学歴詐称する女

 Eちゃんとは、母親同士が知り合いだった。Eちゃんは、私より2歳下で、同じ高校に入学し、たまたま同じクラブに入部してきた。Eちゃんは、成績は中ぐらいだが、活発でクラブでは皆の中心として活躍する、ごくごく普通の女の娘だった。

 私は高校を卒業すると、京都の私立大学に入学した。Eちゃんが高校3年生の時、私の通う大学を受験するというので、私の下宿に泊めてあげた。Eちゃんは、本命はここの大学ではなく、ある国立大学だと言っていた。その本命の国立大学と、すべり止めにいくつか私大を受験するんだと言っていた。


 その後、Eちゃんからは何の連絡も無かったが、Eちゃんの同級生から、Eちゃんは全ての大学に不合格で、浪人しているということを聞いた。Eちゃんの成績は中ぐらい、そんな悪いわけでもなく良いわけでもないが、本番に弱い娘なんだとEちゃんの同級生は言った。私の母は、「Eちゃんのお母さんは、教育ママだから大変だ。」と言っていた。
 私とEちゃんの卒業した高校は、県下でいうと上の中ぐらいのレベルか。その地域を一歩出ると無名だが、そこの地域では、一番の公立の進学校だった。進学校と言っても、私の中学校から上位3分の1に入っていれば行けるし、なんせ田舎で高校の数が少なくて、家から通える公立の普通科だから入学しただけで、勉強するんだ! という目的があって受験したわけでもない。
 そういうわけで、田舎の進学校だけれども、生徒もピンきりで、比較的のんびりしていたと思う。有名大学に行った者もいれば、高卒で就職したものも多かった。当時、女子で4年生大学に進学したのは、女子全体の3分の1にも満たないぐらい。短大進学が多かった。
 私自身は、とにかく家を、この田舎を出たかったから、大学進学した。理由はそれだけだ。何かをしたいわけでもなく、ただ田舎を出る為に進学しただけだった。



 その次にEちゃんの噂を聞いたのは、数年後のことだ。Eちゃんの同級生によると、Eちゃんは、あの後、何故かどこの大学にも合格することが出来ず、3浪したあと、地元の専門学校に入学したが、そこは半年で退学したという。「やはり4年制大学に行きたいから」という理由だったらしい。
 Eちゃんは、近所のスーパーでレジ打ちのバイトをしているとうちの母が言っていた。そして、その年、Eちゃんは、地方の公立の4年生大学に入学したと聞いた。しかし、そこも半年で休学し、そのまま退学した。「周りが年下ばかりで、合わない。」という理由だったらしい。

 でも、Eちゃんは、この時点で3年浪人して、専門学校入学して、中退してるのだ。同級生が年下ばかりなんて、わかりきったことではないか? その頃、Eちゃんのお母さんが、病気で亡くなった。


 次にEちゃんの噂を聞いたのは、私の同級生からだ。その娘が働く写真屋にEちゃんが、現像を依頼しにフィルムをもってきたという。奇妙なのは、Eちゃんが領収書の名前を、高校のクラブの名前にしてくれと言ったことだ。高校の時に在籍していたクラブ名? もう卒業して何年も経過して、全く関係ないのに? フィルム自体は、高校のクラブとは何も関係無い景色の写真ばかりだったという。


 それからしばらく後、クラブの後輩達が久々に同窓会を開いたと聞いた。参加した後輩の一人から、電話があった。「みんな、元気そうで楽しかったよ。」と。
 でもね、と彼女は続けた。「Eちゃんって、あんな人だったかな、妙にテンションが高くて別人みたいでビックリした。発言がポジティブ過ぎて、それはいいんだけど、、、なんかハイテンション過ぎて、変な感じだったの。」そして彼女が現在は、結婚して神戸に住んでいると聞くと、Eちゃんは、「私、来年神戸大学の医学部受けるの、また泊めてね!」と頼んできたという。医学部?? Eちゃん、ずっと文系だったけど、、、



