あなたと、したい


 知人女性が結婚した。夏に紹介されて、その時点から遠距離だったこともあり、12月に結婚するまで、数回しか相手と会っていない。セックスどころか、キスもしていないと言う。

 
 「セックスはしていなけど、相手の人はとても読書家で、話していて楽しいから。」


 と、彼女は言う。彼女は、そういう娘なのだ。以前も、全く肉体関係の無い男性と結婚しようとしたことがある(その相手の場合は、肉体関係どころか、恋愛感情も無かったそうで、結局破局。当たり前だ)処女というわけでは無い、セックスに嫌悪感を抱いているわけでも無い、ただ、恋愛、結婚において、セックスを重要視していない娘なのだ。あと、この娘はここ数年は、とても結婚願望が強く(仕事にかなり飽きているのもあるんだけど)、いつも会う度に、早く結婚したい、子供が欲しい、と言っていた。自分の妹が結婚して、さらに願望が募りに募っていたのだ。それでも縁というものは窺い知れないものであるから、これからその相手との関係が上手くいくか、いかないか、それは誰にもわからない。



 ただ、セックスをしたことのない相手と、結婚っていうのは、私には不可解だ。人の価値観は、人それぞれではあるけれども、私は絶対に嫌だ。


 この娘のように、セックスを重要視していない娘もいれば、はっきり「セックスが嫌い、できるだけしたくない」人も居る。セックスは子供を作る目的以外ではしたくない、という人を知っている。この人は、夫がエロ本やAVを所有するのも嫌悪するそうだ。そういうもの自体に目を顰める。結婚して、子供を生んで、それからもうしたくなくなった、という話もよく聞く。夫が求めるから、仕方なく応えるけれども、できるだけしたくない、と言う。そういうのはまだマシで、完全に拒否している人もいる。逆に、自分はしたいけれども、夫がしたがらない、でも、仕方ないから我慢してる、という人もいる。



 ある50歳の女性が、こう言った。「最近やっと夜のお勤めが無くなって、ホッとした。」お勤め?セックスは、お勤めなの?男の欲望を、女がしかたなく応える、義務。求められなくなって、ホッとする、そんなに嫌なものなの?


 私は男と暮らしたこともないし、結婚したこともない。だから、「結婚したら、男と女じゃなくなって、家族になるから、しなくなるよ。夫婦って、そんなもの。」と言うことを聞いても、そういう経験がないから、わからない。お互いを、欲しくなくなったら、欲情しなくなったら、それは終りだという経験しかない。


 上記のような話を聞く度に、結婚したくないな、と思ってしまう。好きな人と、お互いが欲情し合わなくなる関係になるなんて嫌だ。勿論、そういう夫婦ばかりじゃないことも知っているけれど。
 私は、好きな人と家族になるより、恋人同士でいたい。ずっと恋人同士で、求め合うことが出来なくなるのなら、結婚なんてしたくないと思う。



 実際、友達にも、その娘がいくら若かろうが綺麗だろうが良い娘であろうが、夫とセックスレス、あるいは子供を作るだけの為に、排卵日にしかしないと言う娘が、何人かいる。男性の知り合いでも、何人もいる。妻とはしていない、妻がしたがらない、妻とは義理セックス、愛人とは本気セックス、妻とはしたくない、と言う人が。妻、あるいは夫、もしくは恋人のことは好きだけど、セックスはしたくない、と言うもいる。


 夫婦でも求め合っている人達も勿論いるけれども、そういう夫婦になれるかどうかは、実際のところわからないし。もし、なれなかった時のことを考えると、怖いな、と思う。


 私は、好きな人とセックスをしたいし、相手にも、そう思われたい。好きな人に欲情するし、相手にも欲情されたい。セックスの無い恋愛は考えられない。人を好きだと思う気持ちと、セックスがしたいという気持ちは切り離せない。いいな、と思う人がいたら、その人の本当の姿が見たい。対社会的な顔だけじゃなく、その人の中にある、弱さ、背負っている悲しみ、ズルさ、その人の好きなこと、嫌いなこと。そういうプラスもマイナスも含めての、その人のことを知りたくなる。その人を、いろんなことを、もっと知りたい。そして、その人が、服を脱いで、どんなふうにキスするのか、どんなふうに触るのか、そしてその人の欲望は、自分にどんな喜びをもたらすか、そして自分の欲望が、その人にどんな喜びをもたらすのか、とても知りたい。私とセックスして、気持ち良かったですか?またしたいですか、私はあなたとセックスして、とても気持ちが良かった、またしたいです。また会いたいです。あなたのことを、知ることが出来て、嬉しいです。もっともっと知りたい、もっともっと同じ時間を過ごして、一緒に笑って、そして、もっともっとセックスして、もっともっと私も気持ちよくなりたいし、あなたを気持ちよくさせたい。私にとっては、それが、人を好きになるということだ。
 だから、セックス無しの恋愛なんて、考えられない。


