あの駅へ向う汽車に乗り込んで
仕事に追われる日々が落ち着いて、部屋に散乱した資料などを片付けて、そういえばいつからセックスしていないんだろうとふと考えた。
仕事云々とは関係無く元々この数年は数えるほどしか性行為などしていない。相手だってこの5年で2人だけ、か。今の私にとってセックスは非日常的な行為だ。いや、もともとそうか、人生において私はいつでもセックスに縁がないと自嘲な笑みを浮かべそうになるけれども、そういう種類の笑いは気持ち悪いから、やめる。
私は仕事中は「女の気配」を消したい。
私は未だかつて仕事関係者と寝たことはない。たまたまそういう状況に陥ったことがないのもあるけれども、よっぽど気にいった男が出来たのならともかく、好きこのんで人の噂の種になったり軽蔑や嘲笑のネタにされて仕事がやりにくくなるのがめんどくさいからだ。「業界」という狭いコミュニティの中で仕事での評価以外に優越感を得る為に「業界内やりまん」と化して結果的に信頼を失い仕事の幅を自ら狭め消えて行かざるを得なかった同性を何人も見てきた。どんなに仕事が出来る人であっても、「あいつと一緒に仕事したら兄弟が増える」とか「変な噂が立っても困るから関わりたくない」とか「何しに仕事しに来てるんだ、男探しか」と嘲笑と軽蔑の視線を浴び、それにより道を絶たれるなんてアホらしい。
そして私達は時には酔客の相手もせざるを得ない「接客業」。目の前にいるスカートを履いた女を、自分は「客」だから触る権利があると勘違いしている輩は当たり前に存在している。自分は「客」でお金を払っている立場だから、目の前にいるスカートを履いた女に何を言っても何をしてもいいと、こいつらは怒らないと、金銭が介入した「上下関係」を勘違い解釈している輩はそこらじゅうにいる。「セクハラ」なんて言葉は通じない。相手が嫌がっているなんてこともわからない。だって酔っているのだもの。酔ったら何をしても許される。判断力や理性や人目なんて関係ない。酔っているし、俺は客だから。そんな輩を上手くかわすのも仕事のうち。
だから、「女の気配」など自ら出してはいけない。隙を作ってはいけない。私達の仕事は、あんたに触られることじゃない。女を触りたいのなら、別のところに行きなさい。そんな台詞を言いたいけれども言えないから、毅然とした壁を作り隙を見せず態度で示さなければ。
幸いにも元々美貌も色気も持ち合わせていないので、私は「仕事」に集中できる。「女の気配」を消しながら。
数日前の早朝5時のこと。始発電車に乗る為に星空の下を駅に向かい歩いていると不審な男に後をつけられた。早足で方向転換をすると、向こうもものすごい勢いで方向転換をしてきたので、こりゃヤバいと思い住宅街に駆け込みコートのポケットの携帯電話を握りしめる。男は、薄気味悪い笑いを浮かべ「仕事?」と声をかけてきたので、私は「はい」と応えながら携帯電話をかけるフリをした。男は「頑張って」とにやにや笑いながら、そのまま去っていった。私は駅へ急いで電車に乗り、その日もいつもと変わりなくバスに乗り修学旅行生の案内をしていた。
こんなことで、自分が女であることを思い出させられるなんて。
そして、こういうことがある度に、私は自分の身体の最も奥深い域に存在する湖底に沈殿する澱のような男への憎しみの発する悪臭を嗅いで苦いものがこみ上げてくる。私は男を憎んでいる。未だに深く、深く憎んでいる。そのことを思い知らされることが苦しい。
「女の気配」を消して仕事をしたい私。
男を憎んでいる私。
じゃあ、男なんて、いらないんじゃないか。
そう思えたらいいのに。
好きな男と2人でいる時に、無意識で相手の男の指を口にしていることがある。キスだと男の表情が見えないけれども、指を舌で愛撫していると男の表情が見える。口で相手の存在を確かめることは挿入行為より楽しいかも知れない。指も、肌も、穴も、そして私の中に入ってくる不思議な形をした例のものも。
セックスが楽しいのは、相手の存在を確かめられるからだ。身体と声で、心の存在を自分の傍に感じられるから。
繋がりたい。身体であなたの心を、存在を、確かめたい。
あなたがここにいることを。身体と心は繋がっているから、心を裏切るようなセックスはしたくない。好きじゃない人とのセックスが悪いわけじゃない、ただ心を裏切るセックスは自虐行為だと知った時から、私はセックス、そして人を好きになることが怖くなった。
暗闇の中を、おそるおそる手探りで怖がりながら私は駅に向かい歩いている。だけどその暗闇は、暁を待つ一瞬の刹那の闇に過ぎなくて、欲望という名の汽車に乗り幸福というまだ見ぬ駅へいつか辿りつけると信じたい。憎しみや悲しみという容易く降ろせぬ荷物を抱えながらも。
人は、幸福になる為に生まれてきたのだと信じたい。
女のままで。女に戻って。