 そしてその後、その後輩の家には、しょっちゅうEちゃんから電話がかかってくるようになった。後輩は夫とその両親と暮らしていて、1歳にもならない子供を抱えていた。正直、Eちゃんからの電話に困惑していた。高校時代に、そんな仲が良かったわけでは無いのに。Eちゃんは、自分が医学部受験の為に勉強をしているとか、早く大学に行きたいとか、神戸大学医学部に男友達がいるとか、とにかく自分のことばかりを一方的に喋り続けたという。同級生は、小さい子供が泣くし、家事もあるし、夫の両親の手前もあるし、長電話は迷惑だった。でも、電話口で子供が泣こうが、今忙しいからごめんと言おうが、Eちゃんは、何も聞こえていないとしか思えないように、ただ、一方的に喋りまくる。
 ある日、また電話がかかってきて、Eちゃんが、今度の日曜日に神戸に行くので、自分と自分の神戸大学医学部の男友達と泊めて欲しいと頼んできた。同級生は、Eちゃんだけならともかく、Eちゃんの男友達は泊められない、小さい子供も居るし、両親同居のアパート暮しだから、それは出来ないというと、Eちゃんは、「もういい!!」と怒って電話を切ったという。それ以来、Eちゃんとその娘は音信不通になった。



 私が京都から田舎に帰ってきた頃に、断片的にEちゃんの噂を耳にするようになった。どれも奇妙な話だった。Eちゃんは、地元の病院の事務のアルバイト募集に応募してきたという。Eちゃんの履歴書には、「神戸大学医学部卒」と書いてあったらしい。絶対ありえない。神戸大学医学部を受験すると言っていたのは、1年ほど前の話だ。それから合格して1年で医学部卒業できるわけがない。病院の人は、なんで医学部卒の人が、事務のアルバイトに応募するんだとうと奇妙に思いながら、ハキハキしたEちゃんを採用したが、1週間もたたないうちに来なくなったという。
 それから数ヵ月後、ある会社のアルバイト募集に、Eちゃんが現れた。履歴書には、「大阪大学経済学部卒」とあったという。面接でも、大学生活のことなどをハキハキと語っていたらしい。Eちゃんは採用されたが、ここもまた一週間ぐらいで来なくなった。


 Eちゃんの奇妙な行動の数々、そこから見える一流大学に対する執着、これらの謎はすぐに解けた。私は仕事先で、偶然Eちゃんの同級生で、ある病院に勤務している娘に再会し、現在のEちゃんの話を聞いた。
 Eちゃんは、地方の公立大学に入学した頃から、精神科通いをしていたらしい。しかし、症状は悪くなるばかりで、ここ数年は、精神病院の入退院を繰り返している。状態が良い時は、退院して仕事を探しに行くが、すぐ具合が悪く病院に舞い戻る、それを繰り返しているらしい。そして一流大学卒の肩書きは、Eちゃんは、嘘をついているわけではない。仕事を探して履歴書に学歴を書く時は、Eちゃんは、自分は本当にその大学を卒業したと思い込んでいるのだ。一流大学に行きたくて執着したEちゃんは、学歴という幻想に取り付かれているのだ。その同級生がEちゃんに会っても、Eちゃんはいつも大学の話ばかり一方的に喋りつづけるそうだ。




 実際、大学というところに入ってみれば、そして社会に出てみれば、一流大学卒で人間的にロクでもないヤツは星の数ほどいるし、中卒高卒で立派に成功している人間も星の数ほどいる。確かに学閥があり、どこの大学出たかということが仕事や人間関係に影響を及ぼす場所も存在するけれども、そうでない場所もたくさんある。

 私の同級生で、今現在、大学卒を生かした仕事をしている娘が何人いるだろうか? 結婚して専業主婦をしている者、パート勤めをしている者、卒業後に専門学校に入りなおした者、、、大学を出たことが無駄だということでは無いが、そのことにそんな価値を置いてはいないだろう、結果論だけど。でも、この場合結果論しか語ることが出来ない。私自身は大学は入学したが、卒業していないので、最終学歴は高卒だから、学歴の関係ない職場ばかりにいた。映画館にいたときの上司や同僚は高卒だった、後輩には大卒もいたが。旅行業界は高卒も大卒もあまり関係なかった。バスのドライバー、バスガイドで大卒なんて滅多にいないし、中卒の人だっている。