 背が高いとか、有名な会社に勤めているとか、見栄えが良くて友達に自慢できるとか、一流大学を出ているとか、そんなことよりも、その人との幸せなセックスができるかどうかが、大事。セックスしていて、楽しいか、幸せな気分になれるか、それが出来ない相手とは、付き合えないし、ましてや結婚なんて出来ないと思う。セックスだけが結婚とか、恋愛じゃないことはわかってる。でも、大事。一番かどうかはわからないけれども、それを抜きには考えられない。



 惹かれる人がいて、その人と会話を繰り返し、その人のいろんなことを知って、その人のことを、もっともっと知りたいと思って、その人の考えていることだけじゃなくて、その人の肌や、その人が気持ち良くなっている顔、その人が気持ち良いときに出す声、どんなことをするとその人はもっと気持ち良くなってくれるかとか、私がどんなふうにしたら喜んでくれるかとか、それを知りたくてたまらなくなって、その人とセックスしたい、と強く思う。その人が、私に対して、同じように思わなければ、それはもう仕方ないのだけれども、もしも運良く、向こうも同じことを思ってくれてたら、とても嬉しい。とてもセックスしたい、と思って、実際にセックスして、そのセックスが気持ちよければ、また会いたいと思う。また、その人が気持ちよくなる顔が見たい、声が聞きたい。どうしたら、あなたはもっと気持ち良くなるのか私に教えて欲しい。あなたと一緒に、気持ちよくなりたい。そうなれた時に、とてもその人のことが、いとおしいと思う。心が満たされて、ああ、生きていて良かったな、と思う。これからも、その人のために、ちゃんと生きようと思う。


 だから、セックスをしたいという自分の気持ちは大切にしたいし、相手にもそうあって欲しい。欲情しあいたい。欲しいと思われたい。実際に会ってないときや、会えないときでも、お互いを思って、自慰したい。


 セックスだけしたい、と思うこともある。その後の関係はいらないから、どんなセックスをその人がするのか知りたいだけ。でも、そうやって、その人のセックスを知りたいって思う時点で、「好き」という言葉を使うのが許される感情なのかなとも思う。恋愛とまではいかなくても。好きじゃない人とは、したくないし、したいと思われなくてもいいもの。好きじゃない人とでも、たいして自分がしたいと思っていなくても、セックスは出来る。それは知っている。でも、好きな人としたら、体も心も喜ぶことも知っている。



 だから、「夫婦って、いつでもできるから、しなくなる」とか「私はセックスは嫌いだけど、夫婦とか恋人って、それだけじゃないから」とか「セックスしなくても、楽しいから満足」とか、「相手に触られるのも嫌」とか「セックスは、義務。お勤め。」とか聞くと、そんなの嫌だと思う。お互いには欲情しないから、婚外恋愛を楽しむ、という人もたくさんいて、それはそれでお互いがよければ幸せな形なんだろうけれども(我慢したり、抑圧するよりは、いいと思う)、私は、まだそういう形にはなれないし、なりたくない。人を好きになって、その人とセックスをしたい、と思う気持ちを肯定したい。この人としたいな、と言う欲望を、否定したくないし、諦めたくもない。



 いつか、諦めるような日がくるのだろうか。達観して、セックスをしたいと思わなくなったり、パートナーが自分に欲情しなくても平気になるのだろうか。もう自分は、セックスを卒業したとか、人を好きになったり欲しいと思う感情が過去のものになってしまったりとか。それが、幸せなことなのだろうか。今は、とても、そんなふうには思えない。



 年を経れば、セックスしたいという気持ちは消えるのではないかと、昔は少し思っていた。ところが、それはとんでもない間違いだった。



 私は、あなたとしたい。他の誰でもない、あなたとしたい。

 
 例え、あなたが私が望むほど私のことを欲してなくて、そのことで悲しい想いをしても、あなたとすることによって失うものがあることがあらかじめわかっていても、やっぱり他人のままでよかったと後悔することがあっても、先に見える道が決して明るいものではなくても、あなたとしたい。あなたが気持ちよくなって思わず発する声を聞きたい。



 私は、あなたと、したい。