メロメロな夜

 いきなり、





                         ブルー





 な、話で申し訳ないですが、ホンマに人身事故多いですね。電車のダイヤ乱れまくり。
 最初は、いつも駅で人身事故で電車が遅れるというアナウンスを聞く度に、1人の人間が命を絶って、その意味を深く考えて深刻な気分に陥ってたりもしたのですが、こうしょっちゅう人身事故によるダイヤの乱れに遭遇すると、馴れて「またか」と平気になって、まず「会社遅れちゃうなぁ」と考えてしまう自分に気付く。

 1人の人間が、死に至らざるを得ないほどに背負った荷物の重さを「またか」と軽く片付けちゃう自分は冷たいなぁと思うけれども、そういうことを一つ一つ受け止めていたら今度は自分が生きていけないぞとも思う。

 このことに限らないけれども、相反する二つの感情に挟まれて、「アンタ、どっちやねん!」と、自分で自分にツッコミを入れることってしょっちゅうある。たぶん、大概の人間はそうやと思うんやけど。


 藤堂志津子さんの短編で、「グレーの選択」というタイトルの恋愛小説があるのですが、内容はさておいて(正直言って忘れました、、)そのあとがきだかに、「全ての選択を白黒はっきりさせなくてもいいんじゃないか、白と黒の混ざり合ったグレーの答えを出してもいいんじゃないか」と、そんなことが書いてあったのを覚えています。

 確かにね、そうなんですよね。白黒はっきりさせなくてもいいということはある。人間というものは、曖昧でふらふらしている存在だと思う。自分は曖昧な存在でありたくない、こういう自分でありたい! 白でありたい! 黒でありたい! みたいなことを強く思いすぎて、またその為に努力して邁進しまくっちゃうほど、いつか分裂しちゃうんやないかと思うんです。まあ何かを得る為の努力は必要やけどさ。

 あるいは、その「こういう自分でありたい」というのが、「人にこういうふうに見られたい自分」であることもあるし、「人に期待されている自分」であったり。

 そのことに捉われてしまうと、いつか分裂して苦しくなるんやないかなぁと思う今日この頃。
 人間は、曖昧でふらふらしたモノで、だからこそ変化もするし、成長する可能性もあるのだと思っていた方が楽どす。(何となく京都弁を使ってみました)


 ほんで分裂すると、きっと嘘が多くなるだろうと思う。そして、自分の嘘に自分が一番苦しむ。

 でも、どうしたって周りの人との関係とか、自分の置かれてる状況とかとの折り合いの為に嘘をついたり「演じる」ことをしないといけないこともあるし、そのことでいちいち苦しんでたら、やってらんない。

 ふにょぉー。
 生きていくのって、難しいねぇ。
 って、これも難しく考え過ぎてるだけか、私が。

 なんかねぇ、人に嫌われてる状況の方が自由かも知れないとも思う。人に好かれている状況の時って、その「人に好かれている」ことに捉われて不自由になってしまうなぁと思う。でもこれは結局の所、相手のことも自分のことも信じられないからそう思っちゃうんやけど。それは、きっと物凄く余計な考えなくていいことに捉われているのねんって結論に達するわけです。


 本当に、何を怖がっているんだろうねぇ。
 実態の無いモノを怖がってたって仕方がないのに。


 って、だからと言って、そういう物事にこだわりすぎて怖がる自分なんて嫌いよっ! 前向きに前向きに生きるべきだっ!! って、無理やり持っていったら、これまた分裂して苦しくなるか大嘘つきになるかしてしまうので、その辺は、ちょっと曖昧なままで、しばらく置いておこうと思うの。めんどくさいし。



 あと、私は通勤時に某関西のでかい駅の地下街を毎日通るのですが、当たり前だが人が多い。人があっちやこっちから、いろんな方向を向いてすんごい勢いで歩いている。人を掻き分けないと進めない。そして電車に乗ると他人同士が身体を寄せ合う通勤ラッシュ。改めて状況を考えると異常だと思う。気分悪くならないのが不思議。気分悪くなっても動けないし。だから皆、不愉快そうな顔をしている。そら不愉快にもなるわな。この時期は異常に体臭のキツい人とかも多いし。
 不愉快そうな人に囲まれているとこっちも良い気分にはならないし、きっと私も不愉快そうな表情をしているのだろう。



