「縁」の最も深いヤツが「愛」なんじゃなかろうか。だから愛を怖がるな。

hankinren2008-01-01



 青葉茂れる桜井の〜里のわたりの夕まぐれ〜木の下陰に駒とめて〜♪


 と、元旦の朝は、楠木正成とその子・正行の訣別の歌「桜井の別れ」を口ずさみながら神戸の街を歩いていたわたくしでございますが、皆様方、あけましておめでとうございます。

 何故その唄を歌いながら神戸を歩いていたかという話は、後に置いておきまして、まずは年末の旅の話から。
 「旅に出ます」と言ってどこへ行っていったのかと申しますと、幕府ですよっ! 幕府っ! 

 先日、友人と喋っていた際に、「来年の抱負」を聞かれて、「鎌倉幕府室町幕府飛鳥時代を掴む」と答えた藩金蓮さんでございます。「掴む」為には、現地へ行き空気を味わわねばと10月頃から密かに「いざ、鎌倉」と熱き血潮を滾らせていたのです。ちなみに室町幕府は京都やし、飛鳥は奈良やし、いつでも行けるから、時間のある時に鎌倉幕府いかなアカンと思っていたのです。なんで室町幕府鎌倉幕府飛鳥時代なのかと申しますと、ただ単に日本史の中でその辺の時代が弱いからなんですけどね。

 ほんで熱き血潮を勃起したペニスの如く滾らせて新幹線に乗り新横浜へ。そっから乗り換えて鎌倉へ参りました。鎌倉自体に行くのは3度目なんですが、前回に行ったのは確か15年ぐらい前やし、その時は「サザン発祥の地」ということは意識していたけれども、「鎌倉幕府」は意識してなかったんです。意識せずに行ったんで、鎌倉幕府関連の場所とかは全然行ってなくて、今回行ったところは初めていくとこばかりでした。

 まず、鶴岡八幡宮へ。http://www.hachimangu.or.jp/静御前が舞を舞った場所であり、三代将軍源実朝が甥の公暁に刺され、「源氏」の鎌倉幕府が滅んだ現場です。鎌倉幕府自体は14代執権北条高時まで続くのですが、源頼朝の流れというのはわずか三代で終わっています。

 以前から密かに「源氏の将軍が三代で滅んだのは静御前の呪いのせいじゃないか」と思っておったのです。静御前に関しては以前書いております。http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070327#p1愛する男、そして自分の腹にいるその男の子供も死に追いやった頼朝の前で、彼女が舞を舞った時に、頼朝に呪いをかけたんやないか、と。「しずやしずしずのだまきを繰り返し」「吉野山 峰の白雪踏み分けて」この愛する男を恋うる2つの歌は、実は呪いの唄だったのではないか、と。

 征夷大将軍になった頼朝は、53歳で落馬して亡くなったと伝えられておりますが、これも暗殺されたんやないかとかいろいろ不審な点はあるのですよ。そして頼朝亡き後将軍になった頼朝の息子・頼家は母の実家である北条氏により伊豆修善寺に幽閉され暗殺、その後将軍になった頼家の弟の三代実朝は、この静御前が舞いを舞った鶴岡八幡宮で兄・頼家の息子である公暁により暗殺されて亡くなっているのです。この鎌倉3代将軍達は、ロクな死に方してないのですよ。あと、頼朝と北条政子の長女・大姫も悲劇的な人生を送り悲痛のあまりとしか言いようのない亡くなり方をしています。おそらく最も頼朝を憎んでいた静御前という女が死を覚悟して舞った場所で、頼朝の血が絶えるということは、何か意味があるように思えるのです。

 「呪い」と言ってしまうとアレなんですが、静御前という女性には歴史を動かすパワーがあったんやないか、と。これも以前書いておりますが、亡くなった後で歴史に強い影響を及ぼした織田信長の妹・お市の方http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20061127#p1のように。静にしろ、お市にしろ、その情念故にか器用な生き方は出来なかったのだろうけれども、すさまじい歴史を「作る」パワーがあったとしか思えないんです、その人生を辿ると。

 その現場である、鶴岡八幡宮へ行ってまいりました。八幡宮を参拝後、少し歩いて「白旗神社」にある源頼朝のお墓へ。私しゃ墓マニアやから。
 またそこから歩いて鎌倉宮http://www.kamakuraguu.jp/へ。ここは足利尊氏新田義貞楠木正成らを動かして北条氏を討ち、鎌倉幕府を滅亡させた後醍醐天皇の第一皇子・大塔宮護良親王が祀られております。鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇により建武の新政が行われましたが、その新政の成果が芳しくなく、足利尊氏が新政府に反旗を翻します。そして以前から尊氏と反目していた大塔宮護良親王は、囚われて土郎に9ヶ月幽閉された後、尊氏の弟・足利直義の手により殺されるのです。この辺の話は後醍醐天皇に仕えていた阿野廉子が関わってたり中々複雑なんですけどね。
 ほんで、大塔宮が9ヶ月幽閉されていたとされる土牢見てきましたけど・・・う〜ん・・・こんなとこに幽閉されてたら一ヶ月で普通は発狂するわと思いました。

