6月の呪縛
週末に、スーパーに行ったら水無月http://www.kanshundo.co.jp/museum/yogo/minazuki.htmが並んでる。あらあら、そうかそんな季節か。
京都では、四季折々の季節に食べる和菓子がありまして、6月30日は水無月を食べる日なのです。(食ってないけど)
そして、今日スーパーに行きましたら、コンチキチンコンチキチンのお囃子が鳴っておりました。そうだわ、今日から7月ね。このコンチキチンコンチキチンは、祇園祭http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/gionmaturi.htmlのお囃子ミュージックでございまして、奥さん奥さん7月の京都はどこに行ってもこのコンチキチンのお囃子が流れておりまっせ。
祇園祭というのは7月1日から一ヶ月間なんですが、一般的に鉾の巡業があったり四条通りにお店が出たりするのは宵々山(15日)、宵山(16日)の頃でございます。翌17日が山鉾巡行。祇園祭の山鉾というのは、普段は円山公園の枝垂桜の隣に収められております。
テレビで祇園祭りをご覧になったことのある方はご存知でしょうが、すごい人です。すごい人混みだとわかってはいても更に人は集う。
コンチキチンが聞こえ出したら、夏やなぁとしみじみ思いますね。京都って、本当に季節行事が多いからなぁ。ほんで8月16日の五山の送り火http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/gionmaturi.htmlで京都の夏が終わります。祇園祭は疫病退散のお祭りなんですが、五山の送り火の由来は諸説あります。でも、「送り火」というぐらいですから、盆で彼岸から此方に戻ってきた亡くなった方達の精霊を、再び彼岸に送るだから「送り火」なのでしょう。
去年は、わたくしは7月いっぱいで以前居た会社を退職しまして、8月頭に京都に戻ってまいりましたの。ほんで8月16日の送り火は、嵐山の渡月橋で見ましたわん。立ち食い豆腐食ったりしながら嵐山をぶらぶらしてて、送り火見ながら京都に戻れた幸せを感じておりました。
そうや、その前に、8月7〜10日までに若宮八幡宮陶器市http://www.kyorokyoro.net/event/saiji/summer/39.htmlがあるから行かなくっちゃ。でも今年は平日なのねん、会社終わってから行くしかないか、、しかしいいですよ〜ここの陶器市は、、、ハマりまっせ奥さんっ!! とにかく多い! そして安い! 陶器最高っ! ああ、ゆっくり見て周りたいが、今年は平日やから夜しかいけなくて残念無念いやあん。
去年、田舎から出てくる時に「これで京都のいろんなとこ行けるー」ってわくわくしていたことを思い出します。しかし今の仕事は日曜しか休みが無いし、休日はそれなりに家事せなあかんかったり身体を休ませもせなあかんし、時期によっては休日がほとんど無い時もあるんでなかなかでございます。働いてたら、そんなもんか。
そうだそうだ、「和陶器最高!」と一途を貫こうと思っていたのですが、昨日ついうっかり浮気してしまいました。昨日、午前中で仕事を終わらせて久々に二条城の近くにある三条商店街を歩いていたのです。ここにある雑貨屋さんで木製のタイのお皿を購入いたしました。600円。
このお店は、数年前に偶然発見した小さなお店なのですが、良い意味で節操が無いんですね。置いてるものに全く統一性が無いし、来る度に品物は入れ替わってるし。ニッセンのタグのついた洋服があるかと思えば、和物、中国、イタリア、スペイン、アフリカ、インド、タイ、ベトナム、フランス、ロシア、、いろんな国のモノがあります。聞くところによると、この店のオーナーが世界中を旅して商品を買い入れているんだと。ほんで滅茶苦茶安いの、お値段が。安くないモノもあるけれども、Tシャツは100円とか、ゴーギャンの絵柄の皿が200円とか、アクセサリーは100円からあるし。
私が昨日購入しましたのは、上記の600円のタイの皿と、インドの神様の置物を160円で。あと、200円で、20種類のインドのお香の詰め合わせと、ネックレスとピアスのセット1000円なり。合わせて1960円の幸福を頂きました。
実は商店街とか、せっまい路地裏とかが好きでねぇ。せっまい路地裏って、うちの田舎には無いし。(田んぼと畑ばっかりやもんで)お店とかも、せっまい路地裏の怪しげな飲食店とかが何だか居心地が良いんでございます。
京都は、一本道に迷いこむと、大通りの喧騒とは別世界のような路地裏がありますねん。異次元に迷い込んだ時間の感覚を失わさせるような場所が。高橋留美子の「うる星やつら」にたまに出てきたような、あとつげ義春の漫画っぽい空間が。なんというか時空の歪みがある魔の場所っちゅう感じがしますねん。そこは非日常の場所に見えるけれども、実は日常と非日常の境目なんて無いのじゃないかと思うことがあります。自分という人間の存在が、実は日常じゃなくて、非日常だと思っている場所にあるのではないか、と。
そんなことを考えていると、果たして自分という存在は、現実に存在しているのかどうか、わかんなくなったりもする。
6月と言えば、昔の知人男子の話。彼はモテる人だったので、いつも女の方から告白されて付き合い始め、女からフラれて恋が終わるそうなんですが、当時20代半ばの彼の歴代の数人の恋人は、全員6月生まれ。そして何故か彼女達が告白してくるのは6月、またまた別れを告げるのも6月。「だから、俺、女に告白されて誕生日聞いたら、、また6月か!! って驚くねん。ほんで、毎年6月になったら、フラれるんちゃうかってビビるねん。」と彼は言っておりました。
そんな彼は、数年後に初めて自分の方からバツ1子持ち年上女性を好きになり告白して、彼女と結婚いたしました。彼女だけは6月生まれじゃなかったそうで、6月の呪縛は解けた模様。相変わらず夫婦仲良くしているみたいだし。
大抵の呪縛ってのは、実は自分が自分にかけているモンだから、自分が動いたら実は簡単に解けるもんかも知れない。
解かないとな、呪縛。
夜になると、「わらび〜もち〜かきごおり〜」ってわらび餅屋がやってくるのを聞くと、ああ夏だねぇって思う。もうちょっと涼しければ、夏を楽しめるんだけどなぁと思うけど、夏やから暑いのは仕方ないっちゅうねん