俺達に明日はないわけがない

 雨が嫌いなわけじゃない。安くて可愛い傘を玄関に並べておくのが好きだから傘の出番が来るのは嫌いじゃない。
 ただ、電車に乗る時に傘が邪魔になることと、少しでも雨が上がるとついつい傘をどこかに忘れていまうことが厄介だ。値段のはるブランドの傘などなら執着もするだろうが、千円程度の傘なら、ああ忘れてしまったと思いつつも、そのまま探さずにやり過ごす。
 
 清水二年坂和雑貨の専門店で半額になっていた銘仙のトートバックと、先輩から貰った弁当箱とセットになっている小さな手提げ鞄を手にして会社に行く。電車通勤なのでトートバック(半額で600円だったと思う)には、いつも一冊か二冊本を忍ばせている。文庫本なら重くないけれども、その時読みたい本が文庫本であるとは限らない。たまに分厚い本がバックからはみ出ている。昔は必ずブックカバーをかけていたけれども、なんか、もういいや、どんな本を読んでいるかとか周りの人に見られても、もうどうでもいいや。


 それに傘が加わると、結構邪魔だ。だから雨の日は嫌いじゃないけれど荷物が多くなることが厄介だ。荷物が多いとどこかに何かを忘れてしまいそうだし、早足でさっさと歩きたい私に枷が出来る。

 
 荷物が多いと身動きがとり難くて、何だかこのままずっと思うままに動けないでいるのかと、ふと心の中のダークボックスの蓋を開けてしまいそうになる。ああいやだ。


 1年ちょっと前のことを思い出す。まだほんの1年前、そんな昔のことではない。私は今居るところではない違う場所にいたのだ。


 物心ついた時から、いつも「ここではない場所に行こう」とそればかり考えていた。ここではない場所、どこかわからないけれども、とにかく今自分が居る場所は、私の居場所なんじゃないと、その閉塞感に息が詰まりそうになりながらもがいてきた。

 「街」の人からしたら、想像がつかないような田舎に18歳までいた。電車なんか勿論JRしかねぇし、一時間に一本ぐらいしかないし、だから車持ってなきゃ生活できないし、今でこそあるけれど、昔はコンビニもファーストフードも無くってね、生まれて初めてローソンに入ったのが高校3年生、受験で京都に来た時だよ。マクドナルドのハンバーガーなんて、テレビでしか見たことのない食べ物だったから、親戚がお土産に盆正月に持ってきてくれたご馳走だったんだよ。

 高校は田舎の進学校で処女と童貞だらけで、セックスしたことがある人なんて学年中の注目の的だった。高校の同級生は、大学に上がって初めて付き合った人と結婚したってパターン多いし、今はそんなことないだろうけれども、高校時代は処女と童貞当たり前だった。
 そんな中でも私は初めてのキスもセックスも24歳の時なんで遅い方だろう。ファーストキスより、ファーストフェラの方がちょっとだけ早かった。でも初体験遅いって何だよ、私より遅かった娘いるけど、それなりに幸せなセックスライフ送ってるみたいだし、本当にどうでもいいことやね、そんなこと。初体験が遅かったからって不感症になるわけでもないし。

 まあいいや。そんなクソ田舎から出たくて出たくてたまらなかったから大学に行った。うちから通える大学なんて無いから、進学することイコール家を出ることだったから。大学に入ってやりたいことなんて何にもない。とにかく今いる場所から逃げる為だけに進学を決めた。


 そんな嫌いな場所へ戻らざるを得なくなり、去年の夏まで数年間を地元で過ごした。

 あの日、私は親の運転するワゴンの荷台に乗り10年以上を過ごした京都の街が遠ざかるのを見ながらターミネーターの如く「I’ll be back」と風邪と疲労で朦朧とする意識の中で唱え続けていた。男依存と借金のことが親にバレたら自殺しようと数年間ずっと思っていて、その悪夢に何度も寝汗をかいたけれども、実際バレてしまうと死ねなかった。その事態を受け入れるしかなかった。そこで起こった大きな波に乗るしかなかった。グダグダあれこれ考える隙も暇もなく。


 いつか必ず戻ってきてやるんだと思わない日は無かった。それだけの為に生きて働いていた。朝から晩まで働いていた。それはもう希望とか願望とかを超えて「怨念」だった。ここではない、この私の嫌いな田舎ではない場所へ帰りたいと願い続けてきた。それでももしかしたら私は一生この場所から動けなくて閉塞感で息を詰まらせ自死を待つしかないのかという絶望が心をよぎり、何かを破壊してしまいたいという衝動を抑えて暮らしていた。


 ここではない場所へ行きたい。ここは私の居場所じゃない。ここに居ると苦しい。自分が自分じゃなくなるから苦しい。本当は居場所なんて無いのかもしれない。無くっていい、それなら探し続ければいいだけの話だから。

 とにかく今ここに居るのは苦しい。ここじゃない場所に行きたい。ここに居ると息が詰まる。どこかに行きたい、どこかわからないけれども、とにかくここじゃない場所へ行きたい。
 そうやって動いて探し続けて、死ぬまで居場所探しに流離い続けるのもいいのじゃないかと思う。少なくとも、今いる場所から動かないよりは、流離いの旅を続ける方が、存在しないかも知れない世界の果てを目指して旅をする方が、私は「生きている自分」を感じられる。


 「俺達に明日はない」の田舎娘ボニーは、インポのチンピラ、クライドに出会って閉塞感から逃れる旅に出た。ここではない、何処かへ。その先が地獄か天国かわからないけれども、自分が「生きている」と感じられる場所へ行きたい、行かねば、行くべきだ、行こう、この世の果てを探すさすらいの旅に。


