藤棚の下で濡れて舞え

 平安時代後期京の都で「白拍子」というものが流行した。白拍子とは、烏帽子、水干、要するに男装で舞いを踊り歌を謡う女の芸人である。元々は遊女でもあったと言われる。白拍子が流行するにつれ貴族や武士の間でも彼女達の舞いを愛で、高名な白拍子の噂を聞けば競ってパトロンとなり愛妾にした。男装の遊女のエロスが当時大流行したのである。

 有名な白拍子といえば平家物語に登場する平清盛の愛妾達・祇王・仏御前などであろうか。
 しかし歴史に残る白拍子と言えば、この女しか居ない。源九郎判官義経の愛妾・静御前である。

 よく誤解されるのだが静御前義経の正妻ではない。源氏の大将と白拍子では身分が到底つり合わない。義経には別に正妻が居た。しか、誰もが義経と言えば、その正妻より静の名を思い浮かべるのではないか。

 当時京の都で白拍子のコンテストのようなものがあった。そこで優勝したのが静御前。そして源義経の眼に留まり愛妾となった。

 源義経は栄華を誇る平家一門を壇ノ浦にて滅ぼした。義経の人気は都でこの上なく高まった。しかしその義経の名声が彼を滅ぼしてしまうこととなる。

 義経の名声に警戒心を抱いたのは、兄の源頼朝。弟を消してしまわねば我が身が危うい。そして全く根拠の無い因縁をつけて義経を謀反人に仕立て上げ、追討の綸旨を後白河法王より出させることに成功する。

 義経は天才的な軍師だった。ゲリラ戦法の使い手としては唯一無二だろう。しかし彼は政治家ではなかった。戦上手であっても、世が、先が見えなかった。自分の存在が兄にそこまで危機感を抱かせることになろうとは夢にも思わなかった。彼はただ戦に勝ち進んでいっただけだ。兄の命により父の仇の平家一門を滅ぼしただけなのに。彼は自らのあずかり知らぬところで時の政府に対しての反逆者となった。

 義経は弁慶や静と共に都を追われた。奈良の吉野山に逃げ込もうとした。しかし吉野山は女人禁制の山。泣く泣く静はそこで義経と今生の別れをした。


 静は頼朝の手のものに捉えられて鎌倉に移された。頼朝は静の白拍子としての名声を知っていたので、その舞を一度見たいと所望した。頼朝からすれば静は世に聞こえた舞の名手なれど義経の正式な妻でさえない身分の低い女。軽い座興の気持ちであっただろう。そして鎌倉鶴岡八幡宮の藤棚の下にこしらえられた舞台に静は立った。

 紫の花びらがはらはらと舞う藤棚の下で烏帽子水干の白拍子姿の静は頼朝の前に現れた。
 目の前に居るのは愛しき義経を追い詰めて殺そうとしている男。まなこに写るのは、この世で一番憎い男。そして今から、この男と、その家臣達の前で、慰みに自分は踊ろうとしている。

 静は、舞い、謡った。


 
 吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の あとぞ恋しき

 しずやしず しずのだまきを繰り返し 昔を今になすよしもがな



 白雪降る奈良の吉野山、そこで別れた、あの人の雪の上の足跡さえも恋しい。
 静、静と、何度も私の名前を繰り返し呼んでくれた、あの時間を再び得る術もない。



 女の名前を男が繰り返し呼ぶ。これは恋人同士が裸になり絡み合う時間を連想させまいか。恋しくて、しかし会えぬ男を愛おしく思い出す、自分だけが知っている、鎧を捨てて心も体も裸になった至福の時間。自分の名を呼ぶ声、自分の体をまさぐる指、匂い、肌、その時の顔、舌の動き、精を放つ瞬間の、最も愛おしい表情と声。愛おしい、その男の全てが愛おしい。もう今は、なすすべがない、その男との愛おしい時間。それを静は謡ったのではないか。愛おしい男を殺そうとしている、自分とその男を引き裂いた憎い男の前で。


