香水の理由


 逢瀬の後、服を脱いだ瞬間、さっきまで会っていた男の香水が、香る。香水そのものの香りと、男の体臭と、自分の体臭が混ぜあった、私とその男しか知らない、秘密の香り。欲情を刺激させる甘美な媚薬、それが、香水。


 香水をつけ始めた理由は、さまざまだろうが、異性の気を引くため、自分の香りを持ちたいため、どの理由も、甘美な理由を内包しているだろう。私は、昔は香水に興味が無かったけれども、二年ほど前から、毎日つけるようになった。香水を私がつけはじめたきっかけに、ある出来事があった。


 以前居た会社で最後に所属していた部署に移動になったのは、二年ほど前のことだった。当時はバスガイドだけでは食っていけなくて、平日は派遣でOLをして、土日にバスガイドをしていた。その時に勤めていた会社は、ある時に大規模なリストラを行い、社員の半分を退職させた。女子社員と、50歳以上の社員が、リストラの対象だった。そして、その分の仕事を私達派遣社員がすることになったのだ。人件費削減のため、最近よくある話である。私も、それまでずっと正社員がやっていた仕事を引き継ぐことになった。



 私の新しい仕事を、それまでやっていた社員さんに、その仕事を教えてもらうことになった。引継ぎ期間は、二ヶ月間。その社員さんを最初に見たときの私の印象は、、、



「・・・・ホームレスのおっさん?」


 と、いうものだった。言っておくが、その社員さんは、某有名企業正社員の40代の女性である。しかし、、ホームレスのおっさんにしか見えないんである。白髪だらけに髪の毛は、櫛でといた様子もなく、寝癖だらけで、肩にはフケだらけ。化粧っ気などまったく無しで、肌は荒れすさみ、服はところどころ汚れて、手の爪の間は、爪垢で真っ黒。その人は、布の鞄を持っていたのだが、鞄の取っ手は、手垢とおぼしきもので真っ黒、、、、、、ああ、今、思い出しても、、、、キツイ、、、、、


 そして、臭い。この臭いは、仕事で大阪の某公園で配車されたときとかに、よく嗅いだ臭いだよ、、、、、懐かしい、都会の香り、、、、風呂にずっと入ってない人の臭いだよ、、、、。


 ホームレスのおっさん、、、じゃなくて、その女社員さんに、仕事を教えてもらうのは、かなりきつかった。で、リストラも、本人達にとっては、もちろん不本意だし、それで派遣社員がその仕事を奪うのだもの、いい気分は間違いなくしないだろう。それ以前でも、派遣女子社員が、社員男性と不倫したり、結婚したりとかするのを、女子社員がよく思わなくて、険悪だったりとかよくあることだったしさぁ(笑)まあ、もともと、派遣女子って、正社員女子に目の仇されてたようなとこあったんだけど、私は、そういう嫉妬されるとかの対象じゃないし、別に今まで害は無かったから蚊帳の外だったんだけど。

 そんなわけで、女社員さんの私に対する態度は、ちょっときつかった。でも、それ以前に、この人は、言語不明瞭で、ごにょごにょ何言ってんだかわかんないし、それに教われば教わるほど、わかってきたのだが、この人、仕事を、あんまりよくわかってないまましてたみたいなのだ。その程度の仕事なんだけど、それにしても、って感じだよ。
よくわかってない人だから、質問しても、「誰かに聞いて」とか、答えるし、「誰かって、誰に聞けばいいんですか?」って私が言うと、しばらく首をかしげて、「・・・・誰やろ?」って、、、、
こんな人に仕事を教われるわけがない。



 しかし、それ以上に、きつかったのは、その臭い。フケだらけの頭や、爪垢を見ると、この人が日常的に風呂に入ってないのは一目瞭然だ。だって、、、、半径3メートルぐらいにいても、呼吸できなくなるほど、臭いのっ!!私は、近寄る度に、息とめてたのっ!でも、一日中、この人の傍にいなきゃいけないのっ!仕事引き継いでもらわなきゃいけないからっ!


 古くからいる人に聞くと、こういわれた。

「あの人は、有名だよ。廊下ですれ違うと、みんな息止めるもん。夏なんて、すごいよ。今が冬で、よかったね。」


 私は、もう、冬だろうがなんだろうが耐えられないと思って、(それは臭いのことだけじゃなくて、仕事に関しても)上の人に、訴えた。指導する人を、代えて下さいっ!!って。しかし、上の人も、リストラする社員さんには、かなり気を使ってて、「我慢してくれ」の一点ばりだった、、、、、今でも恨めしいぜ、、巨根と噂の○○係長、、、てめぇ、ひとごとだと思いやがって、、、



 この頃は、毎日思ったね。今、私の目に前に、この会社を爆発されるスイッチがあったら、迷わず押す、と。本気で。こんな会社、爆発しちゃえ、みんな、ひとごとだと思って、我慢しろとかほざきやがって、、、、。この時期は、この会社の人間全てを憎んだよ、、、、いや、生きとし生けるものを全て恨んだ、とても心のすさんだ時期だったよ、、、。



 で、私が、こんな愚痴を言っていると、ある人から、言われた。「ワキガは、本人の責任じゃないから、そんなふうに言ったら可哀想」って。

 ええええええーーーーーっ!違うんだって!あれはワキガじゃないんだよっ!ワキガは病気みたいなもんで、本人のせいじゃないよっ!手術した方がいいと思うけどっ!ワキガと、風呂に入ってない体臭は、まったく別ものだ。ワキガの人は、毎日風呂入っても臭うんだよっ!ワキガは、ツーンとした臭いで、風呂に入ってない体臭は、もっと、なんちゅうか、じわぁ〜っとしてて、、、、(思い出すのも嫌なんで、これ以上の表現はやめておきます。食事中の方、ごめんなさい)
 あの社員さんの、外見を見たら、あれはワキガみたいなもともとの体臭じゃなくて、風呂に入ってない、本人の不潔さからくる体臭ってことは、わかるじゃないかっ!私も、ワキガなら、こんなに騒がない。嫌は嫌だけど。本人が風呂入ってないことから起こる悪臭だから、これだけぎゃあぎゃあ言ってるんだよ!風呂に入ればいいじゃないかっ! 頼む!風呂に入ってくれっ!


