり、私にしては珍しく活動的な日々でございました。
 そのバタバタの〆が、T君のライブチラシの製作です。この夏彼はライブづいておりますの。本当なら彼のライブの告知などしたいところなんですが、そんな広くないバーで催され、毎回立ち見が出る状態なので、これ以上人が増えてもなぁ、と。
 T君がメジャーデビュー(鼠先輩やないけど)して、大きな場所で歌う機会があればいろんな方にいらして欲しいです。って、別に本人がメジャーデビューする気ないんですけど。周りが「武道館で唄え」とか言うてるだけで。現在は、ボランティアで福祉施設などへ行ったり、歌謡関係のイベントなどに招待されて歌っております。

 ほんで、そのライブチラシにT君をイメージした絵を描こうとしたんですが、私、男の絵が苦手なんですよ。もともと漫画家志望(中学生の頃に買ったスクリーントーンが未だに残っているのよ)やったんですが、なんせ女の絵しか描けないもんで話にならん。そやから今回、男の絵を描くのに参考になるものは部屋にないだろうかと見渡しておりましたが、私の部屋は、AV情報誌など女の裸関係のモノしかございません。

 あ、でも思い出した! アレがあったわっ! 唯一の男がグラビアに出ている雑誌!

 それは・・・・「薔薇族」・・・・ゲイ雑誌の最高峰「薔薇族」・・

 そんなにしょっちゅう買っているわけやないんですが、結構ゲイ雑誌好きなので、何故か私の部屋の本棚にさりげなく在る「薔薇族」(1度休刊になって復刊されたもの)・・・


 そんなこんなでなんとか書き上げて、T君が私の部屋に取りにきました。散乱しているAVやAV雑誌なども相手がT君やったら気を使って片付けなくてもいいから楽。これが女友だちやと、ちょいと気を使ってしまいこまなならんのです。彼女達は「平気だから」と言うんですが、こっちが平気じゃねーんだよ。
 そして神戸の中華街で正月に購入した「妖怪人間ベム」のTシャツ(背中に『早く人間になりたい』と書いてあります)を着た思いっきり色気の無いわたくしと元婚約者T君はラーメンを食いに行き、上記の会話がなされたのです。


 その少し前、7月16日は京都の祇園祭宵山へ。
 祇園祭は何度か行っているのですが、今回は機会があり、数人でぶらぶらといろんな方のお話を聞きながらの宵歩き。
 勉強になりました! タメになりました! という言葉を使うのは好きではないんですが、何か知識を吸収するというのは楽しいもんです。すげぇ楽しかったんだよ! 
 情報は1人で得ることは出来ても、本当の知識というのは1人で得ることは出来ないのではないかと思う今日この頃。うん、やっぱりネットや本だけでは「情報」は得られても、「知識」は得られんわ、と思う。知識というものは、裏づけされて始めて我が身の肉となるものやしね。
 人に話を聞くというのは大事やなぁ、ネットや本やと、なんだか一方的で、自分の都合のいいようにどうにでも変換できる情報の域を出ないんやないかと。
 狭い世界に身を置いて「モノを知った気になってるヤツら」って嫌いやし、その傲慢さを恥と思わないことの醜さに辟易する。そういう人の言うことって、「上から目線」やし、実はツッコミどころ満載やったりする。

 要するに、脆弱やっちゅうこっちゃ。
 友よ、書を捨て街に出よう。タフな大人になるために。タフな大人にならないと、この世の中はとっても生きにくいのだよ。
 脆弱な子供のままで居ても、誰も助けてくれない、1人で生きていく力を持たねば、愛されないし愛することは出来ないということを知らねば。脆弱な子供のままで愛されたい救われたいと乞うてばかりいても、一生救われない。

 
 わたくしも「精神的引きこもり体質」な所が多いにありますので、もっと心を開いて人と世界を怖がらずにタフに生きていかねばと思いました。
 興味を惹かれるものには、損得考えずにどんどん突進しよう、これからは。どうせ黒光りしている人生やから捨てるモンないし!

 
 そんなバタバタした日々でしたが(ちゃんと会社も行って本業もしてたわよ)、この連休は疲れを癒そうと、実家へ帰っておりました。実家では、一日中幼い甥&姪の相手をしていて更に疲労しましたけど・・・

 私の実家のあるところはホンマに田舎です。電車は1時間半に一本。コンビニが出来たのもここ数年のことです。田んぼと畑と山に囲まれた場所です。

 昨日は、午前中は末の妹&甥&姪とで、昨年末に結婚した上の妹の新居へお邪魔してきました。うちの妹は2人とも「ザ・田舎の長男の嫁」なのですが、2人とも二世帯住宅暮らしなのですね、元々あった離れを改築して貰ったりしての。田舎やから土地はあるんですよ。ほんで、今回行った上の妹の家も、母屋(姑さんと舅さんと夫の妹さんが住む)のすぐ隣に平屋建ての広い家に住んでおりまして、風呂広くてトイレ広くてオール電化で、こんな部屋、都会のマンションで住もうと思ったら家賃なんぼかかるんやろ・・・と計算してしまいました。
 長男の嫁って、あんまいいイメージないけど、それは親や本人次第で、家賃無しで広い家住めてっちゅうメリットも多いにある。あと、うちの妹達の嫁ぎ先も、うちの実家も、畑があるんで野菜は家にあるから、それもいいよなぁ。
 上の妹宅訪問を終えて、妹&甥&姪と家に帰ると、たまたま帰省していた弟の嫁・A子さんがいらしておりました・・・


