人は死ぬ

 ある、秋の日の雨の土曜のことだった。
 週末なので、いつもの通勤ラッシュの時間も電車は空いていた。私は傘を持ち会社に出勤して午前中だけ通常業務を済ませて昼過ぎには社長と一緒に会社を出た。社長は、これから病院へお見舞いに行くのと言って車でビルを出た。


 お見舞いの相手は、社長の長年の仕事仲間であり、友人でもある50代前半の女性だということだった。

 そして翌々日の月曜日、いつもより早く社長が出社していた。黒い服とパールのネックレスをして。


 「今日、お葬式だから、昼から留守にするからね。」


 と、社長が私に言った。


 「土曜、私が、お見舞いに行ってた人、昨日亡くなったの。」



 月曜日は朝から真夏がぶり返したような暑さと青空が広がっていた。日傘を持ってくればよかったと後悔した。亡くなった人は、癌だったそうだ。


 「彼女は、私を待ってたと思う。だって、私がお見舞いに行った次の日に、亡くなったんだから。」


 そう言って、社長はいつものように毅然とした姿で背筋を伸ばし、葬儀の場所へ向かった。




 私が実家を出る少し前に、妹の義父が亡くなった。それまで別の病気で入退院を繰り返してはいたが、死因は、その病気とは別の病気だった。その新たな病気が発覚して二ヶ月もたたないうちに急に亡くなった。誰もが驚いた。
 妹が第二子を産んだのと同じ頃にその死因となった病気がわかったそうだ。しかしまさかこんな急に亡くなるとは思いもよらなくて、その時病院には身内のものは誰も居なかったそうだ。


 私が家を出る前の日に、妹の家に線香をあげに行った。農作業と花を育てることと阪神タイガースが大好きな人だった。スーパーでは売ってるのを見たことないような大きくて甘い椎茸をよく貰った。私は甲子園に仕事で行く度に2歳になる妹の上の子供に阪神の帽子やら子供用ユニフォームやらを買ってかえっていた。それらを身につけた自分の孫を見て、いつも喜んでおられたそうで、私に会う度に、いつもありがとうと目を細めて感謝の言葉を述べられていた。


 妹の義父の遺影の前で手を合わすと、その2歳になる妹の子が、義父の写真の入った写真立てを私のところに持ってきた。祖父が亡くなったことの意味などわかってはいないだろうけれども、私が手を合わせる為に来たことをなんとなく察して、祖父の写真を私のところに持ってきたのだろう。無邪気に微笑みながら。


 けれども、きっとこの子は祖父の事は忘れるだろう。まだようやく言葉を喋られるようになったぐらいの幼い彼は、自分を可愛がってくれた祖父の事を、物心ついた時には覚えていないだろう。初孫だと溺愛してくれた、自分の祖父の事を。



 妹の家に行った後、その近所の、私の母の実家に行った。母の母、私の祖母は、痩せこけて骨と皮だけの状態で何年も生きながらえている。私が幼い頃は毅然とした美しい人だった。祖母は言葉を発することも少し不自由になり自力で起き上がることもできず目だけが動く。時々狂乱状態になり、その度に私の母は実家にかけつけていた。
 祖母は、家を出る挨拶をしにきた私の手を握り、お願いだから、親を心配させて悲しませるようなことだけはしないでくれ、でも来てくれて本当にありがとうと何度も言って大きな目からボロボロと涙を流し、私の手を離さなかった。


 祖母は、何度も「自分は幸せだ」と言っていた。独りで孤独に死ぬ人間もたくさんいるのに、自分は子供や孫達に世話をかけながらも、囲まれているのだから、と。
 だから結婚してくれ、結婚してくれ、と会う度に私に言う。それが私には辛かった。結婚しても孤独な人間たくさんいるし、独りで生きる方が幸福な人間は間違いなくいるよと思うけれども、誰が骨と皮の状態になって泣きながら私の手を握る祖母に、そんなことを言えようか。そしてその数ヵ月後に祖母は亡くなった。焼かれて、骨となった。



 人は、死ぬ。
 当たり前のことだけれども、人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。



 予告も無しに消えるように死ぬこともある。自分で自分の命を絶つこともある。長く患い死ぬこともある。死んで人に喜ばれることもある。


 人は、死ぬ。必ず死ぬ。どうあがいても、死ぬ。



 死ぬはずだったのに生き延びることもある。私の知人は23歳の時に子供を生んだ。帝王切開で生んだ。その時に偶然にも卵巣癌が発見され出産後に癌治療を続け苦しんでいたが今は完治して普通に生活している。


 「卵巣の癌って、見つかりにくいらしいの。多少の体の不調も妊娠のせいかと思っていたし。たまたま帝王切開したから、子供を生んだから、本当に、たまたま早期発見できて助かったの。23歳で癌になったことは、そりゃあショックだったし辛かったけど、私は子供に命を助けられたの。これって、凄いよね。あの時、妊娠して、帝王切開しなければ、そのまま癌の発見が遅くなって今頃、私はここに存在していなかったのかもしれないんだから。奇跡だよね。」



 人から見るとくだらない理由で自死を選ぶ人も少なくない。閉鎖的で意味無く保守的で排他的で湿度の高い私の田舎は、離婚と自殺が多い。近所でも、この10年の間に3人自殺している。妹の同級生の男は妻子に暴力を振るい続け、妻子が逃げ出すと戻ってきてくれと懇願したが、それも叶わず、山に入り睡眠薬を喰らい死んだ。私は彼の小学生の頃の姿しか知らないが、目のくりっとした本当に可愛い男の子だった。