 ・・・・なんだか、私がまるで無神経な悪い人みたいな言われ方をしたのだが、ふと、気がついた。
 当時私が住んでいた実家のあるド田舎の人は、ホームレスの臭いを知らない、ってことに。だって、ホームレスって、都会のものだもん。田舎はいないよ、食料ないし。しかも、うちんとこ寒いから、路上生活なんて出来ないし。そういえば、北海道のススキノ行ったときも、これだけにぎやかな繁華街なのに、ホームレスいないなーって言ったら、だって、北海道で路上生活したら、凍死するやん、って言われた。そうやんなぁ。ちゅうわけで、うちのとこは、思い切り田舎だし、おまけに寒いんで、この地にずっと住んでいる人は、ホームレスの臭いとかが、わからないのだ。だから、臭い体臭=ワキガだと言うのだ。違うのにーーーーーーっ!



 この時は、孤独だった。ワキガと、不潔臭の区別が皆つかない土地に住んでいることが。早く、こんな田舎出たい、って、ひしひし思った。ホームレスがいる、都会に、行きたいって、、、、、今現在は願いが叶って実家を出られたわけだが、本当にあの当時は田舎は嫌だって思ったよ、、、




 引継ぎ期間は、二ヶ月。私は、涙目で、吐き気をもよおしながら出社していた。なるべく息を止めるようにしていた。臭いもなんだけど、その人の爪垢だらけの真っ黒い手が触るものを触るのも、嫌だった。言っておくが、私は潔癖症ではない。古本や、古着なども抵抗ないし、自分の部屋も汚くてオカンにしょっちゅう説教されるしよ。セックスするときは、必ずシャワーを浴びなきゃ駄目!ってわけでもない。いや、そんなことはいいんだけど。埃とかも平気だし、バスの仕事では、ゲロ始末もするし、漏らされた尿の始末とかもしたことあるよ。そんな私でも、この期間は、本当にきつかった。人生が嫌になった、、、、、マジに、、、、、、いろんなものを恨んだ、、、、、、一日中のことやからね、、、、、




 ほんで、この女社員さんは、何故か掃除だけは、ものすごく煩い。掃除ばかりしてないで、仕事しろよって言いたくなるほど、掃除する。それで、ふと思った。この人は、もしかして、神経症レベルの潔癖症?って。


 新潟の女性監禁事件の犯人が、異常な潔癖症で、外に出なくなって、ドアのノブとかも触れられなくて、しかし自分と、その監禁していた女性は、風呂にまったく入らなかったという話を聞いたことがある。


 あと、大学の寮で聞いた話。私達が入学する前の話らしいが、一人、異常な潔癖症の女性がいて、ドアのノブを回すのもハンカチをかぶせないとまわせない、共同のお風呂や、銭湯も、不潔だと言って入らない。そして女性は、不潔だからと言って風呂に入らないので、次第にすごい体臭を撒き散らしていたそうだ。


 神経症レベルの潔癖症は、そういう症状だと、何かの本でも読んだ。他者に対しては、異常に潔癖なのだが、自分の臭いなどは、気にならないらしい。詳しいことは知らないんだけど。


 だから、その女社員さんも、そうかな、と思った。別に家が貧しくて風呂がないわけでは決してない。いい給料貰ってやがったんだよ。退職金もかなり出るしよ。ちなみにこの人は独身だ。そりゃそうか。


 神経症なんだろうな、とは思ったけど、それに対して同情するより、自分がねっ!臭いの嫌なのっ!不潔なのが嫌なのっ!それも毎日一日中、ずっと風呂入ってない、垢とフケだらけの人と一緒にいなきゃいけないのっ!あなたも想像してみてください、この時の私の状況を、、、、とにかくね、、、、つらかったの、、、、、



 上の人に訴えても「我慢して」の一点ばりだし、対策として、マスクをして仕事をした。でも、臭い。本当に臭い。そして、思いついたのが、これなんだ。私自身が、香水をつけて、ちょっとだけでもその香水の香りで、その悪臭をごまかす。そうして、私は、香水を買いに行って、気にいった香りを(つーか、セールで安くなってたヤツを)、その日から身につけるようにした。



 まあ、こんだけの悪臭だから、自分が香水つけたぐらいじゃ、結局臭いもんは臭いんだけどよ。
 でも、気休め程度という意味では気分的にはマシやったかな。それでも常軌を逸した状況には違いなかったけど。と、いうわけで、それがきっかけで香水を毎日つけるようになって、その女社員が辞めてからも、(やめるとき、こいつ、過去のデータとか、勝手に持って帰ったんだよ、なんなんだよ)習慣になった。



 私が香水をつけたきっかけは、そういうわけである。色気無いにもほどがある理由だ。