ふるさとの在り処

 去年の今頃は、必死に田舎を出ようとしていた時期だった。
 最近、よくあの頃のことを思い出す。ああ、もう1年たったんだなぁ、って。


 私の故郷は、最寄の駅まで10キロ近い。コンビ二なんて高校3年生で受験で京都に行った時まで入ったことがなかった。今でこそあるけれどもマクドナルドなんて高校までは夢のごちそうだった、滅多に食べられないから。大阪の叔父がお土産に買ってきてくれる貴重な食べ物だった。



 高校を卒業して大学に入ると、都会の人に対しての劣等感は増すばかりだった。都会の人が当たり前に得ているものを得ようとするのはとても勇気がいった。


 田舎に居た時は、大阪も京都も実際は存在しない場所に思うことがあった。大きな本屋もある、映画館もある、遊びにいける場所がある。



 いや、そんなことは、本当はどうでもいい。ただ、自分の生まれた故郷が自分の居場所だとどうしても思えないから離れたのだ。



 自分の居場所が、居るべき場所が、自分の生まれた場所ではない人間なんてたくさんいる。


 「やっぱり生まれ育った場所が安心できていいよ。」


 と、言う人や



 「どうしてそんな都会に出たがるの?家族に心配かけてまで。いいとこじゃないの、あなたの生まれた場所は。」



 と迷いなく言う人とは、わかりあえない。


 便利だから、友達がいるから、だから故郷を出て街に出たのではない。そこが私の居場所ではないから出ただけだ。一日たりとも、自分が生まれ育った故郷を自分の居場所だと思ったことはなかった。


 物心ついた時からそう思っていて、だから大学に行こうとしたのだし、不本意にこちらにまた戻ってきても一日足りともここを出たいと思わない日はなかった。


 そう言っても、それでもなお「生まれた場所が、一番いい。」と言う人達がいる。泣いて、このままここにいると気が狂うと頭を下げても。田舎は善で、都会は悪で、誘惑の多い場所で、お前はそれに負けるだろうと言う人達がいて、私はその人達を泣かせながら、去年、家を出た。


 私が街に住みたいのは、街が「生まれ故郷が自分の居場所ではない人達」を受け入れる場所だからだろう。だから私も、そこに行きたい。田舎が嫌だとか、都会が便利だからいいとか、そういう問題ではない。自分の居場所ではないから、出るべきというだけだ。


 「結婚して子どもを生むのが女は幸せなんだ、独身は不幸だ。」
 ああ、もういいよ。聞き飽きた、うんざりするほど。結婚してる人は皆幸せで、独身は皆不幸。それならば私の目はよほど節穴なのだろう。結婚して不幸そうに見える人もいるし、独身で幸せそうな人もいるし、望むものは人の数だけ種類があると思うのだけれど。自分達の価値観が絶対だと信じて疑わない人達が己の傲慢さに気付いてくれる日は来ないのだろうか。

 どうして結婚しないといけないのと聞くと、毎回同じ答えが返ってくる。「みんなが、してるから。」


 たとえ自分に一番近い人であろうと、馬鹿だと思った。この土地から出たことがないこの人を、悲しいくらい愚かだと思った。自分を育てて自分の尻拭いをしてくれた人を馬鹿だと思う自分は傲慢なのだろうけれども、それでも、その「みんながしてるから」という根拠の無い概念を疑わずに口に出せることが、悲しかった。

 末の妹は、まるで両親の理想の如く、地元で堅実な仕事についた温厚な男と結婚して子供を生んでいる。私はずっと彼女に対して劣等感があった。彼女のように出来ない自分が不良品だと思っていた。
 しかし彼女は「親は反対してるけど、出たらいいよ。仕事があるんだしさぁ。別にいいやん、出ればいいよ。」
 と、言ってくれた。
 肉親に、そういわれて、どれだけ私が嬉しかったか。どれだけ力になったことか。



 自分の居場所が、自分の生まれたふるさとではない人達が集う街に私は今戻ってきた。自分の居場所なんて、本当はどこかわからない、存在しないのかもしれない。
 それでも、私の生まれた故郷ではないことだけは確かだ。