ひとり上手


 ひとり上手と呼ばないでひとりが好きなわけじゃないのようそよほんとはひとりでするのもけっこう好きなのよ。去年なんかせっくすは片手の指であまるほどだけどひとりでは数え切れないぐらいしてクソ忙しくても睡眠時間けずってひとりじょうずで、セックスしなくても生きていけるけれどもオナニーなしじゃ生きていけないんじゃないかいいのかそれでと思いつつ毎度毎度ひとり上手。



 ひとり上手な私のオカズは、エロビデオであったり、エロ雑誌であったり、エロ小説、エロ漫画であったり、泊まりのお仕事行く時は、こっそり一番コンパクトなエロ小説を鞄にしのばせる。うっかり忘れてしまった時は、頭の中から、オカズを引っ張り出してくるしかない。



 何をオカズにするかはその時の気分で、お腹がすいたら中華がいいな、ラーメンがいいな、和食がいいな、そんな感覚で。
 でもね時折甘いモノが食べたくなるの、甘いモノをオカズにしたくなる。


 甘いオカズは、エロビデオでもエロ本でも無くて、アタマの中に残るセックスの記憶。私の頭の中にだけ残る記憶。時折それを引っ張り出して、甘いオカズで御飯を食べる。




 オカズ仕様のセックスの記憶は、昔好きだった人であったり、今好きな人であったり、好きじゃなかったけれどもセックスだけは良かった人だったり。
 昔の男とのセックスを思い出してオカズにしたりはするのだけれども、だからと言って今その男とセックスする気はないしどうでもいいと心底思っている心の不思議。




 オカズ仕様のセックスの記憶は、ペニスの感触とか形とかよりも、その時の言葉であったり表情であったり。耳元で囁かれた言葉と声を思い出して反復して二人だけしか知らない夜を思い出して指を這わせる。



 甘いオカズで御飯を食べると時折喉につっかえてむせ返りそうになる。息が出来なくなり、アタマの中の想いを言語化できずにモヤモヤが募る。



 好きな人をオカズにするのは、恋のなせるワザなのかしら? もしそれが恋だとしたら、二度と会う気はない昔関係していた男とのセックスの記憶もオカズにしてるのは、何なのかしら?



 アタマの中は自由で、何をやろうが許されるけれども、私はヤったことのない男とのセックスを想像してオカズにするということは出来なくて、いつも使用するのは、ヤったことのある男との、ヤった記憶及び感触主に声。



 視覚嗅覚聴覚たかがセックスで私の中に入り込んでアタマの中の「オカズBOX」にインプットされたセックスを何度も思い返してオカズにしちゃってごめんなさい。って、謝ることなのかしらね。




 好きな人に会うと恥ずかしくなって目を逸らしてしまうのは、こっそり夜のオカズにあなたを使用してますってのが恥ずかしいのかも。あなたをオカズにして何度もオナニーしましたなんてことを口に出してみるのはどうだろうか。恥ずかしいけれども、そういうことを言えるような関係性というのは、結構心地よいもんかもしれない。言えねーけど。




 あなたをオカズにして何度もオナニーしちゃいました。だけど他の男もオカズにしてます。昔セックスだけがとても良かった男とか、今は何でも無いけれども昔恋人だった人のこととかも私はオカズにしています。
 アタマの中は何でも自由が許されるので私はアタマの中だけでは後腐れなく淫乱なヤリマンになり楽しめる。現実はめんどくさいことが多いし失いたくないモノもたくさんあるから万年セックス不足状態で、見てください誉めてくださいこんな立派などこに出しても恥ずかしくないひとり上手になりました。


 

 昔の和歌なんかを読むと、「セックスの記憶」をオカズにして、だけど今はヤレない切なさを詠ったんじゃないか、って、思わせる歌が相当ある。



 逢いみての のちの深さに 比ぶれば 昔は物を 思わざりけり、なんて歌は、モロにそうだ。ヤッちゃって、なんだ思ってたのと違うガッカリねハイさようならの一度こっきりのセックスの回数増やすだけのようなやり方なら、こんなに身体にセックスの記憶を残さないのだろうか。


 甘いオカズは、セックスの記憶。切なさを伴うセックスの記憶。オカズにしちゃってごめんなさい。
 それにしても、オカズにするのも、恋のなせるワザなのかしら。
 好きな人をオカズにしてオナニーすることを、「恋のオナニー」と名づけてましょう。しかし、恋じゃないオナニーも、恋のオナニーも、どっちも気持ち良かったりする。
 そんな私はやっぱりひとり上手。




 時折寂しくなったり、切なくなったりしながらも、やめられない、「恋のオナニー」。
 だけどひとり上手と呼ばないで。
 ひとりが好きだけど、ふたりでやるのも好きだから。