 静は独り、敵陣の中で恋情と欲情という刃を抜いた。濡れながら。


 場がどよめいた。謀反人として追討されている男を恋しい恋しいと謡ったのだ。それも堂々と、臆することなく。なんと不敵な反逆的態度だとざわめいた。当の頼朝も怒りで体を震わせた。静が自分に向けた刃が見えた。
 「な、なんと不敵な、、、この女を即ひっとらえて殺せ!」


「待たれよ!」

その頼朝を止めたのは、頼朝の夫人・北条政子

「静を屠ることは私が許さぬ。」


 政子は頼朝に説いた。思い出して欲しい、元は平家によって伊豆に流されたあなたも謀反人だった。それでも私は父の反対を押し切って駆け落ち同然にあなたの妻になった。例え相手が謀反人であろうと、罪人であろうと、その男愛しさに女は全てを捨てることが出来る。かって私もそうであった。そうしてあなたの妻になった。敵の満座の中で、恋しい男を謡う静の心意気こそ天晴れなるものかな。これこそ女の中の女。静を殺すことは私が許さない、と。


 頼朝亡き後尼将軍とまで呼ばれたほどの力を持つ政子のとりなしによって静は許された。しかし、その時に静の胎内にいた義経の子は生まれてすぐに殺された。静は後に京都に帰され尼になり、母親と共に余生をおくったとされるが、実際のところ彼女の後半生は定かではない。


 時の最高権力者であろうがなんであろうが愛する男を追いやった憎い男。例えこの命が絶たれようとも、誰が媚びようか、誰が言いなりになろうか。例え二度と会えなくても、罪人とされても、私は、恋しいのだ、あの人が。


 恋しい恋しい恋しい。
 繰り返し私の名前を呼んでくれたあの人が恋しい。
 もう二度と会えないけれども私はあなたを忘れない。その記憶だけが、私の全てだ。
 私は、無力だ。敵の眼前でただ独り、無力だ。私はただの無力な女で、あなたを救うことも助けることも守ることもできやしない。妻ですらない私は、あなたと共に死ぬことさえもできない。


 しかし、私は私の持てうる限りの武器を使い、あなたの為に戦おう。私の愛したあなたという人間の存在を張り裂けんばかりに自分が出来うる最大の力で謡ってやろう。
 私はただの無力な女で、あなたを想うことぐらいしかできやしない。されどあなたへの想いこそが私の武器だ。誰にも負けないぐらいの強い武器だ。
 あなたを恋しいと、この敵の眼前の藤棚の下で、目を眩ませるように美しく舞ってやろう。あなたは、負けてなんかいない。あなたが例え罪人であっても、あなたは誰にも負けてはいない。誰がなんと言おうと、私はあなたの味方だ。その存在を私は謡おう。死を覚悟して。私の生涯最高の舞を舞おう。恋しさに濡れながら。

 こんなにも私はあなたが恋しい。


 義経は奥州平泉で兵に囲まれ館に火をかけて妻と共に自害する。最期まで義経の忠臣だった武蔵坊弁慶は体中に矢をかけられても目を見開いて仁王立ちのまま義経を守り死んでいった。

 そして、悲運の名将源義経は、その悲劇性ゆえ英雄となった。

 頼朝亡き後、彼の築いた鎌倉幕府は、たった3代でその血を絶やす。3代将軍実朝が、2代将軍頼家の息子である甥にあたる公暁に刺されたのは、静が舞を舞った鎌倉の鶴岡八幡宮であった。


 あなたが恋しい。逢いたい。触れたい。恋しい。逢いたい。触れたい。例え二度と逢えなくても、あなたの存在が私の全てだ。だから私は私の武器で戦おう。あなたの敵と、戦おう。それしか私にはできないのだから。想う力だけが私の武器だ。

 
 ただ、ただ、世は無常で、栄枯盛衰を輪廻の如く繰り返す。
 うたかたの如く夢は結びて消えることを何度も何度も懲りもせず繰り返す。そして流れる時間の中で、人を恋うる歌だけが静かながらも闇を照らす月のように永遠に変わらぬ光を放ち後世に語り継がれる。

 ただ、ただ、恋しいと。
 あなたが恋しいと。