花のない人生なんて
もう何年前になるだろう。10年は経っていないけれども、だいぶ昔の話です。健康診断の為に、その時勤めていた会社の本社に行き用事を済ませ、その会社に併設していた撮影所の屋外セットをぶらぶらしていた時のこと。そこで時代劇の撮影が行われていて、ちょっとびっくりするぐらいの「おじいさん」が座ってセットと向き合って演出をされてました。東映の映画村や、京都の街中でドラマや映画の撮影場面に遭遇した経験は決して少なくはないのですが、「映画を撮る場所」である屋外セットでの、その「おじいさん」を取り巻く緊張感が、とても印象に残っています。一緒に居た上司が、「あの人は、市川崑監督だ」と教えてくれました。
その時は、日本映画には相当疎かった頃なのでピンと来なかったのですが、後に「監督の名前で映画を選ぶ」ようになった時に1番選び観るようになった日本映画の監督が市川崑監督でした。
そんなにたくさん観ているわけじゃないけれども、私は女の人の残酷さに潜む可愛らしさや狂気を描いた作品が好きです。岸恵子、山本富士子の「黒い十人の女」(←男の人はこれ観た方がいいよ)、京マチ子の「穴」「鍵」など。あと、前回偶然触れていましたけど市川雷蔵主演の「炎上」という色気むんむん映画も好きです。
それはともかく、先日久々に元婚約者のT君のライブに行ってまいりました。当初は、今回のライブは様々な人が出演して、彼の出番は少ないと聞いていたのですが、やっぱりというか、結局彼がメインのような形の構成になっていて堪能してきました。(女性ファンからチョコやら花束やら貰ってやがったぜ)
狭い会場は人がいっぱいになって立ち見が出るほどでした。そういえば、T君と知り合ったのも上記の会社です。私は社員で彼は短期のアルバイトだったのだけれども、契約期間が終わっても彼は何だかんだとそこに出入りしていて、それから10年以上、疎遠になることもなくずっと仲良くしているのだから結構すごい。性格は全然違うのだけれども、感性の部分が双生児のように似通った部分があるので、街歩きとか買物とかを一緒にして1番気を使わず楽しい相手ですし、映画や音楽や本に関しては、間違いなく「合う」人です。きっと死ぬまで2人で、キャー素敵ーだの叫びながら仲良くしてんやろうなぁと思います。お互い絶対に性の対象にならないし、女同士のように嫉妬とかもないという要素もあるけれども、そういう性的な側面を抜きにしても合うんだよなぁ。
彼の歌を聴くと私はいつも泣いてしまいます。(私だけやないけどね)
歌ってのは、鍵だと思いました。自分の中から、普段は封印している心のヒリヒリした部分をひっぱり出す鍵だと。だから泣いているのは歌詞に感情移入してではなく、自分の中の悲しいこと嬉しいこと、そういう心臓を取り巻くデリケートなヒリヒリした薄い襞に触れるから泣ける。
口先だけで歌詞をなぞり、他者不在の世界で自己主張だけを大声で張り上げる「歌」ではなく、魂から人生の喜びと悲しみを歌い上げる「歌」は、抵抗する隙も与えずに心の中に入り込み魂に届く。それは発する側が「届けたい」と切に願っているからだろう。「自分をわかって欲しい」ではなく「あなたに届けたい」と歌い上げるから、心に突き刺さり、血の涙が流れる。
「音楽」という三島由紀夫の小説で、主人公の女性が、性的な快楽を得ることが出来ないことを「音楽が聴こえない」と表現していたことを彼の歌を聴きながら思い出していました。
坂口安吾は「恋愛は人生の花である」と言ったけど、音楽も花だ。
花が無くても人は生きていけるど、花の無い人生なんて死んでいるのと変わらない。恋愛だけじゃなく、映画や本や美しい景色、芳しい香り、この世には花が溢れている。
花のない人生なんて。
生きてて良かった。
この世に音楽があって良かった。