 私はこの弟嫁・A子さんが大変お気に入りで、友達たちに「相手は人妻、しかも弟の嫁さんなんだから自制するように」と釘を刺されているのです。いや、それはええんやけど、自分の好きな女に「おねえさん」って言われるのが嬉しい・・・本当に嬉しい・・・・
 A子さんについて語ると、ますます黒光りする人生に磨きがかかるので止めておきますが、この時、人の名前の話をしていて、彼女がこんなことを言っておりました。

「自分の名前の由来と堂々と言える人は、その名に恥じない生き方をしてきた人なんですって」

 って。つまりは、その名に恥じた生き方、「卑」なる生き方をするなってことでしょうか。確かに、人の名前には何らかの親などの想いが籠められています。こんな子に育って欲しい、と。
 私のバイブルは団鬼六先生が書かれた「米長邦雄の運と謎」という本なんですが、その中に米長邦雄の信奉する女神のことが書かれており、その女神が好むものは「笑いと謙虚さ」であり、女神が最も嫌うものは「卑」であるということが書かれております。 
 A子さんの言ってることは、そういうことなんじゃないかなぁと思いました。

 それにしても今回は私と上の妹&末の妹&義妹A子さんと女姉妹そろい踏みで「若草物語」みたい・・・(嘘)

 その後、末の妹&甥&姪で山の草原にあるアスレチックみたいなところに行きました。子供の世話って大変・・・で、アスレチックの遊具などに、子供と一緒に久々に自分も登ったりしてたら体力の衰え感じまくり。こっちが怪我するかと思ったよ。


 しかし未だに方言が直りません。
 家に帰ると、バリバリ方言に戻ってしまいます。うちの田舎はホンマにド田舎で、閉鎖的で保守的で昔から大嫌いで、だから高校を卒業した後と2年前と、2度、家を出ました。
 一生これから帰る気はないんですけど、自分は田舎の人間だなぁ、よくも悪くもというのは、最近ひしひしと思います。昔は自分が田舎モノであることにコンプレックスがあったけど、今はあんまないな。田舎で生まれて都会で生活できること、どちらの世界も知っていることは財産やないかと今なら思う。

 田舎に帰る電車の窓から、数年前、不本意に実家に戻らざるを得なくて(男に貢いだサラ金で職も住む処も失って)数年大嫌いな田舎でひたすら働いていた頃に車で走っていた道が見えた。電器部品の工場で、旅行会社で、オカキの工場で働いて、休日にはバスガイドや、スーパーでの試食マネキンや、選挙の補助の日雇いバイトもした。

 自分がしでかしたことで家族に迷惑をかけたことや失ったいろんなモノのことを考えて愚かさに胸が瞑れそうで、それでもこの土地に一生いるぐらいなら自死する方がマシだ、だけど私はもうここから出られないのかもしれないという絶望と焦燥感で狂いそうな日々を、ひたすら職を選ばずに働きまくることで何とか抑えこんでいた。1人になって泣ける場所と叫べる場所は車の中だけだった。車の中ではいつも大音響で音楽をかけて唄い叫んでいた。死にたくなかったから、生きようとしていたのだ。

 1度、事故をおこしかけたことがある。あれは、家を出るお金もなんとか貯まり、都会での職も見つけ、その当時勤めている会社にも退職の旨を伝え、両親に「家を出たい」という話をした少し後のこと。案の定親は大反対で、母は泣き叫んだ。お前は何をしでかすかわからない、信用できない、お前がまた都会に行くと心配で夜も眠れない、自分のやったことをわかっていないのか、親をあんなにも苦しめて、また更に苦しめるのか、と。お前は実は全く反省などしていないんだ、どうしてそこまで親を苦しめるようなことが出来るのだ、と。

 親が泣こうが喚こうが、私は会社に毎日何食わぬ顔をして通勤して仕事をしていた。ただ、一度だけ、ここまで来たのに、やっぱりこの土地を私は出られないのかという絶望で目の前が真っ暗になりハンドル操作を誤ったことがある。幸い、コンクリートの道端の段に乗り上げて車を少し損傷しただけで済んだけれども、少し間違えれば事故を起こしていた。


 実家に帰る電車の窓から、あの頃叫びながら運転した道を眺めていた。田舎は都会より不景気で職がない。新聞広告の折込チラシの求人広告も相変わらず工場の派遣ばかり。職安に行っても特別な資格や技術のない人間の仕事はいつクビを切られるかわからない工場の派遣しかない。道沿いの店も次々とつぶれて、後に入る者もなく、寂れた建物が延々と連なっている。自殺者も離婚も多い。うちの小さな集落の中だけでこの数年で何人が自死したか。田舎はのんびりしていて住みやすいなんて大嘘だ。うちの弟だって跡取りだけど、誰も帰って家を継げなんていえない。仕事が無いのだもの。実家の家業も父の代で終わることになっている。

 電車の窓から、田んぼと畑の寂れた建物沿いの道を眺め、あの頃の絶望と焦燥感で狂いそうな日々のことを思い出していた。

 でも、あれはまだほんの2年前のことに過ぎないのだ。

 そのことに、自分で驚いた。