那由他の夢 ―「恋愛できないカラダ 春うらら」中村淳彦監督作品―

 私はいったい何人の男と寝たのだろう。 

 思い出せない。途中から寝た男の数を数えることをやめてしまった。そんなことホントにどうでもいいことだと思ったからだ。誰と寝ようが、何人の男と寝ようが、どうでもいい。セックスなんて誰とでも出来るし、たいしたことじゃない。だから、どうでもいい。
 だけど股を開くと喜ばれるの。若い女と寝たがるオジサンの中には頼みもしないのにおこずかいをくれる人までいる。セックスなんて、たいしたことじゃないのに、喜んでくれて、こんなクソみたいなアタシのことでも求めてくれる人がいる。お礼にお金をくれる人までいる。
 喜ばれると、こんなアタシでも生きてていいんだって嬉しくなるから、アタシは淫乱な女を演じてあげる。あなたの望む、淫乱な素人女を。


 ああ、本当に思い出せない。
 昔、昔、そんなに遠くない昔の話なのに。
 
 私は、いったい何人の男と寝たのだろう。



 「アダルトビデオ」と冠するわりにはAVネタが少ない当サイトですが今回は久々、AVのお話です。
 今回ご紹介しますのは、企画AV女優のインタビュー集名前のない女たちの著者・中村淳彦さん監督作品「恋愛できないカラダ 春うらら」です。

 「AV女優」にもいろいろあって、「夏目ナナ」や「及川奈央」のように、コアなAVユーザーではなくても名前を知っていて、その辺のグラビアアイドルやタレントより綺麗で魅力的な「単体女優」達が砂の中でその姿を隠しきれずに輝くダイヤモンドだとしたら、男の欲望という海辺に現れては波に呑まれて音も無く流れて消える那由他の砂、「その他大勢」の裸になる「名前のない」女のコ達のような「企画女優」もいます。
 中村淳彦さんの著書に登場するAV女優達の人生には「借金」「風俗」「依存」「虐待」「リストカット」「病(心の)」という『不幸』キーワードが、お腹いっぱいです! と言いたくなるほどちりばめられています。だけど、その『不幸』キーワードは決してひとごとではなく、自分の中にある恥部をチクチク刺激する種類のものだから、映像化された作品を観るのが私は怖かった。



 今の私だけしか知らない人は、私の『不幸』を知らない。普通の家に育った普通のお嬢さんだと思っていることでしょう。かつて1人の男に依存して性欲を利用されて狂い、サラ金に手を出していろんなモノを失ってしまったことを、痛めつけることで自分を求めてくれた「ご主人様」達に糞尿をかけられ縛られ「変態」と言われる行為を散々やっていたことを、性欲を利用され金を搾取された復讐のように、好きでもない男達と寝て金を搾取しかえしていて男を憎み軽蔑していたことを、最低の生活の中で死にたい死にたい殺して殺してと毎日世界を呪いながら生きていたことを、今私の近くにいるほとんどの人間は知らない。

 「あなたは悩みなさそうでいいね」と、言われることがある。「恵まれてて楽しそうね」と嫉妬じみた感情を抱かれることがある。そんな時、私はごくたまに凶暴なほどの露悪願望に襲われ言葉の暴力で相手を痛めつけたくなる。だけどそんなことをしたって何にもならない。引かれるか同情されるかがオチだろう。嘘だと思われるかもしれない。嘘だと思うならどうぞ思ってくださいな。嘘つき女だと笑って下さいな。

 同情なんてされてたまるか。私は自分のことを『不幸』なんて思っていないのに。
 けれど、『同情』という餌で人を釣れることも知っている。私だけじゃない、大抵の人間は知っているだろう。『同情』という餌が大好物の「可哀想な人好き」の人間が世の中にうんざりするほど溢れていることを。


 でもまあ実際のところ、私の「不幸」なんて、不幸のうちに入らないと思うのです。だって全部自業自得だから。親は普通の親だし、カラダはいたって健康だし、そのまま生きてたらなんてことなしに生きられるハズだったもの。
 ただ、私が「間違えて」しまったのは、私の過剰さ故だ。私は私の過剰さ故に間違えてしまった。そのまま生きていれば普通に恋愛とか結婚とかしてたのかもしれない。

 だから私は「不幸」ではない。
 ただ、愚かなだけ。バカなだけ。セックスどころかキスもさせない男に貢いで借金作ったバカ女。性欲と依存心に振り回されて狂ったバカ女。
 「あなたはバカ女なんかじゃない」と言われても嬉しくない。客観的に見て、どう考えてもやっちゃいけないことやってんだもん。どれだけ周りに迷惑と心配かけたか。自分の愚かさを正当化なんて出来るわけがない。「私は悪くない」ハズがない。同情も賞賛もされたくない。生まれてきてスイマセン、恥の多い人生を送ってきました。

