卑屈と傲慢


 能登半島地震で幾つか仕事がキャンセルになりました。行ったことのある場所だからこそ映像が痛い。仕事で泊まった輪島の海の見える温泉のあるホテルとか、輪島の朝市で食べたえがら饅頭とか、キリコ会館とか思い出すとねぇ、、、好きな土地なんです、輪島。でも「知ってる場所」だからこそ痛いというのは、裏を返せば「知らない場所」なら他人事として捉えてしまうであろうということなのか。それは数年前に自分の住んでた土地(実家のあるとこ)が災害に遭遇して、しみじみ思った。身近な土地、身近な人が被災して初めて思った。阪神淡路大震災とか、それなりに胸を痛めてはいたつもりだったけれども、やっぱりどこかひとごとだったんだろうなぁって。

 
 ひとごとだということで、いつも思い出すことがある。私が映画館で働いていた時のこと。ある中年カップルがやってきて券売機で映画の切符を買おうとしていたんですね。それで、映画の切符というのは大まかに言うと、一般、学生割引、そして小人&身障者割引という種類があるのですよ。(カード割引とかそういうのは置いといて)で、そのカップルの男の方が、券売機を見て、「俺らって一般??高いなぁ!あ!身障者割引ってあるやんか!俺、アホやから身障者やなぁ!」と大笑いして、受付にいる私らに「アホやから身障者割引きして!」と言うのですよ。連れの女も笑ってた。


 私は笑えなかった。「俺アホやから身障者!」って冗談(のつもりでしょう)という言葉にもの凄い暗い気持ちになった。確かに、その男はアホだ。でも、「アホやから身障者」って言葉の中にはものすごい身障者に対する差別を感じた。私だって自分の中に差別心というものが無いわけじゃないけれども、大爆笑しながら無意識でそういう身障者の人が聞いたら明らかに傷つくことを言う神経と、それで笑う連れの女を見ていて暗い気持ちになった。今更言うことでもないけれども、外観から見てわからない身障者の人なんてたくさんいる。そこの職場にも居た。若い人でもたくさんいるし。そして身障者とか、老人って、ひとごとじゃないのよ。いつ自分も事故や病気で身障者になるかわからないし、老人には間違いなくなる。そのカップルは自分が身障者になることなんて考えもしないんだろうか。しないんだろうな。


 接客業をやっていると少なからずこういうことに遭遇する。タチの悪い、ひたすら不愉快な、笑えない冗談に遭遇する。酔った上司が部下の女性に「そんなんやからお前は嫁に行けんのじゃ!」と皆の前で罵る姿も見たことがある。同性愛者差別とか、その他もろもろ。私は同性愛者の友人がいるし、自分もその傾向が強いのでハラワタが煮えくり返ることもあるけれども、「お仕事」だから、喧嘩はしない。しても無駄だしよ。ただ、笑えない。心の中で思いっきり軽蔑する。だけど、それでも一緒になって笑ってあげるのが接客業の正しい姿なのかと一瞬思ってしまい、更に暗い気分になることがある。

 
 とにかく、人は、自分がその立場になってみないと、人のことなんてわからないと思う。でも、わかろうとする姿勢は大切だと思うの。けれども一番危険なのは、「わかった気になること」かも知れないとも思う。「わかった気になる」と、そこで完結してしまうから。


 そしてそこは自分自身も非常に陥り易い罠だったりします。「わかった気になる」と傲慢になってしまう。
 私は非常に調子に乗り易いので、ついついそうなってしまう時がある。


 私のことを嫌う人がいます。基本的に仕事は一期一会なところがあるので「憎まれる」までは行かないと思うんだけど、一緒に仕事をしていて、「合わない」というレベルじゃなくって、「この人に私嫌われてるー」ということがある。それは同性でも異性でも。で、「好かれる」ことも「嫌われる」ことも必ず理由が存在するんですね。そして「自分が嫌われてる」ことに直面して、その時はエライ落ち込んだりもするんですが、落ち込んでいる時って、わりと相手のせいにしてる。「嫌なヤツ!」って。そして落ち込みから回復して「嫌われた原因」を考えると(もしかしたら嫌われてる原因を考えることで落ち込みから回復できるのかもしれない)、やっぱり何かが確かにある。「嫌われた原因」が。


 私の場合は、自分が嫌われる一番の原因は「傲慢」だからです。無意識にしろ傲慢さがにじみでてしまって、それがわかる人にはわかるからカチンと来るんですよ。自分ではそのつもりなくても、相手の痛い所を刺激しちゃうことって、あるでしょ?それで思いがけず憎まれちゃうことってあるよ。自分自身も思いっきりそれで人を憎んじゃうことってあるし。


 私は卑屈になって人に媚を売る自分が嫌だから、そうならないようにって思っているけれども、それが過剰になって度が過ぎると傲慢になってしまうことがある。アレですよ、劣等感の強い人間ほど優越感を感じたがるのと同じ。そうしないと自分を保てない。傲慢と卑屈って、セットだったりする。


 人は、人の立場になってみないと何もわからない、、、とは思うけれども、立場になってもわからないこともあるんだよなぁ。
 でも「嫌われる」のは嫌だけど、「嫌われる原因」を考えるのは、自分の為にいいことだとも思う。あ、でも、そこでやっぱり「わかった気」になってもいけないから、永遠に「わかろうとする」ことを止めちゃいけないのだ。


 しかしやっぱり卑屈にはなりたくないし、かと言って傲慢にもなりたくなくて、その両方を行ったり来たりして良いバランスの取り方を探していくしかないのねん。
 人生は死ぬまで終わりのない旅だわん。