業界の話。


 長野県のバス会社の痛ましい事故の話ですが、自分が関わる業界だからこそ、内情の複雑さが少しなりともわかるので、うかつに何も言えないわけですが、バス業界、旅行業界だけじゃなく、利用する側の意識の問題も含めて、ちゃんと報道して欲しい思います。


 この業界に限らずなんですが、「業界の常識」が「世間の非常識」と言うのは、どこでもある話だと思います。で、その業界に何の問題意識も持たずに、どっぷり骨の髄まで染まっちゃう人は、段々「世間」と距離が出来てしまうわけで、距離が出来ていることすら気付かないわけで。そういう人と会話してると、「あちゃー」と思う事が度々あります。勿論、永くその業界に居ても(時間的な事は実はあまり問題ではない。要は業界、そして自分自身に対しての客観性の問題)「業界の常識」が「世間の非常識」である認識をして、その中で仕事をしている人も、たくさん居るし。

 ただ、世の中と言うのは変わるもので、一つの価値観、おそらくそれは、「一番良い時」の価値観を変えない人は、間違いなく駄目になる。そしてそういう人は、何でも「世の中」のせいにしがちだったりする。自分以外の何かのせいにするのは楽だし。「世の中が悪い」、確かにそうだけれども、だからこそ人は変わらないと生き残れないんやっちゅうねん。自分以外の何かのせいにして、愚痴ってマイナスの方向に行って、同じ鬱屈を抱え込む人間達と馴れ合うのって、楽だけど、傍から見ると醜い。あるいは、自虐のフリをして「変われない自分」に酔って、自分を甘やかしてくれるモノばかりと馴れ合って(それは人だけじゃなく、本とか情報とか、その類のもの含めて)マイナスの殻に閉じこもるのも、楽しそうだけれども醜い。

 なんかさ、マイナスの波動出す人間ほど、馴れ合うの好きだよね。人であったり、本であったり、ネットであったり。もの凄く居心地がいいんでしょうね、馴れ合うのって。で、「世の中が悪い」とか「こんな自分が嫌」とか言うけれども、本気で思ってないんだって。切羽詰ってないから変われないんだよ。切羽詰った人間は、動く。動かざるを得ない。私は「甘やかし合いたい」人間同士が「友達」って言葉を軽々しく使って馴れ合うのが大嫌いなんだよ。で、「業界」に染まった人間同士で馴れ合うと、本当にどうしようもない。良い方向になんて絶対行かない。そして何の疑問も持たず馴れ合って、「一番良い時代」の価値観を変えない「業界人」は、これからどんどん堕ちるだけだ。
 
 「世の中が悪い」からこそ、客観性を持って、自分に必要な事、そうでない事を見極めなければいけないと思うし、何よりも自分が変わらないと何も変わらない。

 これは、以前の同僚と話した時に思ったことだけれども、状況を、他人を変える事って、すんごい難しい。つーか、ほとんど無理。状況や他人を変えることに比べたら、自分を変える方が、よっぽど楽やと思いませんか。発想を、ちょこっと変えただけでも世界は変わる。「変わらない」人は、結局そこがなんだかんだ言って居心地いいんだろう。「変わらない」ということは「変える意思がない」ということだ。切羽詰ったら人は変わらずにいられない。
 

 そしてズボズボと狭い世界で馴れ合い慰め合い人を羨んで逃げて逃げて逃げて自己嫌悪という快楽、あるいは他者を僻む快楽。そういう快楽に浸って「私って可哀想〜」音頭を踊っている人間に同情はしねぇな。

 自分のいる「業界」に多少なりとも懐疑的な人間の方が、人として、まっとうなような気がする。
 但し、生き難い。