 その後、長谷寺鎌倉大仏へ。鎌倉五山とかも行きたかったけど、キリがないし疲れちまう。あと、江ノ電乗って15年ぶりに江ノ島にちょこっとだけ行きました。ホント、観光客ですね。でも「観光客」するのっていいなーって思いましたよ。いつも観光客を迎える方やから。何も気にせずいろいろ見たことないモノを見るのってステキ・・・


 翌日は某所で関東方面に住んでいる友達と、その夫と会いました。友達とは高校時代からの付き合いなので、もう20年のお付き合いになってビックリこきまくり。友達って言っても学年は向こうの方が一つ上で同じクラブの先輩後輩やったんです。彼女が去年、結婚して妊娠して、今お腹がデカイもんで、彼女の腹ボテ姿を1度見ておこうかなと思いまして会ってきました。

 久々に会った彼女の腹には「エンジェル」が入って大きくなっておりました。え〜っと、この「エンジェル」ってのはですね、先日妹の結婚披露宴で、花嫁花婿に、うちの幼い甥&姪が花束を渡したのですが、その時に司会者の方が、


 「なんて可愛いエンジェル達っ! 今、新郎新婦にエンジェル達が祝福の花束を手渡しております! 新郎新婦にも早くこんな可愛いエンジェルが誕生するといいですね! (それは余計なお世話)」


 と、「エンジェル」を連発していたのが、妙に受けたんです。エンジェルって・・・エンジェル達のうんこ臭いでっせ。結婚披露宴の時は、エンジェルをトイレに連れて行って小便させてちんこ拭いてやったりしてましたで。

 その「エンジェル」話を友達に話して、それから2人で「お腹の中のエンジェルの名前決めた?」とか「エンジェル誕生の予定日は?」とエンジェルエンジェル言うて遊んでるんですのよ。
 
 友達の腹の中のエンジェルが生まれたら、また見に行きたいなぁ。
 友達の夫とは私は初対面やったのです。「彼には、私のことどういうふうに話してんの?」と聞くと、「とりあえず、憎まれてることは話してる」と言うてました。え〜と、以前、彼女の結婚が決まった時に「憎しみ」というタイトルで書いてるんですが、http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070201#p1これを彼女は彼にちゃんと読ませたそうです。

 えへへ。彼は何にも言わなかったけど、私、どんな人と思われてるのかなっ。


 そんなこんなで旅から帰ってきて、京都駅で新幹線を降りると、すんげぇ寒かってビックリした。
 あと、鎌倉で、「彼」に会いました。「彼」の姿を見た瞬間、胸の鼓動が早くなって・・・これは・・恋? ってアタシ、思ったんです。本当に彼の姿を見つけた瞬間、胸がドキドキしたんです・・・彼の名は、「楠木正成」。そして私が鎌倉で見つけた彼は、「東京限定・楠木正成キティ」なんです・・・・

 鎌倉の土産物屋さんなんやけど、東京限定のグッズやらも売ってましてん。ほんで、皇居におるやないですか、高村光雲(光太郎のオトン)作の馬に乗ってる楠木正成像。それのキティのボールペンがあったんです。普段は、調教中の純情少女Nちゃん(今年も・・・好き・・・)のお土産用にしかキティは買わないんですが、初めて自分用に買っちゃいましたよ! 楠木正成やからっ!

 そうなんです・・・昨年から、私の心を虜にしている男性・・・彼の名は、「楠木正成」・・ただ単に、吉川英治の「私本太平記」読んだからなんですけど。
 私しゃ歴史小説読むといつもこうなるのよ。「龍馬が行く」読後は「きゃーっ! 龍馬ちゃんすてきー!」になるし、「世に棲む日日」読後は、「高杉晋作かっこいいー!」やし。今も高杉LOVEやけど。ちなみに今は、「翔ぶが如く」読み始めてるんで、読後は薩摩藩の誰かの虜になっているでしょう。
 でも「私本太平記」の楠木正成は、なんつーか、世に伝えられている正成像と微妙に違ってて良かったです。楠木正成って人は、水戸光圀に信奉されるぐらいならまだ可愛いもんやけど、戦時中に政治的なあれやこれやによって、美化されて利用されちゃってるようなとこがあるからねぇ。

 そんなこともあり、12月私はとにかく「武士」のことばっかり考えてましたよ。武士道とは何かとか、武士ステキとか、武士のように生きるには、とか。私が、いきなり三島由紀夫の如く、関の孫六を手にして自衛隊で演説し始めたらごめんなさいっ!! 

