怒るでしかし!


 人を笑わす この俺だって 自分の心は 笑わせないのさ〜♪


      「俺は浪花の漫才師」作詞・作曲・唄 横山やすし



 本文に入る前にちょこっと近状(?)
 先日会社から帰宅すると、郵便受けに分厚い封筒が。差出人はちょっと前に一緒に食事した京都在住の友人でございました。なんやねんと思い中を明けてみると、そこには二種類の「ふりかけ」が入っておりました。御飯にかける、アレね。そのふりかけのネーミングは・・・

☆「和さび」(わさび味ふりかけ)
☆「いち己」(一味のふりかけ)


 「和さび」と「いち己」・・・二つ合わせて「和己」・・・そう、元光GENJI諸星和己ファンの友人http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070421#p1から送られてきた、諸星和己ブランドのふりかけなのでした・・・ファンクラブのHPで買えるよっ! 彼女からは誕生日に諸星和己焼きそば「やきそばかーくん」頂きました・・・・静岡県出身やから、わさびふりかけや、やきそばの他に「モロ茶」って、お茶もありまんねんっ!!


 と、友達って、いいよね、、でも本当に彼女と出会えて良かったと思います。だって、誕生日に「やきそばかーくん」をくれたり、わざわざ「和さび」「いち己」ふりかけを郵送して私を笑わそうとしてくれる(向こうからしたら笑わすつもりはないそうです。素晴らしすぎるものだから味わって欲しいだけらしい)友達が、この世に何人いるだろうかっ!!
 奥さんっ!! あなたは友達に「やきそばかーくん」「和さび」「いち己」を貰ったことがありますか!? 


 しみじみと思うけれども、友達はおもしろい方がいいですよね。笑らかしてくれるもん。一緒にいて暗くなったり、重くなったりするよりは、笑えて楽しい人の方がええにきまってますわ。



 それはともかく、前回中島らもについて書きましたけれども、書ききれなかったことをちょこっと書こうと思います。何で冒頭に横山やっさんの唄を引用したのかと申しますと、「破滅型芸人」と言えば、まずやっさんが浮かぶので。やっさんの話は別にいいんですけどね。


 前回は、一応書評っちゅうことで。今回は、「感想」を書こうと思います。
 奥さんが書いたあの本で、(あくまで奥さん側の視点の)「中島らもの真実」を知って、


 中島らも・・・カッコよくないなぁ・・・・

 
 って、思いました。中島らもの作品は私は好きです。当たり外れはあると思うけれども、相当面白いもん。ぶっちゃけ後期の物はイマイチで、いつからか追って読むことはしなくなったけれども、それでもほとんどは読んでおります。すごい作家だと思いますよ。作品は本当に「カッコいい」。だけど、「男」としての中島らもは、カッコよくないと思いました。


 作家だろうが芸人だろうが、自分を愛してくれている人、自分の愛している人を傷つける人間は最低だ。ほんでさぁ、そうすることによって、自分を傷つけてんじゃん。自傷行為ですよ。
 自分で自分を傷つけたい人間は勝手にすりゃあいい。手首切ろうが何しようが。だけど、自分の身近な人間を痛めつけることによって自傷行為をするなんて最低ですよ。
 よくある話っちゃあ、よくある話です。家族に対する暴力、それが腕力によるものだったり言葉によるものだったり様々な形はあれど、そこらじゅうにある話です。夫に暴力振るわれて離婚した人なんて何人も知ってる。離婚できたのならまだいいか、暴力振るわれ続けて傷つけられてそれでも別れない人も、そらなんぼでもいる。
 身近な人、あるいは自分より明らかに弱い立場の人(お前は俺が養ってやってるから何してもいいんだ! みたいな)を痛めつけるなんて、カッコ悪い、カッコ悪すぎる。


 身近な人だから、愛する人だから、自分を愛してくれる人だから、自分が守らねば誰が守るんだよって。
 それは男でも女でも同じやない? 自分が信じて、自分が守らないと、誰が守るんだよ。「破滅型」なんて言葉、私は大嫌いですよ。破滅しなければ、物が書けないのかよ、人を笑わせられないのかよ。人を痛めつけるという自傷行為を繰り返し「破滅」していく人間の人生を美化なんて私はしたくねぇよ。だって、「破滅型」じゃない天才だって、たくさんいるよ。