 不愉快電車に揺られながら押し合いへし合いをして会社に行って、それで会社で不条理に怒られたり嫌な目にあったりとかばかりで稼いだ金もいろいろと残んなくて、そんな日々を過ごしていたら、そら衝動的に電車にでも飛び込みたくもなるなぁとも思う。


 楽しいことが欲しいなぁ。
 心の栄養が欲しいなぁ。
 切に、切にそう思う。


 結局どこに行っても生きていく限り苦しいことや悲しいこととは遭遇せざるを得ないわけで、それに負けてしまわないようにするには、「強く」なるべきだと思ってはいたけれども、強くなんてそんな簡単にはなれないし、強いフリをすると嘘つきになって分裂してしまうし、強くなったつもりになるのも壊れてしまいそうだし、強過ぎて無神経になるのもちょっとどうかなぁとか思ったりもする。

 その辺も、「強くなりたい」「強くならなくてもいい」という相反する二つの感情に挟まれている曖昧な自分がいて、そういう自分の曖昧さを許せないと苦しくなるので、許してやろうとも思う。
 あと、もっと重要なのは、自分の曖昧さじゃなくって、人の曖昧さを許すことだな。


 そうやって、曖昧なままで、とにかく悪い方向には行かないように、ぼちぼち心に栄養を与えながらいくしかないか。


 そんな感じで、先日私は映画館時代の同僚と久々に飯に行きました。10年以上前に私がアルバイトしていた居酒屋さんにすんげぇ久々に行ったの。

 
 最後にその居酒屋さんに行ったのは、5年ぐらい前かな、実家に戻る前やったから。10年前に10ヶ月ぐらいバイトしてただけなんやけど、居心地が良くて楽しかったし、飯が美味いとこなんで、結構その後も行ってた。


 ほんで友達も、「あの店のチクワの天麩羅が食べたい!」と言うんで、ひっさびさに行ったら、店長が私のこと覚えててくれたし、店も変わんなくてメニューもあんまり変化無くって、食器とかも覚えがあるから懐かしかった。
 店長も10年前から全然変わってへん、、、店長のお姉さんの子供が成長して大人になって店手伝ってんのがビックリしたけど。


 そこの店の名物の豚の角煮も、昔開店前にコネまくってたつくねも、手作りの三杯酢も、おにぎりも全然味変わってなくって、「10年前と味変わってへん、相変わらず美味い!」って言ったら、店長が「洗練されてへん味やろ!」って謙遜してたけど、変わってないことが嬉しいっちゅうねん。

 昔は、開店前の準備で焼きとりを串に指したり、大根おろしを大量に作ったり、つくねコネまくって形作ったり、ほんで宴会とかが入った時は重いビールケースを持ってはぁはぁ言いながら二階に持ってあがったり、、、飲食店のバイト、結構楽しかったんですよね。ハードっちゃあハードやけど。


 ここの店は、とにかく店長が商売を別にしてもめちゃめちゃ料理を作るのが好きな人で、またそれを人に食べて貰って「美味しい」と言われるのが嬉しい人だから、味もだけどその空間が10年変わらないんだと思うんですね。場所もわかりにくいし、ガイドブックには載せない方針の店なんやけど(常連さんが来られなくなると困るから)、繁盛してるみたいやし。


