喫茶店で、珈琲を

 さる事情(男に金貢いでサラ金で生活破綻させて実家に強制送還させられた)から、私は、去年の夏まで数年間、実家のあるド田舎に住んでいたわけなんですが、田舎に居て不便なことはいろいろあれど、どこ行っても知り合いに会うっちゅうのが嫌やった。女一人、喫茶店で入る程度のことも、やりにくかったんだもん。
 


 京都っていい喫茶店がたくさんあるんです。カフェじゃなくって、喫茶店ね。だから、京都に戻ってこれて、嬉しかったことはいくつもあるけれども、お気に入りの喫茶店に気軽に行けるようになったのも、その一つ。


 私が一番好きな喫茶店は、京都の怪しげな路地裏に佇む、「C」というお店。


 この店の店主は、相当な年齢だと思われる、骨董品の人形みたいなおばあさん。昔は文学者達のたまり場だったそうで、そういう人達との交流もあった方らしい。店内は、狭い。BGMはタンゴ。でね、何がこの店凄いかっていうと、、、店に入るでしょ、ほんで、水が運ばれてくるまで、20分。注文して、珈琲が出てくるまで、それから一時間以上かかるのよ。友人から、あらかじめそのことは聞いていて、マジかよって思っていたら、本当だった。注文してから、珈琲が出てくるまで、きっかり一時間。うんにゃ、それ以上に時間がかかることもあるらしい。なんで、そんな時間かかるのかというと、この骨董品の人形みたいなおばあさんが、「マイペースだから」としか答えようが無い。流れてる時間が違うんだよ。



 
 京都って街自体も、そんな感じ。惑わされず、流されず、自分の時間が流れている。それが大阪みたいな、東京に対する対抗意識でわざと大阪っぽくしてるんじゃなくって、なんか、自然に「京都が日本の中心どす。そんなんあたりまえどす。おほほほほ。」ってな感じで。大阪みたいに、「東京のうどんは、あれはうどんやない(食ったことないけど、東京のうどん」)! 大阪のうどんは、にっぽんいちやでぇ〜。」ってな、感じとは対極的に。あの、阪神ファンにあらずんば人にあらずみたいな排他性が嫌いなんだよ、私は。(個人的には、うどんは讃岐うどんが日本一やと思うが。食いてぇ。)

 とにかく、ここの「C」という喫茶店では、独特の時間が流れ、異次元空間のようだ。だからね、、、時間が無い時は、ここは行けないんですよ。一度入ったら、注文して、珈琲飲み干すまで、最低でも2時間かかっちゃうから。急いで珈琲飲むのも嫌だしねぇ。そんなわけで、田舎に居た頃は、たまに京都に遊びに来ても、この店にはあんまり行けなかったのだ。電車の時間とかあるからね。


 わかりにくい場所なんて、そんな混みあうことも無いし、ホンマ独特の異次元空間。せわしない日々を過ごしていると、ここ行きたくなるよ。



 ちなみに一時間以上かけて骨董品の人形みたいなおばあさんが入れてくれた珈琲は、とても美味しい。丁寧に入れた香り高い珈琲だ。丁寧すぎるけどよ。


 一度入ると、2時間はいなけりゃいけない喫茶店。これは、一緒に行く人を選ぶ。たとえば、仕事関係だけの付き合いの人と、打ち合わせとかでは入りにくい。間が持たないから。仕事関係じゃなくても、そんなに気が合うわけでもない、知り合い程度の人とかとも、行きにくい。



 気を使わない相手、ずっと会話していられる相手、あるいは喋らなくても間が持つ相手、ゆっくり流れる時間を共に楽しめる相手じゃないと、一緒には行けない。そうすると、本当に、一緒に行く人を選ぶ店なのだ。だから、好きなのかも知れない、この店が。





 相手が、例えば、恋人だったり、そうじゃなくても、これからセックスするかも知れない人だったり、そういう人と来るべきだ。2時間、3時間、素面で、ただ、そこに座って、会話を楽しめるかどうか、それがわかるから。
 そういう相手との会話は、セックスの前戯だ。言葉のやりとりも、沈黙も、向かい合う相手の表情も手の動きも、全て、前戯だ。触れなくても、キスしなくても、全てセックスの前戯。だから、その時間が、とても良いものなら、多分、セックスも良いんじゃないかと思う。体の相性とか言うけれど、人間は、基本的に頭でセックスをするので、セックスの相性=人間としての相性だと思うんだけど。



 脱いで、入れるだけなら、簡単なことで、誰とでも出来る。でも、それだけじゃ満たされない、それ以上のものが欲しい人は、ここに来て、ゆっくりとした時間の流れる異次元空間で、相手と向かい合うと、何かがわかると思う。二人の空間という前戯を、楽しめるかどうか。


 あるいは、それはセックスした後の後戯でもあるかも知れない。精を出しつくした後、ここに来るのもいいかも知れない。セックスを終えたあと、相手と向かい合い、数時間、会話を楽しめるかどうか。それが出来なければ、それは、恋人じゃなくて、セフレに過ぎない。精を出しつくし、欲望を満たした後に。間が持たなければ、それまでのこと。それだけのことだ。


 
 お互いが、向かい合って、目を逸らすこともなく、数時間酒無しで、(酒は理性を弛緩させるので、ある意味反則技)なかなか来ない珈琲を、イライラすることもなく、待てるかどうか。一緒に居る時間が楽しい。会話して言葉のやりとりでお互いの距離を縮めあう、タンゴが流れる時の止まった空間を心から楽しめるか関係。珈琲がなかなか来ないことさえ気づかないほど、会話が楽しい。そんな関係が出来たら。


 セックスする前に来る。セックスはとてもしたいけれども、その前に。服を着て、会話をする時間が、満たされていて、これから始まるセックスへの期待が高まる、肌を合わせなくても、言葉で心を近づけることができる、贅沢な前戯の時間。

 セックスをした後に来る。さっきまで絡み合い、欲望を出し尽くしてシャワーを浴びて、ここに来る。精を出しつくした後でも、相手と言葉のコミュニケーションを楽しめるか、服を着た相手の顔を見て、まだ愛おしいと思えるか。そして、セックスは終えたけれども、まだこの人と一緒にいたい、また会いたいと思えるかどうか。このまま、ずっと、珈琲が運ばれてこなければ、ずっと一緒にいられると思えるほどに。



 言葉を、交わす。それも、セックス。


 会話は、セックス。
 共有する時間も、セックス。
 そんなセックスができたなら。