雨の欲情


 こんな日は、あの雨の日のことを思い出す。
 あれは確か秋だった。


 サラ金金利が膨らみ返済がもうどうにもならず家賃を滞納し続けていた。いつか親に連絡が行くだろう、その時が来たら自殺しようと決めていた。
 その日が来た。親から「帰ってきなさい」との電話が来たあの日、私は恋人ではない男と一緒にラブホテルに居た。

 恋人は初めて私を愛してくれた人で、だからこそ、早く死なないといけないと思いながら生きてきた私は心苦しかった。私は死ぬべき人間だから生まれてきちゃいけなかった人間のクズだから、だからこそ真っ直ぐ愛されることが心苦しかった。 
 死にたいと思いながら生きる方が楽だ。
 私が死んだら哀しむ人が存在するということは苦しい。


 だから逃げていたとは言わないけれども。
 その頃、私は恋人以外に、嘘ばかりついて信用は出来ないがセックスだけは良い既婚者の男と知り合って逢瀬を続けていた。
 あの時期は、他にも男が居たし、人生の中で一番セックスをしていた時期だ。

 どうしてそんなにセックスに飢えていたのか。
 多分、死にたかったんだよ。
 自分で自分を殺せないから、誰かが殺してくれるのを待っていて、人間の営みの中でおそらく一番「死」に近い行為であるセックスに飢えていたんだよ。

 そして、恋人以外の男とのセックスは、「復讐」のセックスだった。男を支配して精を放つことに快感を覚えていた。私を苦しめて地の底に落とした「男」という存在、及び、どうしようもなくその存在を性的に欲した自分という存在への復讐。


 恋人とのセックスは、相手の存在がそこにあることを確かめる為のセックスだった。生きていることに喜びを感じるセックスだった。
 本当は、それだけでいい筈なのに、私は「復讐」のセックスもその時は必要だったのだ。
 世の中を、自分を、男を呪う為に。
 呪い殺すために。
 死にたかったから。


 誰か早く私を殺してください。


 既婚者の男とホテルにいる時に親から「帰ってこい」と電話があった。終わった、と思った。私は目の前の愛しても信用してもいない恋人じゃない男に縋り付いて泣いた。男は何もしてあげられなくてごめんねごめんねと泣きながらそのまま私を押し倒して挿入した。
 泣きながらセックスした。


 よくもまあそんな時にセックスが出来るもんだなぁと思ったけれども、結局のところ私はそういう図太い人間なのだと今は思う。だからその後も死なずに生き延びた。


 男と別れて独りで部屋に戻り、片付けを始めた。翌朝、両親がやってくるまでに一人で引越しの準備をしなければいけなかった。大量のゴミを出しに夜中に外へ何度も出た。

 雨が降っていた。
 雨に濡れながら、何度もゴミの入った袋を持って外に出た。


 翌朝、両親が来て、荷物と共に連れ戻された。
 案の定、風邪をひいて熱が出て数日寝込んだ。
 バレたら死ぬと決めていた筈なのに、なんだかタイミングを外してしまったようだった。
 熱を出して寝込みながら、死に損なったなぁと考えていた。

 そうやって、私の人生の中で、ほんの短い間だったセックス三昧期間は終わってしまった。それから今に至るまでは、二人の男と数えられるほどしかセックスはしていない。復讐のようなセックスをすることも無くなった。

 復讐のようなセックスは、その時はとても気持ちが良かったけれども、今思うとひたすらうんざりする。


 雨の日が続くと、あの陰鬱な日々を思い出す。
 嫌なことをたくさん思い出す。
 
 あれは夢だったのじゃないかと思うこともあるけれども、こうやって雨の匂いに誘われて心の奥の一番暗い部分から漂ってくる記憶は、あれは本当にあったことなんだよ、あれは確かにお前なんだよと、卑しい声で誰かが私に過去という轍を踏まそうと囁きかける。


 雨の日が続くと、死にたかった日々が思い出される。
 

 お前は、今でも何も変わらないんだよ。
 早く、死にたいんだよ。


 雨は降る。


 「生きたい」という意志で重石をしないと、普段封印している自分の中の黒いパンドラの箱の蓋が開いてしまいそうになる。
 パンドラの箱の蓋が開いて中身が溢れてしまったらどうなるか。
 怖い。


 雨が降る。
 雨音が止まない。


 雨と言えば以前、書いたけれどもhttp://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070115#p1ヴェルレーヌの詩、そして「雨の欲情」という映画をまず連想する。ヴェルレーヌについては、レオナルド・ディカプリオ主演の「太陽と月に背いて」という映画で彼の破滅的な生涯が描かれている。


 上記の「巷に雨の降る如く」という文章を書いた時の私は、とにかく怒っていたのだ。
 ある種の人達の欺瞞にこれでもかというぐらい怒っていたのだ。


 陰鬱な空から降る雨は、パンドラの箱から怒りや哀しみや寂しさや憎しみという負の感情の眠りを起こそうとする。

 その箱の底に、確かに「希望」や、「優しさ」や、「愛情」らしきものが存在するのなら、いっそ重しを払いのけて思い切り蓋を開けて全てを外に出してやってもいいと思うけれども。

 箱の隙間から漂う腐臭に私は目を背ける。

 雨が降る。
 

 もうしばらく、この雨は続きそうで、うんざりする。
 箱の蓋が開く前に、晴れた空が見えればいいのだけれど。

 せっかく駅前で、向日葵が咲いているのを見つけて喜んでいたのに。
  
 向日葵にこの陰鬱な空と雨は似合わない。