雪葬

hankinren2008-02-15



 夏と冬は人が死にます。

 今年に入ってから数人の訃報を聞いた。暑い時期と寒い時期は亡くなる人が多い。先日も知人が亡くなった。まだ50歳になったばかりでつい先日まで普通に仕事をしている姿を見かけていたので訃報を聞いて驚いた。病気を宣告されて一ヶ月もたたぬある寒い日に亡くなった。

 10年と少し前、祖父は自分の結婚記念日に亡くなった。祖父の葬儀の日は4月なのに雪が舞っていた。私はその頃、留年を繰り返し、その年も卒業出来なかった。大学の春休みは、家の者が祖父の介護をするので私はずっと田舎で家事をしていた。病院のベッドで痩せ細っていく祖父が永くないことは明らかだった。両親は祖父を心配させてはいけないから、大学はちゃんと卒業できましたと言いなさいと私に言った。その通りに私は祖父に聞かれると、卒業できたよと嘘をついた。祖父は喜んで笑ってくれた。私は嘘をついて、祖父はその嘘を信じて亡くなっていった。嘘を吐いたことは後悔はしていないけれどもそのことを考えると今でも苦しくなる。嘘を吐かないといけないような状況を作った自分の愚かさが今でも苦しい。
 春の雪の中で私の嘘を信じた祖父は逝った。



 これも今年に入ってから聞いた、ある訃報に纏わる話。亡くなった人は70代の女性だった。独身の彼女の喪主を務めたのは30年に渡り彼女の恋人だった人だった。けれども彼には他に家族がいた。「不倫」だった。妻ある人だけれども、彼は長年の恋人だった人の喪主を務め上げた。
 それは「責任」なのだろうか「罪悪感」なのだろうか「愛情」なのだろうか。たとえどの理由であったとしても哀しい。もしも愛情なのであれば、奥さんと別れて彼女と結婚するという選択肢は無かったのだろうか。それでも「愛人」の喪主を務めた彼は誠実な男の部類に入るだろう。その話は哀しいけれども羨ましくもあった。家庭のある人と付き合うことに罪悪感の持てない私は今まで何度か「不倫」をしたし、もしもこれからもまたそういう恋愛をして、例えば私が独りで死んでしまった時に、妻子ある身であっても、そこまで「責任」をとってくれるほどの、「愛情」を抱いてくれる人がいるだろうか。


 独身の人と付き合った数より、家庭のある人(もしくは婚約者がいる)と付き合った数の方が多い。「不倫」をするということは基本的に恋人の死に目に会えないということ。恋人が病に倒れても誰も知らせてくれず傍に行き見守ることも出来ない。恋人が亡くなったことを知らぬまま数日を過ごすかもしれない。家庭のある人と「秘密の恋」をすることは、人生において最大の寂しさと苦しみを約束されることだ。私はバカでブレーキが利かないから、相手が既婚者だろうがストップをかけることが出来ない。けれども平気で不倫やってた頃は、要するに何にもわかっちゃいなかったのだ。


 私は時折、遺書を書かねば、と思う。思いながらも未だに書いてはいないのだけれども。
 独り暮らしは夜にいきなり苦しくなっても誰にも気付かれず誰かが救急車を呼んでくれることもない。私も1度風呂で意識失ったことがあって「このまま死ぬかも」と思ったことがあるけども、冗談抜きにある朝いきなり冷たくなっていましたってことも充分ありえるわけだ。部屋で転んでテレビに頭ぶつけてそのまま死ぬかもしれないし。そう考えると一人暮らしって確実に死亡率が高い。そうか、だから「結婚して家族を作れ」とか言われるのか。1人暮らしは死亡率が高いから、そらどんな形であれど家族が居た方が生き残る確立は高い。

 先の事はわかんないけれどこれからも1人暮らしの可能性が高いので、誰かに助けを呼ぶことも出来ずいきなり死んだ時の為に、遺書を書いておいた方がいいんじゃないかと思う。例え家で死ななくても外を歩いていて事故にあうかもしれない。そんな時の為に遺書を書いて言葉を残しておいた方がいいのではないかと思いつつ、まだ書いていない。


 どんな遺書になるだろうか。ラブレターかもしれない、恨み言かもしれない、人の悪口ばかり書いてるかもしれない、いろんな人に感謝の言葉を並べているかもしれない。
 
 自殺は全然する気がないので、死ぬとしたら思いっきりマヌケな死に方がいい。やっぱりあいつはバカだったと言われるような。

 私の田舎は雪深い所なので、こんな話があった。春になり山の根雪が融けて、死体が発見された。都会から来た自殺者が薬を飲んで山に入り、そのまま遺体に雪が降り積もり、春になるまで発見されなかったのだ。その話を聞いて、何となくコーエン兄弟の「ファーゴ」という映画を連想した。雪に覆われた街で、人間の「よくある愚かさ」が引き起こした殺人事件の物語。
 死体には雪が似合う。人の愚かさに雪が覆い被さり、原罪をも隠してしまうような錯覚にとらわれる。

 死体には雪が似合う。子供の頃、雪の中うつ伏せに眠り死体のようにじっと雪の冷たさに身を浸すのが好きだった。白銀の柔らかい雪の中、私は死体のように動かなくなり雪が降り積もり闇と白が深くなる。そのまま眠ってしまい身体が雪に埋もれてしまい春まで誰も気付かない。もし冬に死ぬならば、そんなふうに死にたい。

 けれども人の訃報を聞く度に、私は「今は死にたくない」と怖いほど強く想う。傲慢にも、いつもそう想う。死ぬこと自体が怖いわけじゃない。死ぬ時に後悔をするのが何よりも怖い。怖くて怖くてたまらない。怖くて怖くて苦しい。人の死を聞く度に私は苦しい。
 だから書こうと思いつつ遺書が書けないままでいる。