六道の辻
何も気にせずに歩いていればおそらく目に留まることもないであろう小さな石碑には「六道の辻」と書かれている。
六道とは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道」
六つの世界。
京都東山阿弥陀が峰から東大谷にかけては古来より死者の風葬の場所・鳥辺野と呼ばれていた。鳥辺野と洛中の境に「六道の辻」がある。風葬される為に運ばれた死者はここで僧侶に冥界への引導を渡されたという。
六道の辻は冥界と現世との境。その近くにある六道珍皇寺の鐘は冥界へも鳴り響く鐘と言われている。毎年8月の上旬にはここで六道参りという行事があり、この鐘の音を聞いて精霊が冥界より現世に戻ってくる。そして現世に戻った精霊達は8月16日の五山の送り火という5つの山に火が灯される行事と共に冥界へ、帰る。
この六道の辻で冥界と現世とか交わる。あの世とこの世が。生者と死者が。六道珍皇寺には冥界の入り口で死者を裁き六道へ導く閻魔大王の像がある。
あの男が滅ぼうとしている。何もかも無くして老いて体を病み独りで。
俺は死にたい死にたいと思うクセがあると、かって男は言っていた。俺はすぐ死にたくなる、と。私は男が死ぬことが何よりも怖かった。男が死ねば私も死のうと思っていたし、男が死なないためには何でもしようと思っていた。
呪縛が解けて私が男から離れて金を返してくれとやっと言えるようになったけれども、金を返す気の無い男には埒が明かないと思い彼の友人や母親に話をした私は恨まれ罵倒され続けた。俺はすぐに死にたくなるんだという男の言葉が常に脳裏から離れなかった。男が私を恨んだまま死んだら彼の亡霊が私のところに来るだろうと脅え続けた。嫌な夢をよく見た。夜、私の枕元に恨みがましい目で私を睨み続ける彼の亡霊の夢を。
彼を好きだった頃は彼の死が何よりも怖かった。彼から気持ちが離れてからは私を恨む彼の亡霊が怖かった。
私はずっと彼に憎まれて嫌われてると思い続けてきた。優しい言葉などかけられたことはなかったし、接吻は拒まれたし、私の人格を打ち砕くほどに私を否定し続けていたし、それでも私の部屋に通い金を要求し続けて私の性欲と恋愛感情を利用し続けてきた彼に対して、どうしてここまで嫌われて憎まれなくちゃいけないんだと思い続けてきた。あなたには愛する大事な恋人が他にいるじゃないか、どうして私に自分を餌に金を要求して離れないのか。金が目当てならもっと金のある女とところに行けばいい、そのご自慢のペニスとセックスで。
俺は君が思うほど、酷いことは考えてないよ。
そう言われたこともある。じゃあどうして、私の部屋に来るのか、私が他にやっと男を作って「もう来ないで」と頼んでも来ようとしたのか。
会わなくなってからも、いつもセックスのことを、他の男のペニスのことを聞いてきた。大きいのか、良いのか、俺のと比べてどうだ、と。ひたすらセックスのことばかり聞いてくる。
どうしてセックスのことばかり聞いてくるの?と聞くと、嫌なニュースは聞きたくないんだ、嫌なことばかりだからと男は言う。
君は自分から素直に欲しいと言う娘だった。それはとても良いことだと思うと言う。その私の欲しがる気持ちを利用して、それでいて与えなかったクセに、良いもクソもないだろう。
俺は君の中の感触も覚えている、あれから誰ともしていないし、俺はもう年だよ、勃起しにくくなって、とても不安だ。
私はあなたの感触は忘れてしまった。あれから何人かとしたよ、嫌なセックスも、良いセックスもした。そしてこれからもセックスはするだろう。どうせするならあなたとの時のような一方的で気持ちがすれ違うようなのはしたくない。欲しがる自分に罪悪感を感じるようなセックスは二度としたくない。
それでも男は未だに自分のペニスとセックスが私にとって一番で、私を操れると思っているらしい。もしかしたら人に見捨てられいろんなものを無くし滅ぼうとしている男が唯一縋れることが自分のセックスなのかも知れない。