 私が通っていた女子大は、近くにある国立有名大学と交流が盛んだった。接してみて、しみじみと「人間は学歴じゃない」と思った。高学歴を鼻にかけている嫌なヤツもいたし、高学歴に引け目を感じている人もいたし、ごくごく普通の人もいたし・・・・要するに、学歴があろうが無かろうが、どこにも嫌なヤツはいるし、良い人はいるし、人間性とは関係ない。確かに良い大学を出たら、良いところに就職は出来る、でも、実際良いとこに就職して安定した生活を手に入れるより、自分は他にやりたいことがあると転職したり、専門学校に入りなおす人間も多いし、最近は就職難で、4大を出ても職が無く、フリーターになる人間も多い。確かにメリットはあるのだけれども、私自身は学歴なんて無くてもいいと思っている。仕事で成功するとか、人間的なこととかと、学歴は決定的な場面では関係も無いと思うから。
 もし自分に子供がいたとしても、大学に入れとは言わないと思う。下手に大学入るより、手に職もっていた方が、潰しがきくと思うのだ。今の時代、一流会社が次々に倒産していく中で、学校のお勉強だけが出来る人間より、何か一つ自分が食っていける技術を持っていた方が良いと思う。



 だからと言って、全く学歴に価値が無いとは勿論思わない。自分を武装する鎧の一つとしての高学歴の価値はあると思う。ただし、鎧にはなれど、武器にはならないと思う。武器がなければ、戦えない、先には進めない。Eちゃんは、高学歴という鎧を身につけた時だけ、自信を持ったハキハキした人間として外の社会に出ることが出来る。




 でも、「人間は学歴じゃないよ」と私はEちゃんには言えない。それは、私は、中退とはいえど、一流とまではいかないが、関西ではそこそこの偏差値レベルの大学に在籍していたから言える、傲慢な意見だからだ。裕福で金に困ったことのない人間が、貧乏で困ってる人間に、「世の中はお金より大切なものがあるよ。」と言うのと同じだ。お前に、何がわかる、お金が無いことがどんな苦しいか知らないくせに。
 私には、Eちゃんの苦しみはわからない。「大学なんて、行っても意味ないよ。」そんな無責任なことは言えない。ひとごとだからだ。私も、Eちゃんも高卒だ。でも、大学中退の私と、大学に行きたくて執着して、ついには大学の幻想に支配されてしまったEちゃんとは全く違う。だから、私は何もEちゃんには言えない。どんな言葉を言っても、その言葉は宙に浮いてしまう。



 私の学歴というのも、非常に中途半端なものである。「そこそこの大学中退」して、その後、全く学歴と関係無い仕事ばかりしている。「そんないい大学に入ったのに、中退なんてもったいない。」「親不孝だね(←これを言われるのが、一番嫌。親に言われるのはしょうがないけど、他人に説教されるのはうんざり。中退する時は、そうせざるをえない精神状態だったのだけれども、そんなことを他人に説明する気もないし)」「そんな良い大学はいる実力があるなら、他の仕事したらいいのに。」「なんでこんな職場にいるの?」・・・・・


 いっそ、大学に入らず、そのまま高卒なら、あるいは、めちゃめちゃ低いレベルの大学を中退したなら、こんな「もったいない」とかさんざん言われて、「親がかわいそう」だの説教モードに囲まれなくてすんだだろう。好意的な言われ方をすることは、まず無い。確かに、もったいないし、親不孝だ。でも、あのまま大学を卒業して、就職した自分の姿は、今はもう全く想像できない。教育学専攻だったので、先生になっていたのか? いや、多分すぐ辞めてるな。親や世間には悪いが、中退して良かったと思っている。中退して、学歴の関係しない会社に就職して、その後も、学歴など関係ない(学歴より体力が重要)添乗員やガイドをして、とても楽しかったからだ。あのまま大学を卒業して教員になどなっていたら、今ごろヤバいことになってるね、間違いなく。変に良いとこ就職したら、辞めにくいし。



 学歴が足かせになることもある。「大学でてるのに、こんなことも出来ないの?」「何しに大学行ったの?」と会社で嫌味を言われたというのも聞く話だ。同じことを出来なくても、良い大学を出れば出るほど、評価が下がる。実際、会社の中だけではない。超有名大学卒で、ものすごくモノを知らない人がいると、「あいつ、あんないい大学出てるのに、アホやなぁ」と、つい私も言ってしまったことがある。





 この文章のタイトルは「学歴詐称する女」とはしたけれども、正確にいうとEちゃんは学歴詐称をしていない。Eちゃん自身は、本当にその大学を自分は卒業したつもりで、履歴書に書いているのだから。