 久々に行って、味や店の雰囲気が変わってたら嫌だなぁとちょっと心配してたけど、全然変わって無くってなんか嬉しかった。
 

 ってのはね、京都の新京極とか河原町はどんどん変化して行って、昔よく行ってた店とかが消えちゃったり味が変わってたりすることがよくあるから悲しいの。


 「みゅーず」って喫茶店が潰れてチェーンの焼肉屋になったのは悲しかったなぁ。その近くにある某喫茶も、マダム高齢化の為か休業してるようだ。


 料理が好きで好きでたまらない店長に、メニューには無い(おそらく店長が趣味のみで作っていると思われる)アイスとシャーベットと麩饅頭までオマケして頂きました。この人、賄いで「タイの刺身のサラダにシェリー酒とキウィのソースがけ」とか、「鯛の唐揚げに貝柱の餡をかけたやつ」とか作る人でねぇ。
 賄いって、もっとシンプルなモンじゃないでしょうか、、、。

 この人見てたら、「好きなことを仕事にする」ってのは、なんだかんだ言って幸せなことだなぁって思います。「美味い!」って言ったら、「そう言ってもらえるのが何よりも嬉しい!」って、めっちゃ幸せそうな顔するし。


 店を出る時に、「また来てな!」って言われたんで、また行こうと思います。
 飯は勿論美味かったんやけど、変わらない空間がずっと存在し続けていることが嬉しかった。「私がバイトしてたの、10年前っすよー。」って言ったら、「10年っ!! ひゃーっ!」って、店長がビビッてたけど。最初の男とか、前の彼氏とか、店長知ってるしよ(笑)。その辺は、突っ込まれませんでしたわん。いろんな人をそこに連れてきてるからなぁ。だって、居心地が良くって飯も美味い場所やから、好きな人達と一緒に行きたくなるではないですか。


 ほんでその店から、京都駅まで歩いたのですが、ライトアップされた京都タワーが綺麗でねぇ。私が、

京都タワーって、ちょっとち○ち○似てますよね。」


 って言ったら、友達に、

「そんなこと今まで一度たりとも考えたことないです!」


 と、返されました。
 すてき



 
 京都駅で友達と別れる時に、彼女の二の腕があんまり綺麗なので舐めようとしたら、すごい勢いで走って逃げられたので、こっちも全速力で追いかけました。(二人ともそんなに飲んでません)


「せ、せめてお別れのチューはっ!! 」

「彼氏とは毎回するけど、女とはしません!!」

 
「何で彼氏には毎回させて、10年来の付き合いの私にはさせてくれないんですかーっ! そんなのおかしくないですかーっ!!」


「おかしくないですーーーっ!」


 某日某夜に、京都駅ですごい勢いで追いかけっこをしていた女二人、、それが私達です。毎回会う度にこのパターン繰り返しております。しかも10年ぐらい、、、



 あと、彼女と飯を食いながら、「メロメロ」について話をしていたのです。そういえば、最近周りに「メロメロ」な人って、あんまりいないねーって話を。メロメロってのは、「無条件で無茶苦茶好きぃぃぃっ!! 夢中ぅぅ〜っ!!」って状態じゃなかろうか。子供にメロメロは母親はおるけどねって。「恋愛」や「結婚」はしてても、「メロメロっ!!」って人は、実はあんまりおらんのやないやろうかって話をしてたのです。もう好きで好きでたまんなくって、そういう「好き」の状態が幸せで幸せでたまんないぃぃ〜っ!! きゃあー!! るんるん、って状態。その女友達の彼氏は、彼女に「メロメロ」らしいですが。



 そう言えば、居酒屋の店長は、料理作って「美味しい」と言われた時に、「メロメロ」な顔しはりますわ。料理作って人を喜ばせるのが好きで好きで嬉しくてたまんないのぉ〜っ!! って。


 うん、もうっ、メロメロ〜っ!!



 理由が無く気分が落ち込んでいる時っていうのは、よく考えて見ると、「この頃笑ってない」場合だったりする。
 好きな人達と会うとか、何やかんやと心に栄養を与えて、笑わなアカンでぇ〜っ! 人生、笑ろうたモン勝ちやっ! 奥さんっ!


 だいたい、「メロメロ」状態ん時って、笑ってるしねぇ。「微笑み」とかじゃなくって、「にやぁ」って感じの笑いやけど。