 でも私は生きています。これからも生きていきます。バカで恥ずかしい人生だけど、現在進行形で生きています。バカだけど幸せになりたくて生き続けることを選択しています。バリバリ選択して時にはアホウのように働いて生きてます。


 話をAVに戻しましょう。観るのが怖かったけれども、観たらすんげぇおもしろかったです。マジに、これ傑作やと思いました。ほんで、ちゃんとヌきました。

 19歳の「春うらら」という自らを「変態」と称す女の子の物語です。ハードなプレイが売りの「企画AV女優」の彼女の人生が語られます。親との軋轢、援助交際、風俗経験、風俗勤めがバレて高校を退学になったこと、「愛のない」初体験、ホスト狂い(このホストも登場します。ムカつく。)、相手がわからぬ子を妊娠して「あたしみたいになっちゃう」から堕胎したこと。


 「あたし、セックスだったらもう誰とでも出来る」「かわいそうだね、アタシって」「好きな人はセックスしてくれない」「愛あるセックスしてみたい」と一見屈託なさそうに言葉を紡ぐ彼女の物語は、過去形ではなく、現在進行形であり、ソープで働きセックスを売る彼女も、AV女優の彼女もその映像の中にいます。


 昔、昔、そんな遠くない昔の私の話。
 男を憎んで、男から金を搾取してやろうと複数の男と寝ていた時の話。
 「お前はマゾなんだろ」と聞かれると、「はい、私はマゾです」と答えた。
 「お前は淫乱なんだろ」と聞かれると、「はい、淫乱なんです」と答えた。
 アタマの中は冷め切っていた。目の前の男を同情して軽蔑していた。そしてそんな私を男は憎んでいた。だけど私はマゾで淫乱な女を演じていた。何故なら、喜ばれるから。ただ、それだけ。
 D−1のオーディションhttp://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070923#p1で「マゾアピール」をする女の子達じゃないけれども、「淫乱なマゾ女」になった方が目の前の男に喜ばれると思っていたから。求められたかったから。
 男の望む女を演じれば男に求められるだろうと思っていた。
 要するに、男をバカにしていたのだ。だけど男だってそれほどバカじゃない。だから私は憎まれた。憎しみと軽蔑との入り混じったセックス。そんなことを続けていたら、私は乾いてしまってセックスが困難になった。「濡れない」んじゃないの、「乾く」の。本当に、カラカラに乾いてしまい男を醒めさせた。
 
 もう、ダメだ、と思った。限界だと思った。


 昔は、自分は初めてセックスした男と結婚して、その男だけしか知らぬまま死ぬと思っていた。だからセックスは本当に好きになった人としかしてはいけない行為のハズだった。

 ああ、でも。
 私は私を愛さない自分の身を守ることしか考えてない男と初めてのセックスをして、アホウのような価値観に縛られその男から離れようとしなかった。数年かかってようやく執着という名のロープを断つことができた私は、いろんな男と寝た。

 セックスなんて、本当に誰とでもできる。
 愛? そんな求めても手に入らないモノのことなんて考えるな。
 どうせ、私はもうじき死ぬんだもの。サラ金に雁字搦めでマトモな就職先も探せないバカ女。お勤めしても、会社にサラ金から電話がかかってくるんだもん。だらしのないバカ女だって皆にバレちゃう。

 私は私を殺してくれる相手を探して、憎みながら憎まれながら男と寝ていた。そんな時期があった。


 あの頃は、夢だったんじゃないかと思うこともある。全て私が自分で作り上げた虚構だと。夢見がちな狂った女が造り上げた虚構の物語だと。悲劇のヒロインになり同情されたい女の造り上げた虚構の物語だと。

 私は何人の男と寝たのだろう。
 思い出せない。


 あれは夢だったと、虚構の物語だと、私は嘘つきだからどんな話でも作れるのだと言ってみせようか。

 たとえお金目当てだったとしても、目の前にいる男を憎まず、一瞬だけでも愛していると身を委ねて抱かれていたならば。

 私は未だに、私は人に愛されていいのだろうかと葛藤する。
 私は未だに、私は人を愛していいのだろうかと葛藤する。いいかげんにしろよ、とうんざりする。本当に、うんざりする。てめぇいつまで甘えて逃げてんだよ、と。


 
 「春うらら」が、男優・太賀麻郎とのセックスの時に「こんなの春うららじゃない」と号泣する。「生きている」19歳の少女が、我に返り涙を流す。ここのセックス場面がすごくいいのは、ちゃんと目を見てるから。春うららが男の目をしっかり見てセックスしてる。逃げずに、そらさずに目を見てセックスしてる。


 AVのセックスがいいとか悪いとか、そんなことはわからないけれども、心とカラダがバラバラのセックスをしている時は、相手の目を観ることができない。媚びた目線を目の前の男に浴びせることは出来ても瞳の中に宿る魂は宙に浮く。