 職場の近くの小学校の構内で、学校が休みの時に車の中で排気ガスを吸って死んでいる30代の男が発見された。馬鹿げた理由だった。妻子あるその男には、愛人がいた。愛人に愛想をつかされフラれたことのが自殺の理由だったそうだ。何故小学校の構内で死んだのかは、わからない。残された妻子も自殺の理由にされた愛人も、たまったもんじゃないだろう。


 私の幼馴染の祖母も数年前に首を吊った。自分の息子が事故で身体を悪くして、その世話に疲れたからだった。病人の息子には異常に若く見える美人の妻がいたが、妻は同じ家で、若い別の男と夫婦同然に生活をしていた。そのことは近所の誰もが知っていた。異常に若く見える妻、私の幼馴染の母とは、10年ほど前に私の祖父の葬式で久々に再会したが、葬儀の場に不釣合いな異常な若さと妖艶な色気に私は魅入られてしまいそうだった。それぐらい業の深そうな人だった。でも、私はこの異常に若く見え妖艶で業の深そうな、この女性が、嫌いではない。
 だけど、祖父の葬儀の席で、その女性を見て、「妖怪」だと思った。そして、未だに、憧れじみた気持ちをその「妖怪」に持っているのだ。夫を捨て、もしかしたら義母を死に追い込んだかも知れない、その「妖怪」に。



 以前派遣で勤めていた会社に、外見はわりと小綺麗なのだけれども不真面目で仕事をせず、毎日「おもしろくない」ばかり言っている若い女がいた。「こんな仕事しておもしろいですか?」と、私に聞いてきた。「おもしろくないですよ、お金の為だけですよ。」と私は答えた。


 「私ねー大学ん時に、コンパニオンやってたんですよー。お酒飲めてー楽しくてーそれで給料良かったからーだから、こんなつまんない仕事、すごく嫌なんですよー」

 彼女はそう言った。だったら、やめて、そういう仕事すればいいやんかと思った。案の定、彼女はすぐに辞めた。


 彼女が辞めた後、別の人に驚く話を聞いた。数年前に高校生同士の心中事件があって、話題になっていたことがあったのだが、彼女は、その死んだ男子高校生の姉だったのだ。あれは、うちの弟は、ハメられたんだ、と彼女は言っていたそうだ。その事件の後、彼女の両親の中は険悪になり離婚したそうだ。おもしろくない、仕事がおもしろくない、よくこんなつまらない仕事できますねーと愚痴ばかり言って楽することばかり考えていた彼女の姿と、その心中の話が、どうしても同じ人間の背景だと思えなかった。



 人は死ぬ。必ず。遅かれ早かれ、間違いなく死ぬ。
 当たり前のことだけれども。
 自分も、自分の周りの人も、必ず死ぬ。多分、思いもよらぬ形で、さよならを言う隙も与えずに。



 そんな当たり前のことを、普段はどうして忘れているのか。どうして、身近で誰かの命が絶えた時にしか、思い出せないのか。どうして、普段は死をひとごとのようにしか捕らえることが出来ないのか。


 人は、死ぬ。必ず。
 二度と会えない世界へ向けて、自分の目の前から去っていく。
 人は、ある日、消える。


 
 当たり前のことだけれども、死んだ人には二度と会えない。死後の世界で会えるとかと考えることもできるけれども、そんなことはわからない。死後の世界で会えると考えたいけれども、実際は、わからない。
 多分、二度と会えない。たとえ霊魂がそこに存在していても、触れることは出来ない。言葉を交わすことも抱きしめることもできない。

 死んだら、それまでだ。二度と、会えない。


 そして、人は、いつ死ぬか、わからない。
 死んだ人と、また会えるなんて断言できない。誰が断言できるというのか。


 そして死んだ人は、夢に出て来ようが、思い出して泣こうが、どれだけ悲しもうが、触れることも抱きしめることもできない。
 どんなにもっと優しくしておけばよかったとか、自分の想いを伝えられたらよかったとか、抱きしめておけばよかったとか悔やんでも悔やんでも、どうにもならない。どんなに好きだとか愛していると言っても遅すぎる。


 人は必ず死ぬ。そして死んだ人とは会えなくなる。それは揺ぎない真実だ。どんなに泣いても悲しんでも悔やんでも。


 そんなことは、当たり前の話なのに。何度も、考えて、その度に、後悔せぬように生きるべきだと思ったはずなのに。
 それなのに日々の生活に追われ時には余計な事に囚われて、その真実が見えなくなる。
 気づいた時には、遅すぎるかも知れないのに。



 そして、それがわかっていても、どうして、ちゃんと「愛してる」と、言えないのか。言うのを躊躇うのか。伝えなければいけないことのはずなのに。どうして自分の想いを伝えることが、こんなにも怖いのか。言わないと、いつか後悔することはわかっているはずなのに。



 人は、死ぬ。必ず。
 そして、時と共に、忘れられる。忘れられて、消える。跡形も無く。いつかは、必ず。



 生きることは地獄だけれども、生き残った者は、生きなければいけない。
 どうせ、生き続けなければいけないのなら、幸せになろうと思いながら、ちゃんと生きないと、そうしないと、本当に何も無い虚しいだけの人生になってしまう。 生まれてきたのに、生き残ってきたのに、誰も、いつ死んでも、おかしくない地獄のような世の中を、生き残っているのに。


 
 生き残った人間も、いつか必ず死ぬ。
 

 だから、どうやって、これから生きてこうか。

 本当は、答えは、出ている。