残像


 こんな夢を見た。

 別れた男に向かって、セックスしたい、と言う夢を。

一昨年のクリスマスイブ、正確に言うとその日の出来事ではないのだけれども、その人との永い付き合いの中で一番嫌な出来事があったのだ。その人は、ごめん俺が無神経過ぎたと謝ってきたので許すと言ったけれども、つけられた傷はしばらく痛んだ。多分、その事が別れる決定的な要因となったのだ。

 そこから不信感がポロポロと根を張り出した。彼はずっと私の寂しさや不信感を知っていたけれども俺は俺だから、こういう冷たい人間だからと変わらなかった。最初はそれでもついていけると思っていたけれども。
 今思うと、ずっと背を向けられているような付き合いだった。私はその人の背にべったりと張り付いた孤独な扉を開けて手をつないで一緒に生きていきましょうと声をかけていたけれども、彼は変わらなかった。いつも背を向けられて、たまにこちらを振り向いて、「大好きだよ」と言われるような付き合いだった。


 別れた男に、セックスしたいと言うなんて。

 私は、よっぽどその人とセックスしたいのか思うと少し呆然とした。正直、その人だけではなく、過去の男とのセックスを自慰の時に思い出す時がある。



 昔、セックスはとても良かったけれども、嘘ばかりつく男の人と短い間に付き合っていたこともある。嘘ばかりつく人と一緒に居ると、こちらも嘘をつくのが平気になる。そうして「俺の事、愛してる?」と聞かれたら、「愛してる」という嘘を付き続けた。あなたとは、セックスだけだなんて、本当の事は言えなかった。うんざりするほどに自分を良く見せる為の嘘をつき続けられたので、嫌になって別れたけれども、それでも未だに時折その人とのセックスを思い出して自慰をすることもある。


 セックスしたいと夢の中で私が言った人は、生涯で初めて「愛されてる」と思うことの出来るセックスをした人だった。愛おしくて、たまらないのだという想いが伝わるようなセックスをした人だった。
 とても孤独な人だった。いつも寂しそうな人だった。一生、共に生きていこうと決めた人だったのだ。

 
 しかし様々な壁を打ち破ることが出来ずに、私達は別れた。「好き」なだけでは超えられないものが世の中には存在すると知った。いっそ、どちらかが相手を大嫌いになってしまえば、もっと簡単に別れることが出来たのに、と思った。


 
 別れてすぐの時は、もう苦しまなくていいんだと随分気楽だったけれども、時間が経つと、楽しかった記憶、愛されていると思えたセックス、そういう良いことばかりが思い出される。あの街に来たからだ。その人との思い出の多い街に来たからだ。

 だから私は、あんな夢を見たのだ。



 
 その残像は、恋なのか、未練なのか、ただセックスがしたいだけなのか。


 自分は誰ともうまく付き合えないから一生一人で生きていける人間になりたいと恋を失う度に思うのに。それでも私は糸の切れた凧のように風のままにふらふらと漂っている。どうすればいいのかとか、自分の身を守らないといけないとか頭を使ってみても、いつも流されて思いもよらぬ方向に行って痛い目を見る。


 楽しかった時間の残像が瞼に浮かぶけれども、それでもまた同じ苦しみを味わうのかと聞かれたら、それは絶対に嫌だと思う。乗り越えられない壁がある、いつも、いつも。


 私が好きになった人達は、いつも私に背を向けていた。それはわかっていたのに、痛みを伴う甘い記憶が身体を蝕みたまらなくなる時がある。いつになったら、平気になれるのか。いつになったら、閉じられた扉を開けることが出来るほど強く優しい女になれるのか。ついにはその人の背中に張り付いた孤独の扉を開けることの出来なかった自分自身の力の無さを随分悔やんだのだけれども。



初めて憎まず軽蔑することも無く終わらせることが出来た恋は、未練という名の苦味を微かに口の中に残して時折私の表情を歪ませる。


 時には涙を浮かべてしまう程に、苦い。


 それでも時間は過ぎて、私は痛みを伴う恋を繰り返すのか。ただ時の過ぎ行くままに、流されることしか出来ないのなら、流されるしかない。


 as time goes by 時の過ぎ行くままに。