 心とカラダがバラバラのセックスをしている時は、相手にもそれが見透かされそうで怖かったから、感じてるフリをして目を瞑っていた。
 好きな人、恋人とでも、心とカラダがバラバラのセックスをすることがあった。どうしようもない心のすれ違いを感じながらとりあえずセックスに逃げ込む時は、私は相手の目が見られない。自分の中の欺瞞を見透かされるのが怖いから、相手の目が見られない。カラダを繋がせることが出来ても、心を委ねられない。
 視線は宙に浮き、虚空を彷徨う。そうして「恋愛」は、腐臭を発し滅びへ向う。


 セックスって、客観的に観るととっても滑稽なモノで、その滑稽さがエロでもあったりするから、心とカラダがバラバラのセックスがエロとして要求されることも大いに在る。それもエロ。確かにそうなんだけど、それだけがエロじゃない。


 だけど私は、ちゃんと、相手の目を見てセックスしたいなぁ。
 心とカラダがバラバラのセックスは、したくないなぁ。
 過激なプレイとか、やりまくりイキまくりとか、そんなセックスを求めてんじゃないんだよ。
 ただ、相手の目をちゃんと見られるセックスがしたいだけなんだよ。
 自虐行為みたいなセックスとか、軽蔑しながら憎みながらのセックスはもう嫌なんだよ。
 

 とにかくこの「恋愛できないカラダ」は、春うららという女の子がすんげぇ魅力的。ちゃんと「生きている」女の子で、売春したり、あんなこともこんなこともやっちゃう世間的に観たら困ったちゃんな女の子なんだろうけど、それでもちゃんと生きてて、だからセックスシーンもヌケましたよ、私は。
 この混沌とした世界に、ちゃんと呼吸して生きてる、「死んでない」女の子が存在してて、その女の子が、目の前の男の目を見ながらセックスしてて、ただそれだけのことなんだけど、そのことがとても嬉しい。


 幸も不幸の善も悪も虚も実も、全てこの世は混沌としていて、そのカオスの海を我ら煩悩具足の凡夫は時には波に流され呑まれながらも火宅無常の世を泳いでいく。


 私はバスに乗ってない時は電車通勤するOLさんで、通勤時間帯の駅には本当にたくさんの人がいて、皆が行くべき場所に向っている。
 私はそこにいるたくさんの人がどんな人生を送っているのか知らない。そこですれ違うだけの人達だから。そして誰も私のことを知らない。ただそこで一瞬交差するだけの存在に過ぎないから。

 だけど、その那由他の砂の中の小さな小さな一粒に過ぎない存在であっても、生きている限り人には「人生」が存在する。それを知る手段は無いのだけれども。
 そしてすれ違う人々は私の「人生」を知ることもないのだけれども、確かに生きてここに存在している。

 裸になり、セックスが描かれる「アダルトビデオ」という世界の中で、現在進行形で生きている1人の少女の姿を我々は見ることが出来る。
 大ぶりのダイヤモンドではないかも知れないけれども、手の平に溢れる砂の中の小さな石に過ぎないかも知れないけれども、確かにそこに存在していてキラキラと輝いている。

 
 私はどうしてアダルトビデオを見ているのだろう。
 それは、きっと許されたいから。

 バカでごめんなさい。
 恥ずかしいことや、悪いことや、いけないことたくさんしてしまってごめんなさい。
 セックスで身を滅ぼして、ごめんなさい。
 


 「愛されたい」女達が、カメラの前で股を開く。
 そのことが、幸か不幸かなんて、本人にしかわからない。
 ただ、そうやって肌を曝す「AV女優」の物語は、誰にとっても他人事ではない。
 

 あなたは、相手の目をちゃんと見てセックスしてますか。
 あなたの目の前にいる人も、あなたの目を見ていますか。
 

 おやすみなさい。もうすぐクリスマスです。
 明日も生きていくために、眠りましょう。
 おやすみなさい。
 生きていくために、ちゃんと眠って、カラダを大切にして、御飯を食べて、友達とたまにはストレス発散などをして、恋をして泣いたり笑ったりしながら生き延びていきましょう。

 生き続けるということは、悲しみや傷を増やすということだから、怖いモノが年々増えていきます。
 私は生きていくことがとても怖いです。
 だけどおやすみなさい、それでも生き続けていくために、今日はねむりましょう。
 

 おやすみなさい。
身体を凍えさせる風が吹く、寒い季節だからこそ人は人を求める。あなたの肌が恋しい、瞳を交わすことのできるあなたの肌が。恥と傷の多い人生を送り、たとえ私の身体が「恋愛できないカラダ」だったとしても、人を乞い肌を求める私は確かに生きているのです。
 




 



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