そりゃあれだけ物もちゃんと食わずに一日中煙草吸ってたら体も不調になるだろうよ。彼とは2度しかキスしていないけれども煙草の味がしたことだけは覚えている。キスは拒まれたけれども指や胸を舐めたがるのは拒まれなかった。どこもかしこも煙草の匂いと味が染み付いていた。銘柄は忘れたけれども、あの頃は彼が帰った後で彼の吸殻によく口をつけていた。煙草の吸えない私が、彼の吸殻を吸うことが接吻の代わりだったのだ。私の髪の煙草の匂いが移るのも嬉しかった。
そんなことも全て過去の話だ。葬られた話だ。
あなたは私の最初の男だった。それだけの男だ。
そして私を歪ませて壊れるほどに痛めつけた男だ。何度殺してやろうと思ったことか。今はもうそんなことは思わない。それに私が手を下さなくても、ほうらあなたは滅び朽ちて逝く。
私は残酷な喜びを感じながら男が滅び逝くのを遠くから見ている。自分を苦しめて歪めた男が滅ぶこと、これが私の望んでいたことらしい。
男は死にたいと言い続けて私を縛り付けていたけれども、結局死んではいない。ただ、今の彼は生ける屍のようだ。婚約者にも、私の金で一緒に旅行に行っていた若い女にも去られ、仕事もうまくいかず収入もロクになく、体調を崩し、周りの人間からも「あの人はかわいそうな人」だと同情されている。私が彼と出会った16年前には思いもよらなかった状況だ。彼には明るい婚約者がいて、後輩達や友人からの信頼も厚く、常に人に囲まれて中心にいた。
彼は変わっていない。変わらなさ過ぎた。彼の傲慢さや自我の強さや何よりも自分の考えに対する絶対的な自信がかっては彼をカリスマのように錯覚させていたが、周りの人間も彼の作った狭い世界の中にいるうちは見えないことが社会に出れば見えてくる。知識だけで世間値の無い浅薄さや、狭い世界しか知らない幼児性が。そして何よりも愚かなのは、周りの人間が成長していくことに気付かず、いつまでも自分が支配できると無意識に信じている笑えるぐらいの傲慢さだ。
彼と話して、彼が自分が仕事をしているはずの業界の状況についてあまりにも何も知らなくて、また知ろうともせず、昔ながらの自分のやり方以上の事をしようとしないことに驚いたことがある。自分は何も変わらなくて人に合わせようともせず「俺は俺だ」というやり方を通してやっていけると思うほど、あんたは偉いのかと言いそうになった。ひたすら呆れた。
かって皆に崇められて皆の中心だった男は、人から「かわいそうな人」と同情されている。あんな男と別れて本当によかったと人は私に言う。そして何よりも私自身がそう思う。別れて、良かったと。そんな男を本気で好きだったのは私なのだけれども、誰かれも「別れてよかったね」などと言われている彼が憐れにも思う。
自分を頂点とした自分の世界から出られない、出るのが怖い臆病な男は滅ぼうとしている。そんなに外の世界が怖いのか。自分というものを省みて変えることが怖いのか。現実を見るのが怖いのか。何者でもない、自分を知ることが怖いのか。
この男の死が何より怖かった私は、よく彼の葬儀の光景を想像した。彼が死んだら、私も死なないといけない、生きていられない、彼の葬儀の前に死のう、と。
本当は、簡単なことなのに。
自分が大事だと思う人間を大切にすることなんて。
自分にとって必要な人間に優しくすることなんて。
好きな人に好きということなんて。
好きな人を泣かせないことなんて。
一緒に生きていきたい人達とずっと仲良くしたければ、その人達を笑わせて喜ばせるようにすることを考えたらいいのに。上から見下すように自分の考えを押し付けたりしようとせず、人の考えを否定しようとしたりせず、ちゃんとその人達一人一人を認めて敬愛して受け入れたらいいのに。
敬天愛人とはよく言ったものだ。天を敬い人を愛す、それは簡単なことのはずだ。
ちゃんと、大事な人達を愛するべきだったんだよ。くだらねぇ無駄なことばっかりに惑わされることなくさ。人を、ちゃんと愛したらよかったんだよ。そしたら誰もあなたから離れていかず「かわいそうな人だ」なんて、同情されることにもならなかったのに。