 っちゅうわけで、楠木正成にメロメロのお姉さんは、本日元旦の初詣は、正成が亡くなった場所であり、正成を祀る神戸の湊川神社http://www.minatogawajinja.or.jp/に初詣に行ったのでした。ここ何年かは京都のどっかへ行ってたんやけど、やっぱり私の中の「武士の血」(?)が、正成様にお参りをせねばとうずくわけですよ。いやん。ま、湊川神社神戸駅から歩いてすぐで京都から電車で簡単に行けますしね。


 世の行く末をつくづくと〜しのぶ鎧の袖の上に〜散るは涙かはた露か♪

 と、「桜井の別れ」を口ずさみながら、お参りしてきました。正月なので屋台もたくさん出てた。ソースやらいろいろ良い香りが漂う中で、正成様のお墓も行ってきました。あと、200円払うと本殿の中に入れるとあったんで入ってきたんですけど、ご丁寧に巫女さんに案内されたり、神主さんに御祓いまでされちゃって、記念品やらお神酒やらも頂いてありがたや楠公様。

 湊川神社からは、ぶうらぶうらと神戸の街を歩きました。皆、帰省しちゃってんのか、ガラ〜ンとしてていつもと様子が全然違いましたけど。海岸通付近を歩いていると、さっきまでアタマの中で流れてた「桜井の別れ」のレコードが終わって、いつのまにか伊勢正三の「海岸通」が流れておりました。


 「なごり雪」もやけど、イルカが唄うより、伊勢正三が唄う歌の方が好きやな。「飾りじゃないのよ涙は」も中森明菜が唄うより井上陽水が唄う方が好き。中森明菜の歌は好きやけど、この歌に関しては陽水が唄う方が色気があって好きやなぁ。
 神戸って、プライベートで来たのは数年ぶりやったんです。仕事ではしょっちゅう来てるけど。ポートタワーやモザイクガーデンを眺めながら、ぶらぶら。


 そしてぶらぶらと神戸中華街・南京街へ。屋台で大根餅や豚まん買って昼飯して、ウーロン茶の茶葉やら買って、そのまま帰るつもりやったんですがっ! 奥さんっ! 私の視界にブルース・リー様がっ! 奥さんっ! 奥さんっ! 私はブルース・リー様に弱いんですよっ! ブルース・リー様を見かけたら、頭より先にカラダが惹かれて動いてるんですっ! 
 そんなわけで、中華雑貨のお店で、ブルース・リー様のカンバッヂやらステッカーやら買っちゃいましたよ、、あやうくヌンチャクやらもフィギュアも買うところやったよ、理性で留めましたが。(ヌンチャクは昔、「燃えよドラゴン」見た直後に南京町で購入したような気が・・)
 私がブルース・リーを好きなのって、「彼みたいな男性がタイプ!」とかやないのねん。「燃えよドラゴン」見た直後に「あんなに強い男になりたい!」って思ったんですよ。中学生男子か私は。

 あと、南京町では、どっからどう見てもチャイナな服とか、何故か「妖怪人間べム」のTシャツも購入。背中に「早く人間になりたい」って書いてあるの。早く人間の人生が送りたい・・


 ちなみに大晦日は、蕎麦食ってAV見て(何で大晦日にAV見てるのかというと見たいAV入手したからで特に意味はありません)眠くなってきたんで毎晩恒例の読書(エロ本)読んでたらいつのまにか2008年になっておりました。


 写真は、湊川神社で購入した「しあわせ御守」。可愛いでしょー。最近、神社や寺グッズもいろんなのがあって見るの楽しいす。


 そういうことで、新たな年が始まりました。
 年末に、「縁」ということについていろいろ考えておりました。バスガイドの仕事の時に最後の挨拶で「袖すりあわすも他生の縁」という言葉を使います。この世でほんの些細なことでも何か接点を持つということは、前世からの縁があることだと。確かにそうなんですよね、出会い(ネットでの出会い含む)ってのは、全て偶然ではなく必然性を帯びている。だって、出会わない人とは一生出会わないんですもの。何らかの形で関わるということは、必ず「縁」が存在していて、それは必ず必然性があるということを私はこの数年でひしひしと感じております。

 ホンマにね、この世に起こる全てのことは偶然やなくて必然なんやと思います。良い出来事も悪い出来事も全て意味があるのだから、その意味をないがしろにせずに、縁を大切にしようと思います。(悪い縁はさっさと切りたいけど)

 ここんとこ2年、特に去年という年は、「縁」に助けられ救われた年でした。
 この誰やわからんヤツが書いてるブログを読んでくださっている皆様とも「縁」が存在するのです。嫌や言うても縁があるねんっ! お前なんぞ知らんわ言われても縁があるねんっ! 



 っちゅうわけで、今年もよろしくお願いします。