 多分、勝手に推測するに奥さんに対する苛立ちとかもあったんやないんかなぁとは思うけどよ。だって、奥さん何もしなさすぎるもん。夫がアル中鬱病になって、明らかに「死にたい」ってシグナル出してるのに何もしないんだもん。ラリってたとか、放っておかれ過ぎたとかいろんな理由はあるんだろうけれども、愛人に「やりたいことないんですか」と聞かれて、「やりたいこともうやってるよー。らもと結婚したよー」って言うぐらい「妻」やってんのなら、「死にたい」って、シグナルを夫が出してるのに何もせずに愛人まかせってのは、どうかと思う。


 死なれたくないですよ。破滅して欲しくもないですよ。元気で生き続けて欲しいですよ、自分の好きな人達には。ラリって、ヘロヘロになって欲しくなんかないですよ、元気で笑っていて欲しい。そうやって健全でいて欲しいし、健全な関係でいたい。

 好きな人達を自分が傷つけるんじゃなくって、彼らを傷つけようとする物から自分が守らないといけない。そして破滅なんてして欲しくない。自傷行為なんてして欲しくない。自分も痛めつけられたくない。笑って元気で生き延びて欲しい。好きな人達には幸せになって欲しい。


 私も昔男に、散々(腕力ではない形の)暴力を振るわれて、残ったものは憎しみとその弱さに対する哀れみだけです。彼らに対してというより、男という生き物の存在、そしてそうさせてしまった自分に対しての憎しみです。
 そういうつきあい方ではなく、「愛されてる」と思わせてくれた恋人もいた。その人のことは憎んでも恨んでもいないし、これから先、幸せになって欲しいと思ってます。
 だけど「自分のことを好きな人間を痛めつける」男のことは、決してそんなふうに思えないの。未だにトラウマになってるような言葉を投げつけられ酷い捨てられ方をしたこともあります。彼は「僕は躁鬱病だから許して下さい」と私に言いました。病気だから仕方ないよねと言えるほど私は寛容じゃない。私が彼に一瞬でも愛されたことがあったのなら許したのだろうか。
 そうだ、あの時私は彼にこう言った、「病気だから、人を傷つけてもいいの?」って。


 知人というには縁が薄いけれども、ある1人の男の子の話。私より6つ下のその子は、目のくりっとした明るく可愛い男の子でした。私は彼が小学生の頃のその無邪気な姿しか知らない。20歳を過ぎた彼は、結婚をして子供が出来、そして妻と子供に暴力を振るい始めた。耐え切れなくなった妻は家を出た。彼は戻ってきてくれと妻に懇願した。妻は彼の暴力を恐れてその願いに応じませんでした。
 そして自ら招いた孤独に絶望した彼は、睡眠薬を飲み山で死にました。


 その事件を聞いた時に、可愛い子供だった彼しか知らない私は信じられなかった。だけど彼に対して全く同情はしなかった。

 
 あと、私は酔っ払いが大嫌いです。本当に親しい人と気持ち良くなる酒は好き。だけど、酔っ払って失礼な行為を正当化するヤツは大嫌いだから、私は「つきあい」の酒の席が嫌い。仕事で散々酔っ払いに不愉快な目に合わされてるんだけど、それはそういうことも含めての「仕事」だから仕方がないと思うけれども、「仕事」以外の場所で何で不愉快な気分にならないといけないのか。節度をわきまえない酔い方をして「酔ってるから許して」って、なんで私がたいして親しくもないアンタに寛容にならなきゃいけないのか。あと、酔う自分も嫌いです。


 ホンマ傷つけ合うのとか痛めつけることなんて、アホらしい。「甘え」なんだろうけれども、それでも相手を痛めつけない「甘え方」ってのはあるだろうによ。


 我々の時間は限られている。明日、世界が終わってしまうかもしれないんだから、傷つけるより痛めつけるより、「愛してる」って言って、笑いながら抱き合う方がいいに決まってるじゃねーかよってんだ。


 
 私が愛する全ての人達へ。

 愛してるよーん。
 幸せになろうぜ。
 このクソみてぇな世の中を、生き延びてやろうぜ。