 私はお姫様じゃないので、誰か素敵な王子様が手を差し伸べてくれることは無いので、自分でよいこらしょっと動いてここではないどこかへ行くしかない。ナイト願望のあるマッチョな男の差し伸べる手なんて、脆くて嘘っぽくて自己陶酔したいだけのオナニーハンドだしよ。オナニーの道具にされて、じゃあいざセックスしましょうとなると、いらないんですよと存在を拒否されるのなんて真っ平だ。


 自分を信じて自分で動くしかない。自分で自分を信じなくて誰が信じるってんだよ。ああでも今は昔と違って、私は一人で生きていける人間だなんて思わない。人間は一人で生きていけるのだと生きていかねばならぬと思いこんで気を張って「孤独な自分」「一人で生きていける自分」ってカッコいいって自己陶酔して勘違いして数年生きていましたスイマセン。
 一人で生きていけないです、孤独な自分なんて全然カッコよくないです。ほんで一人で生きていくことなんて出来ないって知ってしまって怖くなったけれども何だか楽になりました、ありがとうございます。

 素敵な王子様の助けを待って年をとるんじゃなくって、王子様の不在を嘆いて卑屈になって絶望するフリして一人で生きていける強い人間になるわとか叫ぶんじゃなくって、自分の足で歩きながらも人と共存して生きていくことはそんなに難しいことじゃないし、ましてや自分には出来ないことでもないんだと今は思う。


 思えば嫌いな田舎に居た時は、閉塞感こそが私のエネルギーだった。怨念だけが力だった。私はここから出たい出たい出たい出たい出たい出たい。執念深いねと思うこともあるし、諦めなさいという人もいたけれども、だけど私はここに居たくないの、家を再び出たからと言って、その先に何かあるわけではないし、ずっと存在しないであろうこの世の果てを探す旅を続けないといけないだろうけれどもとにかく出たい出たい出たい出たい、ここではない場所に行きたい。


 映画館で働いて映画漬けだった数年間ってのが二十代の時にあって、ま、それも実は男の影響だったりするからホント馬鹿な女ねとも思うんやけど、その映画三昧の日々というのは今思うと自分にとってすんげぇ貴重な日々だったんで、男の影響受けやすい馬鹿女の自分にそこんとこだけはありがとうって感じなんだよ。

 そん時に、ふとしたことから借りて見た「由美香」http://d.hatena.ne.jp/hankinren/20061202#p1って、元々はAVとして作られて後に劇場公開された映画、AV監督とその不倫相手の旬を過ぎたAV女優がチャリで北海道を旅して北の果てを目指してというドキュメンタリーなんだけど、一回見て、「こんな映画があるんだ!」って衝撃を受けて、また借りて、ほんで今度借りる時はダビングしてやろうと決めて同じビデオ屋に借りに行ったら無くなってたの。それから他のレンタル屋探しても見当たらなかったし、当時はネットも無かったから情報も無くって、ただ一目会った誰やわからぬ謎の人に恋焦がれるみたいな状態やった。


 それから数年後に、実家に戻って働く日々の中で、私はどうしてもそのビデオが見たくて見たくて当時勤めてた会社のPCでこっそり検索して探して(家にはその頃PC無かった)電話で注文するのは恥ずかしいから、携帯のメールで注文して(V&Rプランニングから直接)購入したのだ。結構いい値段しましたよ。
 なんだかよくわかんないんだけど、閉塞感に囚われ続けていた私を解放するモノがそこにあったんじゃないかと今なら思う。私にとっては、クライドみたいなモンだったのか。「抜けないAV」って意味では、インポの男みたいなもんだし。しかし例えインポのチンピラではあっても、この暗くて重い箱庭のような世界で呼吸困難に陥りもがいていた馬鹿な田舎娘が、力まかせに自分を囲む塀を蹴り壊し、素手で血まみれになって塀を囲む鉄線をぶった切ってその場所から脱出するエネルギーを与えてくれたモノなんだ。

 


 そして私は去年の夏に、カッコーの巣の上でや、ショーシャンクの空にのラストシーンのように、強引に力ずくで各地でハッタリぶちかまして家を出た。
 不安はいっぱいあったし、実は先のことを何にも考えていなかったけれど、とにかくここではないどこかへ行きたかった。


 そうしてもうすぐ1年が経つ。
 私はまた閉塞感に息がつまりそうになっている。
 ここではない何処かへ、行かなければいけない、ここに居るべきじゃないという焦燥感に息苦しくなっている。
 仕事にも人間関係にも正直恵まれていると思う。それで食っていけてもいるし、なんだかんだ言って上司のこと好きだし、それだけでも非常に運がいいと思う。


 だけどまた私は、ここに留まるべきじゃないという衝動に駆られて彷徨う旅に出たくなっている。基本的に放浪者体質なのだろうなぁ。厄介な性分だが、そういうふうにしか生きられないんだからしょうがない。自分の責任とれる範囲で、人に迷惑をかけずってことが出来たら後は、人間何してもいいんやないかと思うしさ。そういいつつ迷惑かけまくってるけど、親には。ごめんなさい。


 何していいのかわかんないし、何も具体的に見えてはいないんだけれども、とりあえずいつでも旅に出られるようにという心の準備ぐらいはしておこうか。

 
 ここではないどこかへ、今いる場所じゃないところへ、私は行きたい行きたい行かねば行かねば行くんだ行くんだ出来るだけ身軽になって荷物を少なめにして旅に出る準備をしよう。

 この世に果てには何もないことは知っているけれども、それでも果てを探す旅を続けることは、「生きている自分」の存在を確かめるために必要なことだ。


 今は先立つものも時間も無くて動けないけれども、いつでも旅に出られるように準備だけはしておこう。

 この世の果てを探してさまよう旅に出るために。