愛される自信などないけれど

 ある知人女性が、結婚することになった。
 相手の男性は、バツ1で前の奥さんとの間には一人子供がいるという。彼女は、嬉しそうにこう言った。



 「子供のことが、私は気になっていたんだけど、彼は、こう言ってくれたの。養育費は払っているけど、関係ないから、って」


 彼女は、その話を「私って愛されてるぅ!」と、ばかりに嬉しそうに言っていたが、私はとても嫌な気分だった。
 前の奥さんを関係無いというのはともかく、自分が作った自分の子供のことを「関係無い」なんて、言い切る男に、ゾっとした。自分の子供だよ?? きっと、そう言ってしまえる男は、いつか彼女のことも「関係無い」と、簡単に切ってしまえる男なんじゃないかと思った。



 相手の良いところも悪いところも過去も、全て含めてが、その人という人間で、それを含めての「好き」が、本当の「好き」だと、昔知人男性に言われて、うんうん、と納得したことがある。


 でも自分に、それが出来ているだろうか。できないっちゅうねん。相手の過去の恋愛を「無かったこと」にするんじゃなくって、そういうのも全て受け止めつつ、わたしっが、いっちばーんっ! 愛されてる自信まんまんだから、嫉妬なんてしなーいっ! 心配なんかしなーい!」なんて、安心していたことがあるだろうか。



 ねぇよ。一度も。「愛されてる自信」を持ったことなんて、未だ一度もない。相手の過去の女、今現在側にいる女、そしてこれから出会うだろう未来の女、でも私が一番愛されてるから、平気ぃーーーっ! なんて、思ったことは一度もない。「愛されてる自信」が、あって、「安心」したことなど一度も無い。


 昔、ある人と半年という短い期間付き合っていた時の話。
 彼は妻も居たが、永い付き合いの妻以外の恋人もいた。つまり、私は3号だったわけだ。妻の存在は結構どうでも良かった。彼が妻のことをどうでもよく思っているのを知っていたから。ただ、彼が毎朝出勤前に部屋に通い、彼の弁当を作る恋人の存在だけは平気じゃなかった。


 彼女は、彼に言わせると有名国立大学の哲学科を出て、高収入の仕事をしている経済的にも精神的にも自立している女性で、しかも「セックスが、とても良い」人だったらしい。


 「僕に何かあった時は、私がいざとなったら面倒見るって彼女が言ってくれて、僕は救われた」と、彼は自慢げに私に話した。自分と彼女のセックスビデオ見る? とまで言われたこともある。


 どーせ、私は高卒だしぃー借金あるし低収入だしぃー精神的にもお子ちゃまだしぃーセックスの経験だって乏しいしぃーって、一々卑屈になっていたし、今思うと、なんでそんな惚気を聞かされなきゃいけないのと思うのだが、その時は、その人に嫌われたくなくて、ただ、聞いていたのだ。

 さすがに彼と彼女のセックスビデオを見るのは断ったけれども。でも彼は彼女とのセックスが、いかに良いか、彼女がいかに良い反応をするか、どんなプレイをするか、とても詳しく私に語った。(←ホンマにアホやね、聞くワシがっ!)

 でも、そんなことよりも、私を凹ませたのは、彼のこの言葉だった。


「彼女は、煙草吸う男は絶対駄目だとか、髪の薄い男は駄目だとか、男の好みがうるさい人なんだよ。で、彼女は僕に、こんなうるさい私が選んでやったんだ、感謝しろって言うんだ」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沈没。完敗。


「選んでやったんだ、感謝しろ。」

 そんな言葉は、私は一生言えない。絶対言えない。恋人に、「私が選んでやったんだ、感謝しろ」なんて、死んでも言えない。「私のようなものを選んで下さって、感謝しております」なら、言えるけど。



 実はその時まで、私は傲慢にも、「でも、彼女より私の方が若いわっ!」(彼は私より13歳上で、彼女は私より10歳上)とか、密かに若さが武器になると思い込んでいたのだが、思い知った。若さなんて何の武器にもならねーよってことを。一応言っておくが、彼は決してそんないい男ではない。普通のオジサンだ。でも、私には大事な人だった。


 「選んでやったんだ、感謝しろ」冗談で言った部分もあるだろうが、それでも私には絶対言えないセリフを言える彼女、それを嬉しそうに私に語る彼、この時、ああ駄目だ、どうやっても私は彼女には勝てないと思った。


 「愛されてる自信」「愛される自信」なんて、持ったことがない。いつも、「ワタクシのような駄目駄目女を選んで下さってありがとうございます。あなたに捨てられない為には、何でも致します」というふうにしか思えないような恋愛を繰り返してきた。容姿とか、学歴とか、収入とか、そんなもの以前に、女として人として自信が無いから、卑屈になってしまう。そして、そんな卑屈な姿勢での恋愛はロクな結果を生み出さない。


 自信の無い私は、「愛されてる自信」満々の、彼女には完敗だ。


 その人には案の定フラれた。別れる時に、それまで溜め込んだ想いが溢れてきて結構キツイことも言った。
 「あなたは繊細ぶってるけど無神経な人で、私のことも本当に好きじゃないのに好奇心で近づいて、彼女とのマンネリ化した性生活の刺激に利用しただけだ。いや、きっとあなたは、彼女のことも本当は好きじゃないと思う。恋愛ごっこをして、生活の重みから目を逸らしたかったんだろうけど、それに人を利用して傷つけることは、頼むから二度としないでくれ」と。 


 彼は、反論せず、私のいう通りだと言った。


 彼女のように、「愛されてる自信」なんて、この先も、きっと私は一生持てない。女としての自信の無さ、人としての自信の無さは、あれからほんの少しだけはマシになったような気はするけど消えない。一生劣等感はあるし卑屈さもあるだろう。


「選んでやったんだ、感謝しろ。」


 なんてセリフは一生言えない。
 好きだと言われても、愛してるといわれても自信は持てない。世の中の全ての女は、自分より良い女に思えるし、過去の女、今現在側に居る女、未来に出会うかも知れない女、全ての女に勝てる自信など持てない。安心なんて出来ない。


 でも、「愛される自信」が、一生持てないのなら、「愛する自信」を持てばいいのではないかと思う。誰よりも世界一、相手を愛する自信を。愛される自信を持つことは一生出来ないけど、愛する自信、愛してる自信なら不可能じゃないような気がする。劣等感も、不安も間違いなくあるけれども、それでも、ただ、愛する自信を。


 簡単なことではないけれど。
 愛する自信を持てば持つほど、裏切られた時、気持ちが離れた時、別れた時の傷は大きいように思う。
 愛さない方が、心が平穏で居られるのは間違い無い。それでも、愛する自信を誰よりも持っていれば、例え耐えられないくらいの痛みを伴う傷が出来ても、それは後悔しない傷だと思うのだ。

 痛みに気を失ってしまうことがあっても。


 

 一生、愛される自信など持てない。でも愛する自信なら持てるかもしれない。誰よりも愛していると言える自信なら、自分に自信の無い卑屈な人間でも持てないことは無いと思う。相手の全てをその人という人間の全てだと受け入れて、愛おしく思えることが出来るかもしれない。


 だから、あなたがわたしに触れる前に、わたしがあなたに触れたい。わたしの方から、あなたを求めたい。愛される自信など、ないけれど。