私はあなたを憐れに思う。憐れに思いながらも自分を苦しめた男が滅ぶことに残酷な喜びを覚えている。私があれほどまでに欲したあなたが、今私を欲しがることにも喜びを覚えている。
本当は、もう死んでしまったのかもしれない。そこにいるのは亡霊なのかもしれない。でも、もう私はこの男の亡霊に脅えたりなどはしないのだ。例えどんなに憎まれて恨まれようとも。
私もあなたもロクな死に方しないと思っていた。セックスを餌にしたあなたは畜生道で、セックスに狂った私は餓鬼道か。あるいは二人共地獄か。
六道の辻で生者と死者が交差する。誰が生者で誰が死者なのか、そんなことはわからない。あるいは自分が生者のつもりの死者もいるだろう。僧侶に引導を渡されて指し示された先には、屍が積まれている。
昔私が好きだった男達の屍が鳥辺野に積み重なっている。死体を啄ばむ無数の烏が頭上で啼き声をあげている。かってあれほどまでに好きだった男達の体もペニスも指も髪も死んでしまえば所詮烏の餌に過ぎない。烏達は餓鬼のように死者を貪る。
私は烏に啄ばまれた屍を踏みつけ、生きる。
ああやっぱりあんた達はロクな死に方しなかったね。簡単なことだったんだよ。人をちゃんと愛したり、好きな人達を大事にしたり、簡単なことをしようとせずに、自分を守ることばかり考えてくだらないことばかりにあくせく労力使ってさぁ。臆病で弱い自分を見せず格好をつけることばかりに必死になって。それって、結局自分を守りたいだけなんだよ。自分を守ることばっかり考えているから、人を大切にできないんだよ。そうしてあんた達は、このざまだよ。
私は笑いながら屍を踏みつける。靴のヒールが腐敗した屍にのめり込む。私はまだそこには行かないよ。私はまだ天道にも人間界にも辿りつけてはいないけれども、修羅道ぐらいまでには来れたのかも。
昔自分を泣かせた男達の屍を踏みつけて自分自身がまっとうに後悔せぬように生きることが私の復讐だ。
私はなんでこんなに自分は男運がないんだろう、男を見る目がないんだろうと思っていたけれど、要するにそれは簡単な話で、死にたい人間に死神が獲りつくようなもんだったんだよ。
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり
曽根崎心中「道行」
私が供に手を取り合って道行く相手は、あなたではない。あなたが見ている、あなたを狂おしいほど求め続けていた私の姿も、それは亡霊なんだよ。あなたを欲しくて我をも見失っていた私は、亡者だということに気付きなさいよ。
六道珍皇寺の鐘が冥界へと響き渡る。死者を啄ばむ烏の啼き声が不気味なほど高らかに笑い声のようにも聞こえる。
あなたはずっとその場所にいればいい。自分を守りながらその場所に居たままで朽ちて滅んでいけばいい。いくら呼ばれても、私はそこには行かないよ。早くそれに気付きなさいよ。あなたの体もペニスも烏の餌に過ぎないことに。そろそろ腐臭が漂ってきた、きっと地獄にもいけやしない、未だに自分がこの世で一番正しいと思い他者を否定し続けるあなたは。
人は、変わるのだと、変わらないといけないのだと、自分を守る為に人を痛めつけてはいけないのだと、線香代わりに教えてあげようかとも思ったけれども、そんなわずかながらの愛情もありゃしない。
私は、もうそこには行かない。亡霊に脅えることもない。前だけ向いて自分の大切な人達も、自分自身もどうしたら幸せになれるのか、それだけを考えて生きる。なんとか必死でくだらねぇことに惑わされずに生きていれば、きっといいことはあるだろうよ。
六道の辻に鐘が鳴る季節に私は自分が葬られ歪められ殺された場所に、帰った。
復讐の為に。自分の足で生きるという復讐の為に。私が幸せになることが、私を痛めつけ殺した男達への私の復讐なのだから。
滅びてたまるか。葬られてたまるか。誰が烏の餌になど、なるものか。烏の餌になるぐらいなら私自身が死者の骸を啄ばむ烏になって男達の屍体を貪り生きる糧にしてやろう。
それが私の復讐だ。