私は海に還りたい

 私には意思が無い。いつも大きな波のうねりに絡め捕られて流されて沖へ漂い、時には溺れ、どこかの岸へ辿り着いている。海岸で自分がどこにいるのだろうかと考えて辺りを見渡してさてどうしたらいいのだろうとぼうっとしている間にまた大きな波に身体を飲み込まれ海へ流される。
 だから一年後には、二年後には、三年後には、どの国へ、どの島へ辿りついているのかわからない。あの島へ行って何かをしようという強い意思があれば必死に泳ごうとするのかもしれないが、私は意思を持たず流されることしか出来ない人間だから、どこへ行くのか、どこに居るのかわからない。
 溺れ死ぬことも意思らしい。意思のない私は海の底に沈むこともできずぷかぷかと浮いて手足を申し訳程度にばたばたと動かして目を瞑る。
 目を瞑り水の温かさに身を浸すと次に自分が流される岸の幻影がみえる。
 
 意思を持たずに抱かれ委ねたセックスは、ただ、肌の触感が気持ちいい。大きな波のうねりに身を任せて目を瞑り意思を持たずに流されて漂うように抱かれて泣いた。

 今まで辿りついた海岸には、私が手で砂を積み創った墓標がある。男と寝て別れる度に墓標を砂で創る。砂の墓標は風に吹かれて飛ばされることもあるし、波に呑まれて一瞬で藻屑となることもある。その方がいい。脆い方がいい。何も残らない方がいい。ただ男と寝ただけのことで、それ以上は何も意味を持たないのだから。
 
 体温が高い男はズルい。それだけで気持ちがいいから。ズルいねぇ、あんたはズルいよ。こうしてただ肌を遭わすだけで私は私の罪が許されるような気がしてしまうやないか。罰を与えるかのようにヒリヒリと築きあげてきた仮面の脆さを思い知ってしまうやないか。私は意思を持たず、ただ触れられて、触れて、そのまま海の向こうに流されてそのうち波に揺られる感じがあんまりにも心地よくて心地よくて眠ってしまう。

 そのまま漂い目が覚めればまた新しい島の海岸に辿り着いていた。砂に埋まって何かキラキラと月の光を受けて光るものがあるので手にとると、それは今までどこの海岸でも見たことのない貝殻で、触ってみるとつるつるしつつも、しっとり吸い付くような触り心地で、私はあなたにこの貝殻を見せなければと思い砂を払って立ち上がる。足にまとわりつく砂を払いのけ、裸足で歩き出す。

 もしもまた、海に呑まれて流されてしまっても私は縋りつくようにその貝殻を離さずにいよう。あなたにこの貝殻を見せたいと願い続けていたら、波はあなたのいる場所に連れて行ってくれるような気がする。

 水と、体温が、毛穴から身体に染みて全身の隅から隅までと血液と一緒になってぐるぐると廻って廻って暖かくて溶けてしまいそうだ。そうしてさらに私は考えることを止めてただ流されて海に漂うことしか出来ぬ人間になる。
 頭の中に海水が流れ込みいろんなことを忘れてしまった。苦しいこと哀しいこと寂しいこと嫌なこと、いろんなことを忘れてしまった。頭の中身だけでなく身体も溶け出して海の水に混じっていく。指先から、髪の毛から、唇から溶けていく。忘れてしまった、いろんなことを。ただ残るのは、水の温かさ、肌の熱、唇の感触、性器の擦れる音。
 
 私は海へ還りたい。

 私はあなたにさわりたい。

 私はあなたにさわりたいけれども、あなたは今、ここにいないから、あなたがさわった私の身体をさわろう。あなたがさわったところを、私はいとおしみながらさわる。

 私は海に還りたい。流されとけて還りたい。だからあなたも私の海に還りなさい。私の温かく濡れて、あなたに絡みつく場所に還りなさい。
 私の海はあなたの海だ。私は海に還りたい。
 ただ、あの海に還りたい。